2024年7月31日水曜日
特別展「大灯籠絵」を楽しむために その12 大きな灯籠の呼び名はいろいろ
会期:2024年9月13日(金)~11月4日(月・振休) 会場:福岡市博物館
この秋、福岡市博物館では、特別展「大灯籠絵」を開催します。
展覧会の開催に向けて、「大灯籠絵」にまつわる話題をお届けします。
博多沿岸の町で、夏祭りのときに飾る大きな灯りを「大灯籠」と呼びます。
そして、そこに描かれている絵が「大灯籠絵」です。
このブログでは、ずっとこんな説明をしてきました。
実は、これは正確ではないのです。
地域や世代によって、微妙に「大灯籠」の呼び名がちがうのです。
「おおとうろう」「おおどうろう」「だいとうろう」
「おおえとうろう」「おおえどうろう」
「とうろうえま」「えま」
実にいろいろな呼び方があります。
展覧会では、分かりやすく「大灯籠」と「大灯籠絵」ということばを使っています。
2024年7月26日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈086〉「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」 ―よかトピアの九州電力パビリオン(その1)―
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」)
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」)
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)―」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回 (「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)―」)
第62回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉」)
第63回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈後編〉」)
第64回(「よかトピアの海上レストラン ―マリゾン(1)―」)
第65回 (「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編②~」)
第66回 (「子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内 ―よかトピアの象のはなし ―」)
第67回 (「船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン ―マリゾン(2)―」)
第68回 (「よかトピアはドームつくりがち」)
第69回 (「シーサイドももちはMVステージ(その1)」)
第70回 (「シーサイドももちはMVステージ(その2)」)
第71回 (「百道松原を買った藤金作(その1)― 西新爆上がりの回 ―」)
第72回 (「百道松原を買った藤金作(その2)― 元寇防塁発見の回 ―」)
第73回 (「サザエさん通りの生い立ち ―「プレ・サザエさん通り」と波瀾万丈の元寇防塁 ―」)
第74回 (「最初の海の家「設備屋」の行方と西南学院のキャンパス」)
第75回 (「百道に計画されていた幻の国際飛行場」)
第76回 (「ガワラッパのネッキ、ミズチと戦う ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その1)―」)
第77回 (「ドラえもんが水のことを教えてくれた日 ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その2)―」)
第78回 (「修養の殿堂、百道に建つ~射撃場跡地にできた社会教育会館~」)
第79回 (「まっすぐ過ぎる道路~百道に残る四角い街区のナゾ~」)
第80回 (「シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―」)
第81回 (「ルッパン船長とヤップのダンスチーム、よかトピアを飛び出してダイエーに行く ―ヤップカヌー外伝(その2)―」)
第82回 (「シーサイドももちの緑地さんぽ① ~地行浜&海浜エリア編~」)
第83回 (「小学校の体育用具倉庫で山笠のムルティをつくってほしい ―よかトピアで大活躍だったインド(その1)―」)
第84回 (「シーサイドももちの緑地さんぽ② ~百道浜エリア編~」)
第85回 (「あるときは少年が空中に浮き、あるときはバラタナティアムやカタックを舞う ─よかトピアで大活躍だったインド(その2)─」)
〈086〉「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」 ─よかトピアの九州電力パビリオン(その1)─
1989年3月17日に開会したアジア太平洋博覧会(よかトピア)。
先日よかトピアについての新聞記事を探していましたら、こんなキャッチコピーが目に飛び込んできました。
「いよいよ、明日、発進。」
「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」
