2023年7月14日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈045〉2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2 (「ダンスフロアでボンダンス」)
3 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」






〈045〉2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―


博覧会で多くの人が楽しみしていたのは、未来を予感させる最新技術。

なかでも、高度経済成長の頃から高い技術と新しいアイデアで日本の産業を牽引してきた電機メーカーのパビリオンには、どこも長い行列ができました。


松下電器グループがアジア太平洋博覧会(よかトピア)に出展した「大型マルチ映像の松下館」もそのひとつ。テーマは「アドベンチャースペースシップ─宇宙から地球への冒険旅行─」で、五角形のパビリオンの建物はこのテーマの通り、宇宙船をイメージしたものでした。



と言うのも、いつものように福岡市博物館に収蔵されているよかトピアの資料を見ていたら、たまたま宇宙船のチケットを見つけました。

これです。


(福岡市博物館所蔵)


何やら数字とアルファベットが並んでいます。よく読んでみると、搭乗する便は「PAF522」、席は「ファーストクラス」ですが、座席指定はないようです。「23ゲート」から搭乗するよう指定があって、船内は禁煙とのこと。

出発地は「NP1989 パナ・コロニー」、目的地は「地球 福岡」になっています。


チケットを開いてみると、「大型マルチ映像の松下館」のリーフレットになっていました。




(福岡市博物館所蔵)
太陽系の紹介のなかで、冥王星を入れて惑星を9つとしているのは懐かしいですね。
冥王星が国際天文学連合(IAU)で惑星の定義に当てはまらないとされたのは2006年のことでしたが、
小さい頃に覚えたこちらの方がなじみがあります…。



西暦2100年、宇宙から地球への冒険旅行へご招待します。」の大きな文字。宇宙船の絵もかっこいいです(この宇宙船、どことなくポータブルのCDプレイヤーに見えてくるのは気のせいでしょうか)。



これは楽しそう。行かざるを得ない…。

(という訳で、ここらからは松下館を疑似体験します)

※搭乗券と一緒に福岡市博物館に収蔵されている『大型マルチ映像の松下館─プレス用資料─』(松下電器産業株式会社)を参照して、当時の様子を復元します。


ちなみにこの搭乗券(松下館のリーフレット)、よく探してみると赤・青・緑の3種類がありました(どれも便名・座席などは同じでした)。


(福岡市博物館所蔵)


当時、松下館はよかトピア会場のなかで、企業パビリオンが並んでいるゾーンの東側にありました。乗用車の駐車場に近くて、いい場所です。

建物の写真を見ると、オレンジ色の屋根に「National」「Panasonic」の文字がよく映えています。


(市史編さん室作成)


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)




では、さっそく搭乗券を手にして「松下館」へ向かいます。

パビリオンの入場口「ファザードゲート」には、朝早くから長い行列ができています。しばらく待って、ようやくウェイティングゾーンに入ると、そこはもう「パナ・コロニー」です。

あ、そうそう、「パナ・コロニー」は地球から遠く離れた銀河系宇宙の惑星(という設定)です。


これは最初にちょっと設定の説明が必要ですね…。

先ほどの搭乗券(松下館のリーフレット)にはこのように書いてあるのです。


21世紀、人類はやせ細った地球に休養期間を与えるために、銀河の彼方にあるNP1989惑星「パナ・コロニー」へ移住した。そして2100年のいま、私たちは科学者たちが発表した、美しさを取り戻しつつある地球の姿を確かめようと、宇宙船アドベンチャースペースシップ「パナ・ファンタジア号」に乗って旅立つことにした。隕石群や磁気嵐の危険もかえりみず、もう一度あの美しい水の惑星を見るために、銀河をワープして太陽系へ、そしてあの懐かしい地球へと冒険の旅が始まる。私たちの「パナ・ファンタジア号」はいま発進準備完了!


これを読むと、どうも私たち観客(乗客)は2100年の宇宙に住んでいるようです。そしてかつての姿を取り戻しつつある地球の姿を確かめるために、これから宇宙旅行に出かけようとしているとのこと。


なるほど、そうすると搭乗券の便名「PAF522」の「PAF」は、「パナ・ファンタジア」の略ということなのでしょうか(だとすると、「522」は何なのでしょう…。これも何か意味がありそうですよね…。謎が解けた方、ぜひお知らせください)。

出発地「NP1989 パナ・コロニー」の方は、「National」「Panasonic」の頭文字と、よかトピアが開催された西暦1989年から名付けられたものかもしれませんね。



ウェイティングゾーンはこの宇宙船の搭乗ゲートになっていて、目の前には今から乗る「パナ・ファンタジア号」が見えています。この「パナ・ファンタジア号」は約350名が乗船できる超大型の宇宙船。およそ8分間ほどで銀河系を飛び回る超高速船です。搭乗口は、コンピューター制御の光と音の演出で未来感が満載。宇宙旅行への期待が高まります。


