2023年12月22日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈067〉船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン─マリゾン(2)─
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラからご覧ください。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
〈067〉船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン─マリゾン(2)─
「都心に近い海辺のリゾート」を楽しめるシーサイドももちの「マリゾン」。
1989年のアジア太平洋博覧会(よかトピア)の開催にあわせてつくられ、海に突き出た形は当時「スーパーデッキ」と呼ばれていました。
白い砂浜からのびて海に浮かんでいるようなその姿は、当時も今も福岡のウォーターフロントを象徴する景色になっています。
よかトピア当時のマリゾンを調べてみると、小型ボートなどのマリンレジャーを体験できたり、レストランがあったりして、1か所でいろいろなことが楽しめる場所だったことがわかって、これまでもこのブログでお伝えしたことがあります。
その後も福岡市博物館が所蔵するよかトピア資料を見ていたのですが、以前は気づいていなかったものが出てきました。
せっかくなので、遅ればせながらここでご紹介します。
これは、マリゾンに発着所があったマリンカプセルのチケット(500円)。
マリンカプセルはヤマハ発動機とよかトピアが協力してつくった小型ボート。
カーステレオのようにオーディオまでついたレジャー仕様でした(→〈021〉)。
船舶免許はいらないのですが、バッテリーで動きます。
そのためか、裏面にはライフジャケットの着用や緊急時のことなど諸注意が書いてありました。
一方のこちらは、足こぎのペダルボートのチケット(600円)。
マリンカプセルとまったく同じ絵柄ですが、足こぎですのでこっちには裏面の注意書きがありません。
発着所もマリンカプセルはマリゾンの沖側、ペダルボートは砂浜のすぐそばになっていました。
〈064〉で紹介した海上レストランの写真も見つけました。
これは「インターナショナル シーフードレストラン セブンシーズ」のパンフレット。
※セブンシーズは〈064〉で衝撃だったワタリガニがまるごと入った海鮮ちゃんぽんを出していたお店です。
キャッチコピーは「いま、味覚のウォターフロント計画が進行中です。」(80年代っぽい!)
パンフレットを開くとレストランの内観や料理の写真が載っていました。
ところが載っていた写真を見てみると、これまでマリゾンの平面図から、1階にあったと思っていたセブンシーズは、どうも2階にもあったようです。
そう思って平面図を見直すと、たしかに2階部分には店名が書いてないので、直接階段で繋がった2階建てのお店だったと思われます(〈064〉に「1F」と書いたのをここで訂正します。すみません!)。
こちらがパンフレットに載っていたセブンシーズの1階部分。
ウッド調の内装デザインが窓の外に見える海とあわさって、リゾート感がありますね。
一方、こっちは2階。
写真が夜バージョンのせいもありますが、1階とは違って都会的で落ち着いたイメージです。
パンフレットによれば、2階にはアーティスティックなオブジェが飾られていて、個室もあったとのこと。
1階、2階どちらの雰囲気も、パンフレットのキャッチコピーと同様に80年代っぽさでいっぱいです。
これが博覧会の会場にあるのですからびっくりです。
博覧会の終了後も営業を続けるマリゾンのお店ならではの高級感ですよねー。
もちろんよかトピアの会期中のマリゾンは、パビリオンとしても利用されました。
調べてみると、サイズは小さいながらもパビリオンが5つと、ホールでの展示が1つ入っていました。