開会前日のよかトピアの九州電力パビリオン、「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」の広告でした(1989年3月16日『日本経済新聞』夕刊)。
「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」、なかなか攻めたフレーズですよね。
大喜利の問題になりそうです(「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」どんな楽しさ?)。
このキャッチコピーが気になってしまって、さっそくこの九電パビリオンを調べてみることにしました。
すると、パビリオンのことだけでなく、九電とよかトピアの関わりについても知ることができました。
今回はそんな話です。
まずはこのパビリオン「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」の世界観(設定)をご紹介。
「スーパーシップ9」は宇宙から地球へ、そして未来都市にまで航行する宇宙船です。
伸縮自在で時空間も飛び越えてしまう、文字通りのスーパーシップ。
直径22メートルの船室には、400名が搭乗できます。
この「スーパーシップ9」の出発地は地球の北極上空38万キロのかなた、宇宙空間に浮かんでいる発進基地「スペースポート」です(地球と月との距離が約38万キロですので、それと同じくらい離れています)。
乗船するにはチケットが必要です。
これがそのチケット。
気になるのは、チケットの下に記された「α星人からの熱いメッセージ」です。
まったく読めない文字で何か記されています。
チケットのデザインは全部で3種類。
それぞれメッセージも違っているようです。
3種類のメッセージ部分をアップにしてみます。
メッセージ①
メッセージ②
メッセージ③
チケットを裏返すと、α星の文字を日本語に翻訳するための解読表が載っていました。
なるほど、これを頼りに読めということのようです。
(お時間がある方、この3種類のα星人のメッセージを解読してみてください。正解はこのブログの一番最後で。)
チケットの裏には記念スタンプを押せるようにもなっています。
ちなみに、このチケットには特別搭乗券というものもありました。
そちらはスタンプの代わりにキラキラシール(全3種類)を貼るようになっています(ビックリマンシール的ですね)。
さて、チケットを手に「スペースポート」にやってくると、すぐ目の前に宇宙船が待機しています。
まずはここで宇宙旅行についての案内を聴きます。
やがてエンジン音が響き、カウントダウンがはじまり、いよいよ乗船の時間です。
扉を開けて「スーパーシップ9」に乗り込むと、壁に連なる大きな窓が乗客を圧倒します。
1枚が縱5メートル×横6メートルもある窓が全部で9つも並び、船内を360度取り囲んでいます。
「スペースポート」を出発した「スーパーシップ9」が向かうのは地球。
船体の動きを座席から感じつつ、ぐるりと囲まれた窓で宇宙の景色を前後左右すべて楽しみながらの快適旅です。
地球でのプランは、日本の九州をめぐる旅「新鮮なふるさと九州発見の夢飛行」。
コースはこうなっています。
宇宙基地 → 屋久島(鹿児島県)→ 五島列島(長崎県)→ 桜島(鹿児島県)→ 久住高原(大分県)→ 生駒高原(宮崎県)→ 霧島(鹿児島県)→ 阿蘇(熊本県)→ 菊池渓谷(熊本県)→ 球磨川(熊本県)→ 虹の松原(佐賀県)→ 博多(福岡県)→ 未来都市
この間は約13分で、広い九州をあっという間に飛び回ります。
このあと最後に宇宙船がたどり着くのは、未来都市「トゥモローランド」。
ここでは宇宙船を降りて、未来の街を散策できました。
未来の電気メーカーのショーウィンドウには「物体転送ポット」「万能調理ロボット」といった未来製品が並び、光の芸術「ライティング・ギャラリー」が街を彩っています。
宇宙旅行社「スペースシップトラベル社」がいろいろな宇宙ツアーのプランを紹介してくれたりもしました。
…というのが、「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」のストーリー。
パビリオンでは、このストーリーを次のような導線で体感できるようになっていました。
こうやって文章で紹介すると、「え、九州なら宇宙船に乗らなくても家から車でいけますけど…」と思ったり、「屋久島の次は五島より桜島へ行った方が近くのに」と考えてしまったり、あるいは展示がどこの博覧会でも流行りだった映像を見せるシアター型、それにテーマもありがちな宇宙や未来だし…と、あまりおもしろみが感じられないのが正直なところではないでしょうか…。
確かに、よかトピアのなかでも似たようなパビリオンがほかにもありました。
たとえば、以前ご紹介した「大型マルチ映像の松下館」も宇宙から地球へ、そして時空を超えた冒険旅行を映像で見せています。
ただ、もう少し詳しく見てみると、この「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」はパビリオンそのものに、映し出す映像の技術に、そして思わぬ広がりをみせた「であい」に、さらには九州の企業ならではの出展に至る経緯などに、たくさんの個性が詰まっているようなのです。
まずはパビリオンそのものについて。
パビリオンの場所はここにありました。