ここで発着ゲートのスタッフから安全に航行するための注意事項が伝えられます。その内容は搭乗券にも小さく記されていました。書き上げてみると、こんな感じです。



① 本船がワープ時、およびタイムワープ時にお席を立たないで下さい。隕石接近時には、危険回避のため予告無く急停船する場合がございます。

② 隕石が接近しましても、本船の自動回避装置が作動します。自動装置故障時にはバックアップシステムによって回避操作がなされる2ウェイシステムです。

③ 本船への危険物の持ち込みは、宇宙航行法第19条によって禁止されております。

④ タイムワープ時、歴史を変えるような言動や行為をしたと見なされた場合、宇宙特別公安法第89条によりパスポートの発行停止となりますので注意して下さい。

⑤ この宇宙船は最新の安全装置を整えた、宇宙安全運行協会の認定機種ですが、万一の事故発生時には近くの惑星に緊急着陸する場合もございます。その場合には本船の乗務員、あるいは退避誘導ロボットの指示に従って下さい。



これって何かがおこるフラグですよね…。銀河系を旅する宇宙旅行のはずなのに、タイムワープって何でしょう…??



注意事項の説明が終わると、マスコットロボット「スパーキー」(当時松下電器のCMなどでおなじみのキャラクターでした)から乗船の合図が出されました。私たち乗客は搭乗券を手にして、不思議な光が広がる船内へ進んでいきます。全員が着席すると、いよいよ地球を目指して出発です。


客席の前方には、大型150インチの3面パノラマ・ウィンドウがあって、そこから、船外の景色を眺められるようになっています。はてしなく広がる銀河を見ながら、快適な宇宙旅です。飛び交う隕石も無事によけ、窓の外に見えた地球はどうやらよみがえりつつあります。野生の動植物も生命力を取り戻しているようです。



ところがそれもつかの間。突然、磁気嵐に襲われ、船内は真っ暗に。注意事項の話が現実のものとなってしまいました…。そしてここで予期せぬタイムワープ!

着いた場所はなんと昔の地球です…。ただ、はからずも乗客はここで、かつて人類を育んでくれた自然豊かな地球の歴史を目にすることになりました。


乗客が地球環境への思いをあらたにするなか、宇宙船はコンピューターが自動で故障を修復して、2100年に戻るためにもう一度タイムワープを試みます。


しかしこの修復は完全ではなかったのです。

「パナ・ファンタジア号」はふたたび地球に不時着してしまいました。



さて、今度はいつのどこに着いてしまったのかというと…



パノラマ・ウィンドウの外を見た乗客は、そこに1989年の「よかトピア」の景色を目にするのです…。

まさかのさっきパビリオンに入る前に見たばかりの風景…。大どんでん返し)。




というお話。

振り出しに戻る的な展開は、観客の予想外のものになっていました。




この時空を超えた冒険は約8分間。150インチの画面を3面横に並べ(横9.2m×縦2.3m)、迫力のあるマルチ映像で宇宙旅行を体験させてくれるものでした(「MⅡ」という新しい技術が使われていました)。

撮影は3台のカメラで同時におこなわれ、それを3つの画面にずれがないように再生するために、1/30秒の単位で作動する正確な全自動コントローラーを開発したのだそうです(さすが松下電器)。宇宙船から見た地球の空撮映像は、オーストラリア・ニュージーランドでのロケとのこと。ヘリコプターに特殊金具でカメラを固定し、迫力の映像を撮っています。


映像制作は東宝映像美術が担当し、映像総合プロデューサーは安武龍さんがつとめました。

安武さんは福岡県出身の東宝のプロデューサー。過去には、『ブラボー!若大将』(1970年。監督は岩内克己さん。出演は加山雄三さん・田中邦衛さんほか)などの「若大将シリーズ」や、『野獣死すべし 復讐のメカニック』(1974年。監督は須川栄三さん。出演は藤岡弘さんほか)、『東京裁判』(1983年。ドキュメント。監督は小林正樹さん)などの制作を手がけた方です。


そして音楽は細野晴臣さんと越美晴さん・長岡成貴さん。細野さんは「はっぴいえんど」「ティン・パン・アレー」「YMO」などで活躍された、当時すでに日本のポップミュージックの重鎮にして、名ベースプレイヤーです。

越美晴さんは、現在は「コシミハル」名義で活動されているシンガーソングライター。1978年にシングル『ラブ・ステップ』でデビューされ、のちには細野さんのレーベルから作品をリリースされています。ジャンルにとらわれない楽曲は唯一無二の存在感です。長岡成貴さんは作曲・編曲家。SMAPの「Peace!」などたくさんのヒット曲を作りながら、映画・ドラマ・アニメ音楽やソロワークなど幅広く活動されています。


宇宙船から見る映像は、実はこうした豪華なメンバーで作られたものでした。松下館ではこれを16分に1回のペース、春期だと10:00~17:14の間に計28回、夏期だと10:0~20:10の間に計39回、毎日上映(運航)していました。




さてこの上映が終わると、乗客は1989年のよかトピアに降りたって、パナソニックゾーンに移動します。ここには6つのコーナーがあって、宇宙船を降りた後も松下電器の技術やエンターテインメントを楽しむことができました。