先ほどのマリンカプセルを提供していたヤマハ発動機は、「海と自然と、そこに冒険を求めて」をテーマに、「ヤマハマリンワールド」を2か所に出展していました。
パビリオンの外にはクルーザーを展示して、館内にはマリンスポーツグッズやダイビングのコーナーを置くなど、マリゾンのリゾート感をより高めていたパビリオンです。
展示だけではなく、マリンスポーツのショーとデモンストレーション、博多湾でのヨットレースも数多く企画して、海をまるごと会場に取り込んだよかトピアらしいイベントで博覧会を華やかに演出しました。
(ショーやレースはざっと数えてもこれだけありました)
・ヤマハマリンショー(マリンジェット・水上スキーのデモストレーション、クルーザーの試乗会など)
3月17~21日、5月3~5日
・Y-23(ヨット)マッチレース'89北部九州大会
3月25・26日
・ミニホッパー級(全長3.43mの1人乗りヨット)のジュニアチャンピオンレガッタ
3月31日、4月1・2日
・シーホッパー級(全長4.24mの1人乗りヨット)の西日本選手権
4月15・16日
・セイルボード博多湾オープンレガッタ
4月29・30日
・マリンジェットの西日本大会
8月19・20日
・ジュニアヨットのデモンストレーション
4月9・23日、7月9・26・27日、8月7~9・14~16・25~27日
マリゾンには船だけでなく、空のパビリオンもありました。
日航商事福岡支店が出展したのは、「JALミニパビリオン世界の旅」。
館内にはマクドネル・ダグラス社の飛行機DC-10の座席が20脚置かれていて、そこに座って前方の大型スクリーンに流れる衛星放送やディズニーショーを見ながら、旅行気分でくつろぐことができました。
JALの情報システムでは世界各地の情報が取り出せて、「イタリアのレストラン」「ニューヨークのコンサート」「パリで香水の買い物」などの検索も楽しめました。
インターネットが普及していないときですから、体験した方にとっては空間を超えて無限に興味が広がっていく夢のツールだったはずです。
そのほか、世界の有名空港を離発着できるジャンボジェット機の操縦シュミレーターや軽食のラウンジもありました。
6月1日には北海道からスズラン500本を福岡まで空輸して、客室乗務員から来場者にプレゼントするイベントが好評だったそうです。
飛行機にたずさわる会社ならではの企画ですよね。
情報システムといえば、マリゾンには、ミサワホームと国際総合データベースが出展した「ミサワパビリオン データベースプラザ」もありました。
データベースマルチシアターでは、27台の画面を使ってデータベースの解説やCNNの衛生放送を放映。
コミュニケーションスペースに置かれた2台のコンピューターでは、実際にデータベースの便利さも体験できました(ただこのデータベースはCD-ROMだったそうです。1989年ですものね、そりゃそうです)。
「国際協力館」というパビリオンもマリゾンに入っていました。
この「国際協力館」は、国際協力事業団や日本商工会議所など国内の33団体で出展されたもの。
アジア諸国と日本との関係を貿易・投資、経済協力、技術協力、文化交流などいろいろな角度から紹介する展示でした。
国際協力というとかたいテーマでしたが、アジアのこどもたちが描いた絵を見られたり、各国の絵本や教科書を自由にさわることができたりして、好評だったようです。
実際に手に取れるのはいいですよね。
7月30日と8月13日には、マリゾンの真ん中の広場でアジアからの留学生を迎えて交流イベントも開かれたとのこと。
民俗舞踊・盆踊りや歌、「お国自慢サミット」「アジアどこ?どこ?クイズ」、ブラスバンド演奏やパレードなどで盛り上がったそうです。
ちなみにこの「国際協力館」の上の階が「マリゾンホール」。
ここでは、「海とレジャーと冒険」をテーマに、マリンレジャー文化について展示する「マリゾン&アウトドアフェスタ'89」を開催していました(西日本新聞主催、6月8日まで)。
5つ目のパビリオンは「民間大使館」。
