総合車両製作所

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東急車輛のメーカーズプレート(KQ800形)

総合車両製作所 (そうごうしゃりょうせいさくしょ、Japan Transport Engineering Company)は、JR東日本グループの鉄道車両メーカー。JR東日本の100%子会社なので現在非上場。元々は東急グループの東急車輌製造であった。
東急車輛時代、英語名は近車と違い"車両"も英文(Tokyu Car Corporation)だったという武勇伝をもつ。東急時代は自社で製造した鉄道車両内にあるオレンジ色のメーカーズプレートが良くも悪くも有名だったが、2000年代以降はしょぼいステッカーでごまかしていた。
東急グループ時代から今のJR東日本グループ時代になるに至るまで、東急沿線でもJR東日本沿線でもなくKQ金沢文庫金沢八景駅間に本社と横浜製作所改め横浜事業所を構えるが、その経緯については本文を参照。

歴史[編集 ]

KQ逗子線から総合車両に通じる三線軌条。線路の先にある横浜事業所付近での撮影は粛清されました
横須賀・総武快速線の主E217系。今は同路線を走る車両はすべて、横浜事業所に近い鎌倉車両センター所属。
  • 太平洋戦争のどさくさで大東急 (削除) 紅い彗星 (削除ここまで)KQ、オバQケイオーを占領していた時期に、空襲でバーベキューにされた国鉄ないし大東急各線の車両再生で銭を稼ごうと、横浜市 金沢区にあった帝国海軍の工場跡地を強盗して盗急横浜製作所として創業。しかしここで問題発生。近隣を走る当時占領下のKQの線路幅が広すぎて、車両搬出入をしようにも国鉄と同じ線路幅を持つ生え抜きの東横線や同じく占領下のオバQ帝都線(占領直前はオバQ所属)と合わない。(削除) 京王線?あんな路面電車なんか知るか! (削除ここまで)そこで国鉄と裏取引を行い、横浜製作所への窓口に逗子支線を三線軌条化の上、横須賀線と接続して使わせることを承諾させる。(この記事も参照。)
  • 五島慶太公職追放で大東急解体→KQ復活後、国鉄からも新車製造の仕事を請けるようになった横浜製作所は、鼻柱の折れた湘南電車などを生み出した後、1953年に現在の社名に改称。以後首都圏を中心に全国各地の私鉄や国鉄(JR化後はコヒ中心)・公営交通に大量の(削除) 安普請 (削除ここまで)車両を送り込ませるようになり今日に至る。
  • アメリカ・バットマン社[1] との技術提携により銀色のさびない素材(以下ステンレス)で組み立てた鉄道車両を始めて製造、これにより塗装業者を大量に失職させたことから千葉動勞鐵道の怒りを買い、E217系投入まで東急車輛で製造されたステンレス車両は千葉支社管内への乗り入れが厳しく規制[2] されていた。(E217系も川重新津製を含めた全車両が横須賀沿線の鎌倉車両センターもしくは東海道沿線の国府津車両センター所属である。しかし、千葉ローカル運用への211系209系の中古車直接投入で規制はなかったことに)
  • 1968年南海沿線にあった大阪民国の大日本帝國車輛を吸収合併して大阪製作所とする。これ以後南海電鉄と系列の半壊電軌の車両受注を独占、[3] 鉄人28号ばかりか走ルンですまでも導入させる結果に。
  • 設立当初は東急、KQ、オバQ、ケイオーの4社が主要株主で株式上場していたが、1980年代に巨額の赤字を抱えた国鉄に「ステンレス車両のノウハウをくんないと山手線の新型車両頼んでやんないぞ![4] と脅され渋々提供。ステンレス車両の製造技術が インスパイアされて検閲により削除 となった為、後に東急電鉄の100%子会社となり上場廃止に到るのであった。2010年頃にはすでに存続の危機にあった。
  • 2012年4月に鉄道車両事業をJR東日本に、立体駐車装置事業および特装自動車事業は新明和工業に事業譲渡されることとなり、前者がこの総合車両製作所で、後者が東邦車輛東京エンジニアリングシステムズである。

特色[編集 ]

  • 前面二枚窓の(削除) 遭難 (削除ここまで)湘南型車両を最初に造った。(1950年)
  • コンテナや自動車用の冷蔵室も製造していたのだが、東急車輛製造時代から鉄道車両と違い例の(削除) パンツ (削除ここまで)東急マークが付いていなかった。自動車用冷蔵室は東邦車輛に丸投げされた。
  • 横浜事業所脇を走るKQ、都営浅草線経由で線路が繋がっているK'SEIパンダHOKSOの車両は、神戸(KQ)、豊川(K'SEI、HOKSO)で製造された車両についても、台車交換を口実に横浜事業所へ強制入場[5] させられる。
  • 新津車両製作所は舎弟。だが東急車輛製造改め総合車両製作所は品質面で追い越されてしまった。やんぬるかな。しまいにはその舎弟を取り込むこととなった。

禁則事項[編集 ]

  • 渋谷青ガエルを勝手に塗り替えること。
  • 金沢八景駅で「東急車輌はJR東日本に魂を売った裏切り者!」と叫ぶ。
  • 横浜駅コンコースで、走ルンですシリーズ導入反対の署名活動[1]を行うこと。[2]
  • 「電車市場?日車夢工房のパクリじゃん!」
  • KQの車両を撮影ついでに、隣接する横浜事業所敷地内にカメラを向け・・・ぐわっ!
死亡確認

ごめんなさい。ごめんなさい。
この時代ではお伝えできない事実が含まれていたため、投稿者は消去されました。

主な製品(鉄道関連)[編集 ]

東急5050系。走ルンですの東急バージョンで現在東横・みなとみらい線の主力車両。

東急車輛製造から売却された主な製品(鉄道以外)[編集 ]

東邦車輛[編集 ]

  • コンテナ
  • トレーラー

東京エンジニアリングシステムズ[編集 ]

  • 立体駐車場

脚注[編集 ]

  1. ^ 現在は鉄道車両部門を怪しいサプリメントを製造する会社に売却済。
  2. ^ 京葉線全線開業時はメルヘン顔の205系の投入は最小限に抑えられ、大多数が京浜東北線のお古で構成された。
  3. ^ 但し大阪製作所では1971年以降鉄道車両の建造を行わなかったことから、露骨な近車封じとも解釈できる。
  4. ^ 国鉄時代は他の車両メーカーにも同規格の車両を平等に製造してもらう必要があった。
  5. ^ 但し浅草線乗り入れが車両設備上不可能な最新型のスカイライナーやK'SEI車と共通設計ながらも現在東急車輛製造→総合車両製作所と取引のないくぬぎ山登山鉄道N800形は例外で、千葉貨物駅からトレーラーで北総鉄道印旛車両基地に陸送され、その後宗吾車両基地(K'SEI)やくぬぎ山車両基地(くぬぎ山登山鉄道)に回送された。

関連項目[編集 ]

ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア 専門家気取りたちが「総合車両製作所 」の項目を執筆しています。
長文が読めないバカな人のために、チャクウィキ バカたちが「総合車両製作所 」の項目を執筆しています。
  • JR東日本 - 国鉄時代から在来線・新幹線車両を製造。現在の親会社。
  • 東急電鉄 - かつての親会社。
  • 京浜急行電鉄 - 横浜事業所の脇を絶賛爆走中。KQの営業用車両はすべて旧東急車輌と川崎重工で共同設計した台車を使用中。トンネルの向こうにあるK'SEI、HOKSOへの車両搬入路でもある。
  • 南海電気鉄道 - 大阪民国における最大の取引先。
東急   
東急の路線
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TY東横線
5201新横浜MG目黒線 目黒 01BSicon TokyoNamboku svg.png01BSicon TokyoMita svg.png01
TM多摩川線→ ↓IK池上線 五反田 01
0121横浜 0715蒲田 大井町 01
(注記)紫の太線:SH新横浜線
直通先
東京地下鉄 : ZBSicon TokyoHanzomon svg.png 半蔵門線 - NBSicon TokyoNamboku svg.png 南北線 - FBSicon TokyoFukutoshin svg.png 副都心線 - (削除) HBSicon TokyoHibiya svg.png 日比谷線 (削除ここまで)
都営地下鉄 : IBSicon TokyoMita svg.png 三田線
東武鉄道 : TSスカイツリーライン - TI伊勢崎線 - TN日光線 - TJ東上線
西武鉄道 : SI有楽町線 - SI池袋線 - SI狭山線 - SI秩父線 - S-TRAIN
相模鉄道 : SO新横浜線 - SO本線 - SOいずみ野線
その他 : MMみなとみらい線 - SRくろまる埼玉高速鉄道
車両
東急3000系電車 | 青ガエル | (削除) 東急車輛製造 (削除ここまで)
その他
IZ伊豆急行線 | 上田交通(BEくろまる別所線) | 東急市 | 東急ハンズ

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