2014年06月07日

【明日】LOVE♡憲法を語るつどい「日本国憲法九条は、ノーベル平和賞候補になるほど、すばらしい︎」

LOVE♡憲法を語るつどい
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「日本国憲法九条は、ノーベル平和賞候補になるほど、すばらしい︎」
日時:2014年6月8日(日) 午後4時~5時半
場所:日本聖公会パウロ教会1階
福岡市中央区草香江2‐9‐22(草ヶ江幼稚園隣。城南線・草香江バス停で下車し西新方向へ歩いてすぐ)
講師:木村公一牧師(福岡国際キリスト教会牧師、西南学院大学・福岡大学非常勤講師)
主催 六本木9条の会
posted by 後藤富和 at 22:21| 平和

【福岡市議会】日本軍「慰安婦」問題に対する国の誠実な対応を求める意見書

日本軍「慰安婦」問題に対する国の誠実な対応を求める意見書

かつての戦争において,日本が近隣諸国の人々に多大な被害を与えてから,既に64年経ちますが,いまだに人々の戦争被害の傷は癒されていません。そして直接の被害者のみならず,その子孫も親世代が傷つき癒されていないことで傷ついています。日本軍「慰安婦」問題は,その象徴的な被害です。

2007年にはアメリカ,オランダ,カナダ,EUなどの議会において,日本政府に対し,「慰

安婦」問題の責任を認め,公的に謝罪することなどを求める決議が採択されています。2008年には,フィリピン議会の下院外交委員会並びに韓国及び台湾の議会でも採択され,国連などの国際的な人権擁護機関からも早期解決を求める勧告が出されています。国際社会は「慰安婦」問題を現在に通じる重大な人権侵害と認識し,日本政府が誠実に対応することを要請しています。

「慰安婦」問題に誠実に対応することは,戦争を遂行するために女性の性が利用されるという人権侵害が,二度とないようにするという日本政府の世界への意思表示となります。そして,アジアの人々の戦争被害の傷を癒し,和解して平和的に共存していく道筋をつくることになります。

被害者の訃報が相次ぐ中,被害者の存命中に納得できる解決が急がれます。

よって,福岡市議会は,国会及び政府が,1993年の河野内閣官房長官談話に基づき,次の事項について誠実な対応をされるよう強く要請します。

1 被害者出席のもと,国会で公聴会を開くこと。

2 「慰安婦」問題の責任を認めて,政府は公的に謝罪すること。

3 「慰安婦」問題の解決のため,政府は被害者の名誉回復を図ること。

以上,地方自治法第99条の規定により意見書を提出します。

平成21年3月 25日

衆議院議長、参議院議長、内閣総理大臣、法務大臣、外務大臣、文部科学大臣 あて

福岡市議会議長 川口 浩
posted by 後藤富和 at 22:05| 平和

日本軍慰安婦

インドネシア人元日本軍「慰安婦」被害者スリ・スカンティさん証言集会(西南学院大学)に来ています。
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木村公一牧師:私たちは未来世代の生存を脅かすことは絶対にしてはならない。それが未来責任。

スリさんの証言です。
以下のサイトから引用しました。
http://fightforjustice.info/?page_id=973
1934年、中央ジャワ、プルウォダディ郡で生まれる。
連行時の年齢:9歳
連行先:インドネシア、プルウォダディ郡の日本軍兵舎内にある「パパック館」"Gedung Papak"
くろまる 証言概要
しかく9歳で日本軍の将校に連れ去られました
私は郡長の末娘で、姉妹たちの中で最も美しいと言われていました。周辺の村々の若者たちの間でもよく知られていたようです。
日本の軍政の下で、経済的にも社会的にも苦しい日々をおくっていた1943年のある日、日本軍の将校が2人の副官と村長を伴って、グンディ村の国民学校(SR)で学んでいた私の家にやってきました。その時私はまだ9歳でした。
将校の名前はオガワといいました。2人の副官はいきなり威圧的な言葉と態度で両親に私を差し出すように命令したのです。拒否する父の胸には銃剣が突きつけられ、母はただ泣くことしかできませんでした。兵隊たちは力ずくで私を両親の腕からもぎ取るように拉致したのです。
しかくオガワの「所有物」として性暴力を受けました
こうして、私は自宅からそれほど離れていない同じプルウォダディ郡にある日本軍の兵舎に連れていかれました。私が監禁されたのは、日本軍の駐屯施設の中にある「パパック館」と地元の人たちが呼ぶ建物でした。この建物はいまもそのまま残されています。
この建物の二階はオガワの「将校住宅」で、一階は部隊の事務室として使われていました。オガワに命令する上官はひとりもいませんでしたから、彼はこの部隊の一番偉い人だったのかもしれません。この建物の二階の「将校マンション」で、私はオガワの「所有物」とされました。
他の兵舎には、下士官たちのために数名の若いジャワ人女性が私と同じように監禁されていました。
私は二階に閉じ込められ、一日に数分間だけバルコニーに出ることが許されました。オガワが私に行ったことは性行為ではなく、性暴力でした。子宮に深い傷を被って出血が止まらなかったこともあります。
しかく「日本軍に遊ばれた女」と誹謗され・・・
1945年のはじめ、私はようやくオガワの性暴力から「解放」され、グンディ村の自宅に帰されました。あまりに変わり果てた私の姿に両親は大きな衝撃を受け、直ちに入院治療を受けさせました。1カ月の入院で、傷ついた身体はある程度回復しましたが、心の深くに被った傷は癒えることはなく、その後も私を苦しめ続けたのです。
日本の敗戦によって日本兵は去りましたが、外出すると必ず村の若者たちから「日本兵に遊ばれた女」と誹謗されるようになったのです。
しかく苦しい戦後
私は二度結婚しましたが、子宮を損傷したため、妊娠することはできませんでした。いまの生活はとても恵まれているとは言えません。夫は以前、建築現場で作業中に事故にあい障害者になってしまいました。そのため私が夫の分まで働かなくてはならず、マッサージと死体を洗浄する仕事で日々の生計を立てています。