まずは「ハイビジョンシアター」。ここは約30人が座れるミニシアターです。今では当たり前のハイビジョンですが、当時は高画質を実現する最新技術として注目されていました。宇宙船の旅でも登場したスパーキーが活躍する『チャーリーとスパーキーの大冒険』や、カナダの大自然を撮った『カナディアンロッキー』を見ることで、ハイビジョンの美しさを体感できるようになっていました。

また「新製品紹介コーナー」では、BS衛星放送の機器も展示され、実際に衛生放送を常時オンエアしていました。これも今では身近な技術になっています。


ムービーコーナー」では、宇宙船の大画面で見た「パナ・コロニー」のミニチュアを展示。観客は松下電器のビデオカメラ「マックロードムービー」でこれを撮影体験することができました。今ほど気軽に動画が撮れない時代、さながら特撮カメラマンや監督になった気分が味わえる特別なコーナーでした。

さらには、「ゲームコーナー」も用意されていました。今となっては懐かしいMSX2規格の最新ゲームが自由に楽しめ、人気のコーナーでした。


ほかにも「九州松下電器」を紹介するコーナーがあったり、「SPACE SHIP SHOP」というグッズ販売コーナーでお土産を買うこともできました。

グッズもシアターの内容にあわせて時空を超えたユニークなもの。たとえば、こういうものが売っていました。

・NASAの刺繍エンブレム(800円・1500円)

・NASAの宇宙飛行士用乾燥アイスクリーム(600円)イチゴ味・バニラ味

・いん石(1650円~)

・三葉虫の化石(1650円)

・カードタイプの未来食(200円)コーヒー・リンゴ・パイン・ヨーグルト・サケ味の5種

などなど



(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より作成)



人気だった松下館は、3月17日に開会すると、早くも5月9日に入館者30万人、6月21日には50万人を突破しました。

30万人目に入館した方は、宮崎県から朝4時に会場に到着して、13時前に松下館を訪れ、この幸運にめぐまれたとのこと。記念にパナソニックの35ミリフィルムの自動カメラがプレゼントされました。ちなみに50万人目の記念品はCDプレイヤー。どちらも時代をよく表していますよね。

最終的には116万人の人々がこの宇宙の旅を楽しみ、松下館は大ヒットとなりました。



この松下館、もう少し別の視点からも話を続けたいのですが、長くなりそうですので、これはまた今度に。







【参考文献】

『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『大型マルチ映像の松下館─プレス用資料─』(松下電器産業(株))

・リーフレット『ADVENTURE SPACE SHIP 大型マルチ映像の松下館』(松下電器産業(株))

・国立科学博物館のサイト「宇宙の質問箱」

https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/resource/tenmon/space/index.htm



#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #松下館 #パナソニック #九州松下電器 #安藤龍 #細野晴臣 #コシミハル #長岡成貴  #MSX


Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル

2023年7月7日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈044〉百道海水浴場はどこにある?

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2 (「ダンスフロアでボンダンス」)
3 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)






〈044〉百道海水浴場はどこにある?


梅雨明けが待ち遠しい今日この頃、むしむしとした日がつづいていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。梅雨末期の大雨により被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。


さて、このようにまだまだ天候も不安定な7月7日ですが、皆さんはこの日が何の日かご存知でしょうか?(七夕とドリカムの日以外でお願いします)


そう、大正7(1918)年7月7日は、西新町の北の浜辺で「百道海水浴場」開場の水神式(神事)が行われた日ですね!



やったー!


実際に海水浴場が開場したのは17日。これは天候不良で本来開場予定だった14日が延期されたからだそうです。


このブログでも幾度となくご紹介してきましたが、百道海水浴場は福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社の前身の一つ)が最初に開いた海水浴場です。

※ 福岡日日新聞社はその後昭和になるまで福岡県内はもとより、九州・山口、さらには戦前の朝鮮、台湾にいたるまで、各地に数多くの海水浴場を開きました。


このところの本ブログが毎回海水浴場の話でもうウンザリ!という方も多いと存じますが、今週は記念すべき開場日! ということで、今回も海水浴場のお話です。大変恐縮ですが、どうぞお付き合いいただけますと幸いです。



百道にあった都会の海水浴場

さて、「その昔、百道に海水浴場があったらしい」という話は、何となーくご存知の方も多いと思います。

ではその百道海水浴場は、具体的にはどこにあって、どれくらいの規模だったかご存知でしょうか?


(絵葉書「(福岡日日新聞社主催)百道海水浴場」部分、
福岡市史編集委員会所蔵)
大正末~昭和初期ごろの百道海水浴場の様子です。
賑わってますね!