最初「民間大使」って何?と思ったのですが、ここはアマチュア無線好きのみなさんが集まったパビリオンでした。
テーマは「今・福岡から発信する、あなたも1人の外交官」。
日本アマチュア無線連盟の福岡県支部が中心になって、公募で45人を集め、アジア太平洋博覧会特別局実行委員会を組織し、運営していました。
※日本アマチュア無線連盟は「大阪万博」(1970年)、「つくば博」(1985年)、「花の万博」(1990年)などでも特別記念局を開局しています。
15の周波数帯を使って、会期中に国内外5万局と交信し、テーマの通り民間の外交官として、海外と積極的に交流しました(無線機の使用は免許が必要ですので、交信は日本アマチュア無線連盟の会員がおこないました)。
ちなみに当時使われたコールサインは「8J6APX」です。
確かに電波を使えば、軽々と空を飛んで、海外の人々と「であう」(←よかトピアのテーマ)ことができます。
まさに「民間大使」のパビリオンでした。
無線局らしいイベントだったのは、会期中に月2回程度おこなわれていた「きつね狩り(フォックスハンティング)」。
怪しげなネーミングですが、これは電波の送信機を「きつね」に見立てて、その電波を受信しながら送信機を探し出す、電波の鬼ごっこ、あるいはかくれんぼみたいなものです。
ローカルルールや車を使って移動する場合などいろいろな形があるようなのですが、日本アマチュア無線連盟では「ARDF(Amateur Radio Direction Finding)」(アマチュア無線の電波による方向探査競技)としてルールを定めています。
競技化されたARDFは、地図や方位磁針を使いながら定められた地点を探し出して山のなかをかけめぐるスポーツ、「オリエンテーリング」の要素を取り入れていますので、なかなかハードです。
※日本アマチュア無線連盟のARDFのサイトはコチラ。
1981年ごろから日本でもおこなわれるようになって、日本アマチュア無線連盟が事業として普及させていくのが1991年からといいますので、1989年のよかトピアで開催されたころは、ちょうどこれから「ARDF」を流行らせていこうというときだったと思われます。
ただ、よかトピアでおこなわれた「きつね狩り」は、あくまで博覧会の来場者向けのゲームですので、その簡易版。
会場内に置かれた複数の送信機(きつね)から送信されるFM電波を、民間大使館でレンタルしたポケットラジオで受信しながら探し出して、見つけた証拠として送信機に書いてあるメッセージを配布されたカードに書き写し、1時間のうちにたくさん見つけた人が勝ちというものです。
優勝者にはトロフィーが贈られました。
こどもの参加も多く、ゼッケンとサンバイザーを付けて、小型ラジオを手に送信機の探索を楽しみました。
今回はじめて気づいたのですが、ゼッケンをよく見ると、明太子の「ふくや」さんの社名と「よかトピアFM」の文字が入っていますね。
このイベントのスポンサーだったのかもしれませんね。
こうしてよかトピアのときに福岡タワーと同期デビューし、未来の福岡を感じさせてくれたマリゾン。
シーサイドももちにおさまらず、今でも福岡の観光地としていろいろな形で活躍しています。
よかトピア後のマリゾンの姿も、このブログでぜひ追いかけてみたいと思っています。
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・ウェブサイト
・マリゾンの公式サイト https://marizon.co.jp/
・日本アマチュア無線連盟(JARL)の公式サイト https://www.jarl.org/
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #マリゾン #ヤマハ #ヨット #JAL #アマチュア無線 #ARDF #ハム #きつね
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]
2023年12月20日水曜日
常設展示室のオンラインツアーを行いました!