『九州電力40年史』によると、出展にあたって九州電力では当初からパビリオンも展示物の1つと考えていたそうです。
そのため、パビリオンの形は展示内容にあわせた宇宙基地(スペースコロニー)をイメージさせるものとしました。
一方でこれは博覧会のパビリオンですので、閉会後にすみやかに撤去することも考えておかなければなりません。
当然、廃棄物が少ない方がいいですし、期間限定の建物ですから工事費も抑えたいところです。
そこで採用されたのが単管トラス工法でした。
単管トラス工法とは、工事現場の足場で使うようなまっすぐな鉄パイプを接続金具で繋いで、三角形をつくりながら、それを複雑に組み合わせて建物全体の形をつくっていくやり方。
福岡市博物館に残された「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」のパンフレットには、その建設途中の写真が載っていました。
強度の高い三角形の連続によって、柱を立てなくても広い空間と高い屋根をつくりだすことができるため、大人数で映像を見るパビリオンには有効です(柱でスクリーンが見えないと困りますものね。せっかく入場したのに、「見切れ席」ではお客さんも嫌でしょうし…)。
この工法によって、パビリオンの売りだった360度のスクリーンを前後左右、存分にすべての席で楽しむことが可能になりました。
また、鉄パイプは人の手で接続していきますので、大がかりな重機を多数使った組み立ては不要です。
閉会後にパビリオンを解体する時も、分解されて鉄パイプと接続金具に戻っていくため、ゴミが少なくなります。
展示内容に合う空間を生み出しながら、同時にエコでもあるという、ほんと良いことばかり。
ところが…。
鉄パイプはまっすぐですから、これを組み合わせながら曲線を描くのはとても難しいのだそうです。
スペースコロニーらしいカーブをつくるためには、単調な曲線というわけにはいきませんし…。
そうすると、鉄パイプを接続する角度を場所ごとにそれぞれ細かく変えていかなければならなくなります。
しかも1本1本、手で接続金具を締めながら繋いでいくのですから、それは大変なはずです。
さらには、これを炎天下で作業なさったのだとか…。
実はこの工法で曲線の建物がつくられたのは、この「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」が日本で最初なのだそうです。
パビリオンを建てること自体が、まずはとてもチャレンジングなプロジェクトだったのですね。
使われた鉄パイプは1万4400本(全部並べると32キロメートル!)、それを繋いだ接続金具は2万4000個にも及んだそうです。
鉄パイプが連続する姿はそれだけで幾何学的で美しいのですが、そのうえには屋根と壁になる板を貼ることになります。
『九州電力40年史』によれば、工事を担当された方は「外から見えないのが残念」と仰りながら、「もう一度造れと言われたら、もう嫌です…」と話されたのだとか…(難工事を乗り越えてようやく完成させた自信作であることがよくあらわれた言葉ですよね)。
この鉄パイプの骨格の上に貼られたのはガルバリウム鋼板です。
これはアルミニウムと亜鉛の合金でメッキした金属の板で、腐食に強くて軽量な建材。
「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」には、全部で8000枚ものガルバリウム鋼板が使われました。
写真だとパビリオンは白色に見えるのですが、実際はこの鋼板によって銀色に輝いていました。
単管トラスの美しさは隠れてしまいましたが、宇宙感が強く、パビリオンのテーマにもよく合う姿でした。
「夢飛行 スーパーシップ9 電力館」の起工式は1988年4月27日でしたが、竣工式が開幕まであと1週間に迫った1989年3月9日だったことが、難工事とテーマに即した完成度の高さをよく表しています。
建築分野でも注目されたパビリオンでしたので、建設中には有明高等専門学校から依頼があり、建築学科第5学年の学生のみなさん(35名)が福岡タワーや三菱未来館とあわせてわざわざ見学に来られたそうです。
(有明高専は福岡県大牟田市の名物、巨大なお好み焼き「高専ダゴ」の由来になった学校ですよね。)
このパビリオン、意匠設計は木島安史さん(熊本大学教授〈当時〉)、構造設計は田中弥寿さん(早稲田大学教授〈当時〉)の手によるものでした。
木島さんはシーサイドももちの「世界の建築家通り」に「ベガ」をつくられた方で、ドーム型が印象的な建築家です。
パビリオンで映写された映像も大がかりでこだわったものでした。
360度の映像を撮ったのは、サーキノビジョンの特殊カメラ。
円状に9台のカメラを取り付け、同時に撮影したのだそうです(鏡がついていてそれに映る風景を撮るのだとか)。
宇宙船の窓に映し出される壮大な九州各地の自然は、ヘリコプターにぶら下げて空撮したもの。
博多祇園山笠の臨場感あふれる映像に至っては、前代未聞の舁き山にカメラを載せて、実際にそれを舁き手たちに舁いてもらいながら撮っています。
これをパビリオンでは9つの映写機から9つのスクリーン(宇宙船の9つの窓)に向けて投映し、さらに円形に配置されたスピーカー13台(メイン5・スーパーウーハー4・シーリング4)から音声を出して、360度の視界と音を再現していました(映写時間約13分)。