現在あるシーサイドももちの浜辺は、埋め立て後に作られた人工の砂浜です。弓なりの浜辺、白い砂浜、長く連なる松林と、マリゾンを中心にステキなロケーションが広がっています。


(市史編さん室撮影)
現在の百道浜の海岸は海浜公園になっています。
海水浴場ではないので、原則泳ぐのは×。
(ただし、東側の一部は時期によって
ライフセーバーが常駐するので泳げます)

百道浜が樋井川から室見川まで長い砂浜が続くイメージが強いので、「海水浴場」と聞くとこれと同じくらいの大きさを想像してしまいがちです。もちろん現在の人工海浜は、かつてあった百道の海辺を念頭に作られたものであることは間違いありません。


ところがそのうちの「百道海水浴場」はというと、樋井川からサザエさん通りくらいまでの、わずか400m弱の範囲だけなのです。


(地理院地図をベースに市史編さん室作成)

現在の百道浜の浜辺と比べると、樋井川からマリゾンまでよりも少し狭いくらいのようです。



拡大してみるとこんな感じ。ちょうど対岸にある西南学院小・中・高校の敷地くらいの広さということが分かります。意外とコンパクトですよね。

(地理院地図をベースに市史編さん室作成)
この部分だけが百道海水浴場でした。思いのほか小さい範囲!



ためしに東端から西端まで歩いてみました。スタート地点百道海水浴場の碑が立っていて、ここはまさに当時の百道海水浴場の東端に当たります。

(市史編さん室撮影)
百道浜橋の西側たもとにある百道海水浴場の碑。


実際に歩いてみると、こんな感じ。

(市史編さん室撮影)


地図上で測るとその長さは386m、歩くと5分もかからないくらいの距離でした。やっぱり思ったよりも狭い感じがしますよね。



西新から百道海水浴場へ向かうには

百道海水浴場は大正時代に開かれてからずっと「アクセスの良い、福岡市に一番近い海水浴場」として、人々の人気を集めていました(開場時、西新町はまだ福岡市ではありませんでした)。

このような評判が定着したのには、現在の明治通りを走っていた市内電車が大きな役割を果たしていました。大正7(1918)年時点での最寄りの停車場は「今川橋」。こんなに近くに電車の停留所があったおかげで、近隣の方々はもちろんのこと、市内各地からも気軽に海水浴に行く事ができたんですね。


百道海水浴場へ向かうにはいくつかのルートがありましたが、よく利用されていたのは次の2つ。

1つはこの電停から一番近い、樋井川沿いの道(①)。これは主に福岡市内(当時)や市外からの海水浴客が利用していたようです。

もう1つはちょうど海水浴場の中央に出る道です(②)。こちらは西新町をはじめとして地元の皆さんがよく使っていた道だそうです。


(地理院地図をベースに市史編さん室作成)
現在の明治通りから海に向かう道は徐々に整備されていきますが
この2本が比較的古い道です。


もちろん、修猷館高校や西南学院、西新小学校を通る道(現在のサザエさん通り)もありますが、これは大正13(1924)年に西新小学校新築移転に伴い整備されたので、開場当時は現在のような大きな道ではなかったので、これらが先に最初にメーンストリートとなったのでしょう。


(ピー・アンド・エル作成地図に市史編さん室加筆)
昭和14年頃の百道海水浴場周辺の様子です。
2本の道の位置関係はこんな感じ。


せっかくですから、これらの道のりも当時の様子を思い浮かべながら歩いてみたいと思います。



当時の道を歩いてみる

さっそく、当時の海水浴客が歩いた道を辿ってみました。まずは樋井川沿いの道から。


(市史編さん室撮影)
今川橋の西側、ガストの横の道から入っていきます。

分かりやすいように、川沿いの道に入るところをスタートとしました。狭い道ですが、抜け道として意外と車の往来が多い所なので、歩行には注意が必要です。



(市史編さん室撮影)
この川沿いの道を海に向かって歩きます。


(市史編さん室撮影)
とにかくまっすぐな道は風も気持ちよく、散歩には最適です。


この道は比較的古い道の一つですが、昔はそれほど整備されておらず、海水浴場が開いた後、大正13(1924)年に砂に赤土を混ぜるなどの改修工事が行われたそうです。


また、百道海水浴場は都会の海水浴場らしく当初から夜間も数多くの来場者があり、そのため大正11(1922)年からは今川橋の停留所から海水浴場までの道沿いに「広告電灯」が灯されたといいます。

川沿いにずらっと電灯が並ぶ様子はさぞかし美しく、また電車からもよく見えたに違いありません。百道海水浴場の呼び物の一つだったのではないでしょうか。


(市史編さん室撮影)
途中には九州大学の西新プラザもあります。


そんな往時の姿に思いを馳せながら歩いて行くと、あっという間に到着!


(市史編さん室撮影)
百道海水浴場の碑は道の突き当たりにあります。

その距離は地図上で測ると476m、ゆっくり歩いても10分かからないくらいで到着しました。



(市史編さん室撮影)




次に、地元の皆さんがよく使ったという、海水浴場中央に出る道を使って百道海水浴場に向かってみます。

場所は、現在福岡市地下鉄西新駅の7番・8番出口があるところです。ここはかつて移転前の西新小学校校舎があった場所であり、西南学院への道でもありました。


(市史編さん室撮影)
☜の道から北に入ります。左側にある駐輪場が目印。


さっそく駐輪場の脇から入っていきます。

西新の近くに長く住んでいたり職場があったりする方も、以外とこの道は通ったことがないかもしれませんね。


(市史編さん室撮影)
西南学院中高生の皆さんたちの通学路としても利用される道です。


(市史編さん室撮影)
道を入ってすぐ左手が駐輪場。右手に西新公民館があります。
こちらの道もまっすぐ海に向かっています。


右手に西新公民館を見ながら道を進むと、間もなく西南学院の赤レンガ塀が見えてきました。

(市史編さん室撮影)


ここは西南学院が西新に移転してきた際、最初に取得し校舎を建てた場所です。この道を左に進むと当時の正門があり、当時の校舎は現在は西南学院大学博物館となっています。


西南学院の広大な校地を横目に進むと、現在も残る松が見えてきます。これは往時の百道海岸の名残です。

松の木が見えてきたらもうすぐ浜に到着!