福岡市博物館では先週、市内の院内学級の児童さんに向けて、今回で2回目となる「博物館常設展示室オンラインツアー」を行いました✨
教育普及担当が、院内学級の児童さんとつながったデバイスをもって常設展示室へ。
たくさんの展示資料のなかから選りすぐりの資料を、画面を通してご紹介しました。
資料の選定は、担任の先生にリクエストいただき、主に、教科書で取り上げられているものや、歴史の学習の復習になるものが選ばれました。
弥生時代、福岡周辺で誕生した土器の展示コーナーをご紹介しています。
今回のオンラインツアーでは、展示資料に加え、模型や地図、実際の遺跡の写真など、よりイメージの膨らむ解説資料もあわせてご紹介しました。
これは、源平合戦の古戦場である一の谷の急な崖を表現しています。
実は、歴史はあまり…💦と仰っていた児童さんですが、楽しげに話を聞いたり、疑問に思うことは教育普及担当に尋ねたり、双方コミュニケーションを取りながらのツアーとなりました。博物館の楽しさ、歴史を学ぶ面白さを知っていただけたら嬉しく思います😊
ご希望の方、ご質問など、何かございましたら、ぜひお気軽に当館までお問合せください✨
2023年12月8日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈066〉子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内―よかトピアの象のはなし―
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
過去の記事はコチラからご覧ください。
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
〈066〉子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内─よかトピアの象のはなし─
先日、福岡市動物園に4頭のゾウがやってくるというニュースが話題になりました。
すでに4頭はミャンマーのヤンゴンにあるゾウキャンプで暮らしていて、来福の準備をしているとのこと。
ヤンゴンは福岡市の姉妹都市なのですよね。
12月3日にオープンした動物園内を見渡せる展望デッキ付きの休憩施設は、「ヤンゴン館」と名付けられています。
2012年に「おふく」(1975年入園)が、2017年には「はな子」(1973年入園)が亡くなり、空っぽになったゾウ舎を見るたびに寂しくなっていたので、うれしいお知らせでした。
4頭のゾウの来福がとても待ち遠しいです。
実はかつてシーサイドももちにもゾウがいました。
そんなことができたのは、そう、よかトピアです…。
福岡が市になってから100周年を迎える1989年にむけて企画されたアジア太平洋博覧会(よかトピア)。
1985年7月15日から博覧会の基本構想委員会がスタートしました。
この委員会では、会場内の配置やそこでおこなわれる展示・催事(イベント)、広報や交通輸送など、これから博覧会を具体化させていくための基本的な考え方が話し合われていきました。
イベントでは、アジア太平洋地域の各国から舞踊団や芸術家を招いたりすることとあわせて、そうした地域の景色や生活をイメージできるような、動物を活かした会場づくりも話題にあがったようです。
まだ構想の段階ですから、そこではカンガルーやフラミンゴ、パンダに至るまで夢は広がっていきました。
このうちアジア太平洋の鳥についてはバードカントリーという形で実現して、フラミンゴ(コフラミンゴ)も福岡にやってきました。
博覧会で野外展示を担当された貞刈厚仁さんの著書によると、インドからは蛇使いに来てもらう企画もあったのだとか。
ところが、その蛇が毒をもったコブラだったために断念されたのだそうです。
「川口浩探検隊シリーズ」に恐怖していた世代としては、ぜひ見たかった企画です(いや、どう考えても危なくて無理でしょ…)。
そうしたなかで、基本構想のときから候補にあがっていた動物がゾウでした。
さいわい当時の円高が予算面で後押ししたこともあって、アジアゾウの来福を実現することができました。
やってきたのは3頭。
故郷のタイから12日間に及ぶ船旅でした。
ゾウの名前は、プライジット(オス・6歳)、センドアン(メス・6歳)、ブアンガン(イープレイと呼んでいる資料もありました。メス・5歳)。
3頭とも、こどものゾウでした。
一緒にゾウ使いのスクラットさん(38歳)、オドさん(27歳)、トンスックさん(20歳)、ウイライさん(18歳)も来福されました。
育ての親でもあるみなさんと一緒で、ゾウたちも安心していたようです。
ゾウ使いのみなさんをまとめるのは、タイ出身のワタナシリさん(21歳)。
ワタナシリさんは現地の大学を卒業してすぐに来日されたそうです。
『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89』のインタビューでは、日本で困るのは言葉くらいで仕事は楽しいと答えながら、「寒い。タイは暑いので。でもゾウは大丈夫」と笑いながらお話しされています。