エカさん:日本がこのまま慰安婦問題を葬り去ろうとするならば、あなた方は国際社会において言語を失うだろう。慰安婦問題にきちんと向き合い解決したならば、日本はアジアのリーダーとして国際社会から尊敬される国になるだろう。

木村牧師:先日、慰安婦問題の院内集会には多くの国の大使が参加した。とりわけアフリカ諸国からの参加が多かった。それはアフリカでは軍事性暴力が今まさに問題になっているから。歴史に蓋をすれば歴史は繰り返す。だから蓋をしてはならない。
posted by 後藤富和 at 21:58| 平和

秘密保護法廃止を

天神で秘密保護法廃止を求める街頭宣伝を行いました。
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posted by 後藤富和 at 13:33| 平和

よみがえれ!有明訴訟原告団・弁護団声明

混迷を演出するのではなく,万全の事前準備で早期の開門を

2014年6月6日
よみがえれ!有明訴訟原告団・弁護団

本日,福岡高裁は,開門確定判決の間接強制に対する国の執行抗告を退けた。確定判決を履行しない場合の強制執行は司法の基本的な機能であり,佐賀地裁に続き福岡高裁は,三権分立の基本原理を国自らが破り捨てるという憲政史上前代未聞の暴挙に対して,断固とした回答を示した。
この間,昨年11月の長崎地裁の開門阻止仮処分以来,国は,開門義務と非開門義務の2つの矛盾する義務のはざまで身動きがとれないかのごとく,混迷を演出してきた。6月4日の開門阻止仮処分に基づく間接強制後も,ますます身動きがとれなくなったかのように振る舞っている。
しかしながら,そもそも形の上での義務の衝突を招いたのは国の責任である。開門阻止仮処分の手続のなかで,国は,開門確定判決の根拠になった諫早湾干拓事業と漁業被害の因果関係の判断を敵視して仮処分裁判所の判断の素材とすることを妨げた。一連の経過のなかで透けて見えるのは,開門確定判決があるにもかかわらず,何とか開門を回避したい,開門確定判決に従いたくないという,三権分立の基本原理さえも顧みない国の不遜な態度である。
いま国に問われているのは,自らが招いた形の上での義務の衝突をすみやかに解消することである。
確定判決による開門義務は,もはや争いようのない確定的義務である。他方,非開門義務は開門阻止仮処分にもとづくもので,仮処分自体確定したものでなく,また,仮処分は開門阻止訴訟による非開門義務の確定までの暫定的なものである。しかも,非開門義務を命じた仮処分は,事前準備なしの開門を前提としているのであって,開門による漁業被害の救済と,開門による農業,防災などへの悪影響の回避は,両立可能である。
矛盾の解消は,悪影響の出ないようにしっかりした事前準備を行い,開門阻止仮処分の保全異議手続や開門阻止訴訟において開門にともなう悪影響が発生しないことをきちんと主張立証すること,開門に不安を抱く人々に対する説明責任を果たすことでしかありえない。
今期,有明海のノリ養殖業は2000年暮れから2001年初頭の歴史的不作の再来に見舞われた。採貝,漁船漁業は,累積的な不漁のなかで,ますます深刻さの度会を増している。
危機に立つ有明海漁業を救済し,宝の海を取り戻すために,農業,防災などへの不安を払拭する準備工事に1日も早く着手して開門すること,それこそが国の歴史的責務である。
posted by 後藤富和 at 11:23| 有明海

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