(市史編さん室撮影)
西南学院中高校門前の信号辺りが
百道海水浴場の中心地です。

(ちょうどトラックで見えませんが…)

ここが、百道海水浴場のちょど中央に当たる場所です。

こちらの道は地図上で測ると518m。先ほどの道よりも少し長いですが、歩いてみるとあまりかわらず、10分弱で到着しました。


この道は、先にもご紹介した通り地元の皆さんがよく利用された道だそうですが、さらに戦前にはこの道を海水浴客のための「1銭バス」が通っていて、これも地元の皆さんにはお馴染みの光景だったそうです。



(市史編さん室撮影)



ところでこの道、実は以前もご紹介したことがあります。第12回「百道地蔵に込められた祈り」という回でご紹介した、かつて存在した百道地蔵への道です。


こうしてみると、百道地蔵は本当に海水浴場のすぐ近くに建立されていたんですね。


※「〈012〉百道地蔵に込められた祈り」はコチラをご覧ください。

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かつて百道の浜の近くに「百道地蔵」というお地蔵さんがあった事をご存知でしょうか?場所はよかトピア通りの裏手、現在ではマンションが建ち、その面影はありません。...
http://fcmuseum.blogspot.com/2022/11/012.html



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百道にあった海水浴場」と聞くと、どうしても現在の浜のサイズを想像してしまいますが、意外とコンパクトだったことが分かりました。

それでも大人気だった百道海水浴場は、全盛期はここに1日数万人が訪れたといいますから、その混雑ぶりは相当なものだったことでしょう。

また、当初は地元以外からは電車での来場客が多かったものの、昭和になると海水浴場まで自動車の乗り入れが可能となったことで歩行客にも便利になました。その後、昭和30年代には大型バスが連日数十台やって来て松林に駐まる光景も見られたほどの一大行楽地にまでなったそうです。


現在では裏道のような存在になってしまったこれらの道ですが、皆さんもぜひ散歩がてら、かつて賑わった百道海水浴場へのメーンストリートを歩いてみてはいかがでしょうか(日焼けと熱中症対策はお忘れなく!)。






【参考文献】

・山崎剛『西新町風土記』(令和元年)

・新聞記事
 ・大正11年7月1日『福岡日日新聞』朝刊7面「愈明二日より 百道海水浴場開く」
 ・大正13年7月27日『福岡日日新聞』朝刊7面「今川橋から百道へ 道路改修計画」
 ・昭和2年7月27日『福岡日日新聞』朝刊3面「自動車横附の百道浴場 非常な便利」



#シーサイドももち #百道海水浴場 #意外とコンパクト #都会の海水浴場


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル

2023年7月6日木曜日

War and Our Way of Living #32

May 30th (Tue.) ~ July 9th (Sun.), 2023

Feature Exhibition Room 1


Textbook with some of the contents blacked out after the war

On June 19, 1945, a large formation of B-29 long-range bomber planes from the United States flew over Fukuoka. Here the United States dropped a large number of incendiary bombs, between midnight and the early morning hours. This is known as the ‘Great Fukuoka Air Raid’, which left the central part of the city in burnt-out ruins.

Since 1991, the Fukuoka City Museum has held an exhibition entitled ’War and Our Way of Living’ annually to commemorate the 'Great Fukuoka Air Raid.’

This year, we introduce the lives of children during wartime through textbooks, magazines, paintings and other items.

During the war, "home front citizens," who did not directly participate, were incorporated into the war support system. Children’s living environment in terms of food, clothing and shelter was greatly restricted. Schools, entertainment, and other activities were also strongly affected.

We hope that by seeing the daily lives of children in this exhibition, you will have the opportunity to learn about this period of the war and how it influenced those involved. We also hope this will allow you to reflect on the importance of peace.