この3頭のゾウたちは、博覧会の開会(3月17日)から少し遅れ、数日のリハーサルを経たのち、4月22日からパフォーマンス「子象のパレード」を披露しはじめました。
「子象のパレード」の場所は、「三和みどり・エスニックワールド」のなかにある野外広場「パフォーマンス・プラザ」。
このブログでは、スタンプラリーをやっていた場所として紹介したことがあります。
今だと、TNC(テレビ西日本)があるあたりですね。
これは「三和みどり・エスニックワールド」を上から撮った写真です。
よく見ると、広場にはちゃんとゾウが写っていました。
「子象のパレード」は雨の日以外は毎日見られました。
ゾウの登場は1日に3回。
日によってたまに開始時間が違うときもあるのですが、おおよそ10時30分・13時・15時、もしくは(特に7~8月は)12時30分・14時30分・16時30分というパターンがほとんどでした。
「子象のパレード」は「子象のタクシー」と「ショー」の2本立てです。
「子象のタクシー」は、ゾウがこどもたちを背中に乗せて歩く大人気企画。
タクシーの乗客は小学生以下限定で、料金は1回100円です。
こどもたちを乗せて「パフォーマンス・プラザ」を歩きながら、広場にいるほかの観客と鼻でタッチしたりもしていました。
福岡タワーのすぐ下にゾウが歩いていたり、しかもその背中に乗ったりするこんな経験って、今後もないのではないでしょうか。
この「子象のタクシー」、会期中に約3万人のこどもたちが乗せてもらったそうです。
ところで、ゾウの食事は青草のほかにリンゴ・バナナ・ニンジンなどだったそうですが、こどものゾウとはいえ3頭もいますし、けっこうたくさん食べそうですよね。
そうなると、食事代も気になるところ…。
ちょっとお金の話で恐縮なのですが、「子象のタクシー」では1回のタクシー代が100円ですから、3万人乗せればざっと300万円になります(こどもの日は小学生以下は無料でしたので、あくまでざっとした計算ですけれど)。
よかトピアを主催したアジア太平洋博覧会協会の事務局長、草場隆さんの回顧によれば、このタクシー料金でゾウの食事代がずいぶん助かったのだそうです。
ちなみに、よかトピアの会期中に迎えた計量記念日にちなんで、3頭のゾウたちの体重をはかって、その重さの合計をクイズにする企画もおこなわれました。
※ 計量記念日は現在は新計量法の施行(1993年)にあわせて11月1日になりましたが、その前までは6月7日(1952年~)でした。
このクイズのために、わざわざ日本に3台しかない工業用の計測器が持ち込まれたそうです。
その結果、ゾウたちの体重は来福したときよりも重くなっていました。
見知らぬ土地での生活ですから心配になってしまいますが、ちゃんとたくさんご飯を食べていたということでしょう。
では、3頭の体重の合計はどれくらいだったでしょう?
ちなみに、おとなのアジアゾウの体重は、オスが4~5トン(4000~5000kg)、メスが2~3トン(2000~3000kg)くらいだそうです。
さて答えは…
3.843kg!
その内訳は、プライジット(オス・6歳)が1505kg、センドアン(メス・6歳)が1394kg、ブアンガン(イープレイ、メス・5歳)が944kgでした。
あわせて約3.8トンですから、3頭でようやくおとな1頭くらいの大きさだったのですね。
体重が増えたとはいえ、まだまだこどもの3頭でした。
「子象のパレード」のもう1つのパフォーマンスは、ゾウたちの「ショー」です。
こちらは、ゾウたちがダンスを踊ったり、サッカーをしたりというものでした。
こどものゾウですから、その姿はさらにかわいかったはずですよね。
この写真のボールを追う姿からも、そのかわいさと楽しさが伝わってきます。
(お尻のところに見える文字からすると、ボールを蹴っているのはブアンガンなのでしょうか?)
このほか、6月の毎週土曜日には、マリゾンがある浜辺「ビーチパーク」で、ゾウとの綱引きもおこなわれました。
14時~17時まで参加を受け付けて、17時30分からはじめるスケジュールです。
6月の土曜日は夏を前に夜間開場をはじめて、21時まで開けていましたので、それにあわせた夕方のイベントだったのでしょう。
まさか、今観光客で賑わっているマリゾンの海辺をゾウが歩いていたなんて…。
よかトピアを盛り上げてくれたこのゾウたちは、今でも多くの来場者の記憶に残っているようです。
今度福岡にやってくる4頭のゾウとも、たくさん思い出をつくっていきたいですね。
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #ゾウ #タイ #タクシー #ヤンゴン #福岡市動物園に象がやって来るってよ
[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル]