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ページID:41739更新日:2019年3月25日
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[目次]
SHI0012 国指定 史跡 [画像:谷戸城跡] |
やとじょうあと / 平成5年11月29日指定 / 北杜市大泉町 /北杜市 別名を城山・茶臼山・谷戸ノ城迹という。甲斐源氏の祖である平安時代末の逸見清光の居城と伝えられており、『甲斐国志』等によれば、天正10年(1582年)の天正壬午の戦いの際に北条氏による修築が行われたとされている。城内には一から六の郭があり、現在も土塁・空堀が良く残っている。 谷戸城跡の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SH0013 国指定 史跡 |
かいこくぶんじあと / 大正11年10月12日指定 / 笛吹市一宮町国分 / 笛吹市 天平13年(741年)の聖武天皇の詔勅により全国に建立された国分寺の一つ。講堂跡・金堂跡・塔跡の基壇や礎石が残り、南大門から講堂までが一直線に並ぶ大官大寺式の伽藍配置であることがわかっている。近年、史跡整備のための発掘調査が行われ、新たな知見が得られ始めている。 甲斐国分寺跡の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SH0014 国指定 史跡 |
かいこくぶにじあと / 昭和24年7月13日指定、平成13年1月29日追加指定、平成30年2月13日追加指定 / 笛吹市一宮町東原 / 笛吹市 天平13年(741年)の聖武天皇の詔勅により全国に建立された国分尼寺の一つ。甲斐国分寺跡に隣接しており、北方約490mの位置にある。講堂跡・金堂跡・の基壇や礎石が残る。 史跡指定の準備が整った範囲について、順次追加指定を進めている。 甲斐国分尼寺跡の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SH0016 県指定 史跡 |
たけだのぶとらのはか / 昭和35年11月7日指定 / 甲府市古府中町 / 大泉寺 武田信玄の父である武田信虎は天正2年(1574年)に信濃高遠で81歳で亡くなり、信虎自身が創建した大泉寺に葬らたとされている。中央の五輪塔が信虎の墓といわれている。 武田信虎の墓の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SH0017 県指定 史跡 |
たけだはるのぶしつさんじょうしのはか / 昭和42年8月7日指定 / 甲府市岩窪町 / 円光院 武田信玄の夫人の墓である。円光院本堂の左裏手に宝篋印塔1基がひっそりと建っている。平成23年に整備のために発掘調査を行ったが、宝篋印塔の下に埋設物等は無かった。 武田晴信室三条氏墓の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SHI0019 県指定 史跡 [画像:加牟那塚] |
かんなづか / 昭和43年2月8日 / 甲府市千塚三丁目 / 山梨県 甲府盆地西部にある6世紀後半に築造されたと考えられる円墳。墳丘は直径40〜45m、高さ約7mと推定されている。主体部(埋葬施設)は横穴式石室で、全長16.75m、奥壁幅3.3m、奥壁の高さ3.2mと県内で2番目に大きい規模を誇る。神獣鏡などが出土したとされているが現在は不明である。 加牟那塚の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SHI0021 県指定 史跡 [画像:勝山城跡] |
かつやまじょうあと / 平成8年5月2日指定 / 都留市川棚字城山 / 都留市・個人 桂川左岸の城山にある。標高571m。文禄3年(1594年)浅野氏重がこの城を築城したと伝えられている。現在も土塁・横堀・竪堀・テラス等がよく残っている。茶壺蔵が所在していたという伝承が残る。 勝山城跡の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |
SHI0022 県指定 史跡 [画像:連方屋敷] |
れんぽうやしき / 昭和38年9月9日 / 山梨市三ヶ所上新町他 / 山梨市・個人 甲府盆地の東部にあり、一帯は古くから交通の要衝であった。造営時期は判然としないが、発掘調査による出土品から鎌倉時代から南北朝時代に端を発する土豪屋敷と推定される。高さ2〜3mの土塁に囲まれた100m四方の不正形の区画で、土塁の外側に堀が一部巡る。 連方屋敷の位置図←こちらをクリックで地図がご覧いただけます。 |