Exhibition view


2023年6月30日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈043〉〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。



過去の記事はコチラからご覧ください。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2 (「ダンスフロアでボンダンス」)
3 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」)
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)





〈043〉〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~


前回からお届けしております、世界水泳2023福岡大会(勝手に)応援企画。今回もシーサイドももちで行われる競技にまつわるお話をお届けします。

今回は、「オープンウォータースイミング」です。

筆者、前回のハイダイビング回では初めて知ったハイダイビングという競技が面白すぎて、あまり百道の話ができなかったのですが、今回はもう少しちゃんと百道のお古いお話も一緒にご紹介できればと思いますので、どうぞお付き合いください。

※ 世界水泳2023福岡大会についてはコチラをご覧ください。



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世界水泳としては2度目の開催

オープンウォータースイミングとは簡単に言うと遠泳のことです。プールではなく、海や川、湖など自然環境の中で行われ、長距離を泳ぐことから別名「水のマラソン」とも呼ばれています。

競泳と違って自然が相手の競技なので、選手自身の体力や水泳技術のみならず、会場の水質や気象条件、水流(海流)など環境についての知識と経験も必要となる、なかなかハードな競技です。

今回の世界水泳2023福岡大会では、5㎞10㎞、それにリレー(6㎞)が行われる予定で、そのスタート地点がシーサイドももち地区の地行浜エリアに設定されています。


このオープンウォータースイミング、2008(平成20)年の北京オリンピックから正式水泳種目の1つとなったのですが、前回福岡で行われた世界水泳(第9回世界水泳選手権大会福岡2001/2001〈平成13〉年7月16日~29日)でも、やはりシーサイドももち地区(百道浜)を会場として行われています。

この時の種目は、5㎞10㎞だけでなく競技ルール上もっとも長い25㎞も行われました。


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
5㎞コースは百道浜をスタートして西へ進み、愛宕浜沖で折り返すコース。



(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
10㎞コースは同じく百道浜から西へ進み、沖に折り返し周回するコース。


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より作成、下図は地理院地図)
25㎞コースはなんと能古島をほぼ1周し、さらに折り返してくるコース!
この長大な遠泳を本大会では見られないのは個人的にちょっと残念な気もします。


これらのコースはあくまでも2001(平成13)年の世界水泳のコースですので、本大会ではこれとは違うコースになると思いますが(スタート地点も百道浜から地行浜に変更になりますし)、世界水泳の事務局にお尋ねしたところ、今回の5㎞・10㎞もどうやら湾内を周回するコースになるのは間違いないようです(コースは近日発表予定)。


オープンウォータースイミングのルールは詳細な競技規則によって定められています。

泳ぎ方に決まりはありませんが、選手はルートにあるブイを必ず通過しなければなりません。制限時間もあり、1位の選手がゴールしてから5㎞ごとに15分、最大120分以内にゴールしなければ失格となってしまいます。また、海底に足が着くところで立つことは認められますが、歩いたりジャンプすることは認められません(公益財団法人日本水泳連盟制定「オープンウォータースイミング競技規則 2023年4月1日」より)

2001(平成13)年大会では、5㎞ではイタリアのルカ・バルディニ選手が55分37秒(男子)、同じくイタリアのビオラ・バル選手が1時間23秒(女子)、10㎞はロシアのエフゲニ・ベズロウチェンコ選手が2時間1分04秒(男子)、ドイツのペギー・ビューシェ選手が2時間17分32秒(女子)、そして25㎞はロシアのユーリー・コウジノフ選手が5時間25分32秒(男子)、そして5㎞女子の部でも優勝したビオラ・バル選手が5時間56分51秒の記録を残し、それぞれ優勝しています。

※ オープンウォータースイミングでは大会ごとの環境でタイムの変動が大きいため、タイムの世界記録という概念はなく、あくまでも参考記録です。


最長で5時間以上も泳ぎ続けるなんて、ちょっと信じられないタフさですよね!(ちなみにトライアスロンのスイムは最長で4㎞)


(『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』より)
オープンウォータースイミングの様子。本当に海を泳ぐんですね…。


「水泳=海で泳ぐ」という時代があった

今では「海で泳ぐ」と言えば、夏に海水浴場の浅瀬でぱちゃぱちゃと泳ぐイメージがある方も多いと思いますが、もともと水泳練習はプールではなく海で行われていました。

その理由は簡単。そもそも「プール」という施設がなかったからです。


福岡市に最初に本格的な公共プールが作られたのは昭和2(1927)年のこと。同年3月~5月に大濠公園で開催された「東亜勧業博覧会」閉幕後の跡地の一部に作られた県営プールです(翌年の7月3日に改めてプール開き神事を実施)。

この頃から少しずつですが学校にもプール設備ができていきます。百道の近隣では昭和3(1928)年に御大典記念として修猷館にプールが作られました。

ですがそれ以前、とくに明治・大正時代には水泳部も海で練習を行うのが常で、百道はその場所としてよく利用されていました。


(『修猷館百八十年史』〈福岡県立修猷館高等学校、1969年〉より)
昭和3(1928)年に竣工したプールで泳ぐ生徒たち。
当時はまだ珍しい光景でした。


海での水泳練習

百道海水浴場が開かれたのは大正7(1918)年のことですが、水泳練習の場としてはそれよりもっと前の明治時代から使われていました。プールができる前の修猷館や近隣の小学校など、多くの学校が百道海岸を水泳練習の場として使っていたようです。

福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社の前身の一つ、以下「福日社」)が百道に海水浴場を開いてからは海水浴期間中の催しの一つとして、福日社による水泳練習会が毎年のように開催されました。


とくに最初の開催となった大正7(1918)年は、次のような内容で会員を募集。講師には福岡師範修猷館九州帝国大学の教諭陣長崎水泳協会から講師を招へいしますが、なかにはなんと博多駅員福日社記者など、専門家でなくても水泳を得意とする者(と思われる人)が名を連ねていました。