座席にも大がかりな仕掛けがありました。
観客席は油圧で動くようになっています。
映像にあわせて、3本のシリンダーで観客席全体を持ち上げたり、下ろしたり、左右に揺らしたりして、まるで宇宙船に乗っているかのように動くしかけでした(最大傾斜5度)。
満席で90トンにもなる重さの観客席を、210キログラム/平方センチメートルの油圧で動かしていたのだとか。
1人1人のイスが個別に動くわけではないので、観客席のどこに座るかでも迫力が変わってきました。
当時、映画館のように観客席の真ん中あたりに人気が集中していたそうですが、実は観客席全体が一体として傾くため、動きが大きいのは端の方の席。
より宇宙船の動きを感じたい人は、端のイスを選ぶというツウな乗り方をされる方もいらっしゃったようです。
360度スクリーンと動くイスですから、VRと映画の4D上映を足したみたいなものとも言えるでしょうか。
(このパビリオンではゴーグルをつけませんので視界は限られた範囲ですし、イスの動きももっと緩やかで単調なのでしょうけど…)。
パビリオンの外でも、夜にはネオン管とカラー照明でライトアップしたり、レーザーを放射するイベントをやったり、スペーシーな演出がほどこされました。
レーザーショー(「光のファンタジック・レーザーショー」)は、8月19日(土)・20日(日)の20:00、20:30、20:45に10分程度ずつ。
このときは世界最大級のレーザーが照射され、よかトピアのメインストリート(今の福岡市博物館と総合図書館の間のサザエさん通り)で誰でも見学できました。
体をゆらされながら、360度に展開する映像を追いかけて、うしろを振り返ったり、左右に顔を動かしたり、首が痛くなるのも忘れて多くの人がこの宇宙旅行を体験したのですが、「スーパーシップ9」にはほかにも目的地がありました。
また、航行するなかでの「であい」から、思わぬ目的地に飛んでいくことにもなりました。
だいぶん長くなりましたので、この話はまた次の機会に。
【参考文献】
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『九州電力40年史』(九州電力社史編集部会編集、九州電力株式会社発行、1991年)
・『日本経済新聞』1989年3月16日(木)夕刊
【α星人のメッセージ解読】
① ヨウコソ スーパーシップ ナインヘ
② アタラシイ セカイノ デアイヲ モトメテ
③ デアイ フレアイ ユメヒコウ
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #九州電力 #スーパーシップ9 #α星人? #博多祇園山笠 #木島安史 #田中弥寿
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
※ 誤字を修正しました。(2024年7月26日)
2024年7月24日水曜日
特別展「大灯籠絵」を楽しむために その11 お祭り会場の背景にも注目
THE ASTONISHING WORLD OF GIANT LANTERN PAINTINGS
会期:2024年9月13日(金)~11月4日(月・休) 会場:福岡市博物館
この秋、福岡市博物館では、特別展「大灯籠絵」を開催します。
展覧会の開催に向けて、「大灯籠絵」にまつわる話題をお届けします。
お祭りや祝い事のときに、家の入り口に張る長い幕(長さ10メートル以上のものもある)「幔幕」をご存じですか?
武家が陣営に張った陣幕や、お祝いの際に張る紅白幕も「幔幕」です。
博多では、100年くらい前、大正時代頃まで、
筥崎宮(福岡市東区箱崎一丁目)の秋のお祭り・放生会の際に、
お参りがてら家族や町内のひとたちと筥崎宮近くの松原にでかけ、幔幕を張って、
飲食などを楽しむ「幕出し」という習慣がありました。
幔幕の意匠はいろいろありますが、
博多では、「このデザインはあの町」という意匠があります。
「金魚」「雀踊り」「角力取り」「七福神」などが、その代表格でしょうか。
「大灯籠」を飾る町のなかでは、
大浜(福岡市博多区大博町)の「あやめ」の幔幕があります。
2024年7月17日水曜日
特別展「大灯籠絵」を楽しむために その10 絵師「一得斎高清」
会期:2024年9月13日(金)~11月4日(月・休) 会場:福岡市博物館
この秋、福岡市博物館では、特別展「大灯籠絵」を開催します。
展覧会の開催に向けて、「大灯籠絵」にまつわる話題をお届けします。
特別展「大灯籠絵」では、福岡市内に伝わった「大灯籠絵」を一堂に集めるのですが、
「大灯籠絵」を製作した絵師についても取り上げます。
彼らは、人びとの求めに応じて、さまざまな形で絵を描き、福岡・博多の町で暮らしていました。
神社に奉納された絵馬や、さまざまな出版物などに、その作品を見つけることができます。
明治20年に出された「開化福博自慢」という出版物に
「浮世画工 水車バシ 一得斎」と掲載されている一得斎高清は、
このブログの 「その2 博多の夏祭りの風景といえば?」で紹介した
大浜流灌頂の大灯籠絵「大徳寺焼香之図」を描いた絵師です。
明治10年代から30年代(1870’s~1890’s)の活動が確認できます。
▲『福岡日日新聞』(23年5月9日号)掲載の連載小説の挿絵
ほかの絵師たちの活動や町とのかかわりについても紹介します。
どうぞ、お楽しみに。
(by おーた)