一、百道水泳練習会は一般水泳術を教授するを目的とす


一、水泳練習会は八月六日に始まり八月三十日終るものとす

一、水泳練習会は毎日午前九時半より正午まで午前二時より五時迄の二回とす但し雨天又は風浪荒き日は休会す

一、練習会の課程左の如し
第一期 犬カキ
    バタ足
第二期 横体=扁り足、一段、二段
    平体=扁平游、蛙平遊
    抜手=互抜手
第三期 横体=片抜手(一段 二段)諸手 横遊
    平体=早抜手
    立体=扁足、踏足、巻足
    跳込=逆跳、直跳、達摩跳
第四期 横体=片抜手、片抜手栲
    平体=小抜手
    跳込=順下、逆下
    潜水=扁平潜、蹴潜
    浮身

一、会員の資格は男女を問はず年齢十二歳以上の者とす

一、練習会には随時進級試験を行ひ、八月末終末試験を行ふ終末試験合格者には終業証書を授与す

一、練習会にては時々競泳会遠泳会を行ふ事あるべし其時には予め掲示すべし

一、教授料は一切無料とす但帽子代実費十五銭を申受く

(大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面「水泳練習開始」より抜粋)


この年は8月に入って募集が始まったにもかかわらず、百道に開かれた待望の海水浴場での水泳練習会という話題性もあってか(あと授業料も無料ですし)、期間中は140名あまりもの参加者があったといいます。


こうして百道初の大規模な水泳練習会は無事に第1回目を終了しましたが、海水浴場の閉幕を前に最後の大きな催しとして、大々的な競泳大会が行われています。

この様子を報じた新聞記事によれば、競泳大会は9月8日午前10時の満潮を待って、海水浴場に隣接した樋井川河口で行われました。

樋井川河口の幅50m水深5尺(約1.5m)前後の場所を会場として、50mと100mの位置にブイを設置。両岸がコンクリートで護岸されているので波も起こりにくく、また観覧者にも大変見やすい会場となったようです。

そんな環境の良さや福博電車の今川橋停車場からのアクセスも良いことで大勢の観覧者が集まり、「立錐の余地なきまで人をもって埋めらる」ような大盛況となりました。


50m100m200m、そしてリレーが行われ、福岡県内各地から集まった選手たちはそれぞれに好成績を残しましたが、なかでも200mに出場した小倉師範学校の高本氏が圧巻でした。彼は3分21秒という結果を残し、これは同年8月に大阪で開催された第4回全国水泳大会の優勝記録だった3分25秒4を破るという快挙を打ち立て、樋井川の両岸に集まった観客は大いに盛り上がりました。



(大正7年9月9日『福岡日日新聞』朝刊5面より、福岡市博物館所蔵)
報道された百道海水浴場競泳大会の様子。
上の写真はおそらくリレーの様子と思われます。橋桁を利用している!



博多湾を縦断する遠泳大会

海での水泳練習は、先に紹介した練習会の募集要項にもあるように競泳だけでなく遠泳も行われました。とくに博多湾は周りを陸に囲まれた内海ですので、風の影響を受けにくく波が穏やかで、遠泳には向いていたことでしょう。

とはいえ、なかなか素人には難しいのでは…? と思うのですが、当時遠泳に挑戦したのは九州大学や修猷館など各学校の水泳部員はもとより、水泳練習会の参加者や、さらには小学生に至るまで、一般の人々も多く参加していました。

遠泳と一言に言っても距離はまちまちで、近いものだと百道~樋井川(直線距離で約4~500m)といったものから、もう少し長い距離だと百道~伊崎・西公園下(同約2.5㎞)や百道~能古島(同約5㎞)、さらには百道~箱崎(同約7㎞)、なかには百道~香椎~西戸崎~能古島~百道(同約27㎞)と博多湾を一周(!)するようなものまでさまざまあり、それぞれたくさんの人が参加しました。


とくに大正9(1920)年に行われた遠泳大会では高等女学校の生徒が唯一の女子参加者として、見事に完泳したという記事が残っています。

この遠泳会は、やはり百道海水浴場主催の水泳練習会の一環として行われました。コースは能古島~百道間の5マイル遠泳。5マイルといえば約8㎞に相当し、現在のオープンウォータースイミングと比べても遜色のない距離です。


8月12日午前10時、参加した36名は能古島東岸より2列縦隊となりスタート。1マイル(約1.6㎞)ほどを過ぎた頃からわずかに風が起こり波が立ち始め、少年ら2、3名が脱落するも、参加者は精一杯泳ぎます。

途中、北西の風が強くなり波が高くなると、参加者は伴走していた救護船からニッケ玉握り飯をもらい体力を回復!

そしてようやく室見川が見えてくると「勇気百倍」、一気に泳ぎ切ろうと最後の力を振り絞り、午後1時40分には32名の参加者が「些少の疲労の色をも見せず」完泳しました(脱落者4名)。


中でも福岡高等女学校の瀬戸ミホ子さん(18)は「殆んど男子を凌ぐ程の元気を見せ」、記者に対してこうに語ったといいます。

『私が遠泳に参加したのは今度が始めてで如何〈どう〉かと思ひましたが、人の行ることは出来ない筈はないとの自信を持って居ましたから加はりました。何分〈なにぶん〉最初一定の距離を泳ぐまでは多少疲れるといふやうな心地もしましたが、長く継続したらも早や〈もはや〉何とも無く、何処まで泳いでも何の変りもない程楽な感じがしました。然〈しか〉結髪の為めか一体に頭が重く、首が後に引かれるやうな気味がありましたが、別に痛いといふやうなことは一寸もありませんでした。後方から寄せる浪に身体を軽く乗せて游〈およ〉ぐ時の心地は何とも云はれぬ程愉快でした。只〈ただ〉、到着間際に一寸疲れたといふ心地がしましたが、夫〈それ〉は安心した結果でせう。でも心身とも何等の障りもありません。男子の方と一緒に游〈およ〉いでも別に劣りはしないとも思いますが、游〈およ〉ぐのは少しく遅くなるやうです。〈しか〉し愉快でした

(大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面「別に疲れもなく楽に泳ぎました 五浬遠泳の婦人 瀬戸ミホ子談」より/句読点、〈 〉は筆者)


なんと爽やかな受け答え! 時間にして3時間半を超す過酷な遠泳を終えた後とはとても思えません。本大会を心から楽しんだ様子が伝わってきます。


現代でもシーサイドももち地区のみならず、博多湾内では志賀島能古島小戸地区などではオープンウォータースイミングトライアスロンなど、多くの遠泳競技が行われ、老若男女さまざまな方々が参加されています。

また能古中学校では、平成3(1991)年から全員参加の恒例行事として、能古島~小戸間の約1.5㎞の博多湾横断遠泳が行われており、今年も7月に開催予定だそうです。

博多湾はその環境から見ても遠泳とは昔から意外と縁が深く、相性がいいのかもしれませんね。


(大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面より、福岡市博物館所蔵)
「遠泳隊帰着」と題された1枚。
続々と海から列になって上がってくる遠泳参加者の様子が見て取れます。
ミホ子さんもきっとこの中にいるのでしょう。


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さて、2回にわたって世界水泳2023福岡大会(勝手に)応援企画をお届けしました。

シーサイドももち地区で開催されるような屋外の水泳競技は、競泳などと違ってなかなかテレビの中継も少なく、一般には目にする機会は少ないかも知れません。ですが、せっかくご近所で開催されることもあり、こうしてその競技内容やバックボーン、さらには開催地としてのシーサイドももち(百道海岸)との関係を見ていくと、ちょっと興味が湧いてきませんか?


まだまだジメジメした梅雨が続いていますが、間もなく暑い暑い夏がやって来ます。夏と言えば! そして何と言っても海水浴場!!(待ってました!)

この夏の【別冊シーサイドももち】では、引き続き「百道海水浴場」についての事細かなアレコレもご紹介していきますので、どうぞお楽しみに!







【参考文献】

・『修猷館百八十年史』(福岡県立修猷館高等学校、1969年)

・『第9回世界水泳選手権大会福岡公式報告書2001』(第9回世界水泳選手権大会組織委員会、2002年)

・三浦裕行「内田正練とその時代 : 日本にクロールがもたらされた頃」(北海道大学総合博物館第20回企画展示「内田正練とその時代―日本にクロールがもたらされた頃―」北海道大学総合博物館、2005年4月5日~6月5日)

・ウェブサイト
 ・世界水泳2023福岡大会公式サイト(https://www.fina-fukuoka2022.org/)
 ・日本国際オープンウォータースイミング協会公式サイト(https://openwater.jp/about_openwaterswim/)
 ・競技規則・公式ルールブックガイド【2023年】/水泳「オープンウォータースイミング〈OWS〉/マラソンスイミング競技規則[JASF日本水泳連盟](https://the-official-rules.com/01-sports/swimming/open-water-swimming#i)

・新聞記事
 ・大正7年8月6日『福岡日日新聞』朝刊4面「水泳練習開始」
 ・大正7年9月9日『福岡日日新聞』朝刊5面「百道の競泳大会 オリンピツク競泳の記録を破る 海水浴場掉尾の壮観」
 ・大正9年8月12日『福岡日日新聞』朝刊7面「碧瑠璃の海を百道へ 本社主催百道海水浴場水泳部 練習生の残島百道間遠泳」「別に疲れもなく楽に泳ぎました 五浬遠泳の婦人 瀬戸ミホ子談」
 ・昭和2年10月3日『福岡日日新聞』3面「男子中等学校水上競技大会 大濠新プールにて」
 ・昭和3年7月4日『福岡日日新聞』2面「大濠のプール開き」
 ・令和4年6月19日『毎日新聞』「博多湾1.5キロを泳ぎ切れ 中学校の伝統行事、3年ぶり再開へ」


#シーサイドももち #百道海水浴場 #世界水泳 #オープンウォータースイミング #遠泳 #海で泳ぐ!


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル

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