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黄砂飛来の数日後に常位胎盤早期剥離が増加
〜人を対象とした疫学研究の成果〜
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ、環境記者会、文部科学省記者会、九州大学記者クラブ、科学記者会同時配付)
東邦大学
九州大学
国立研究開発法人国立環境研究所
1.研究の背景について
研究グループでは、大気環境が人の健康に与える影響、とくに妊婦とその子どもの健康への影響について研究を進めています。大気環境の中には、アジア内陸部の砂漠由来の砂ぼこりが偏西風に乗って日本を含む東アジアの国々に飛来する現象(黄砂現象)があります。黄砂(注1)は、微生物や大気汚染物質を巻き込んで日本に到達するので人への健康影響が心配されており、黄砂が飛んできた後には呼吸器や循環器の急性疾患が増加するという研究報告があります。しかしながら、妊婦自身やお腹の子どもへの影響についてはよく分かっていませんでした。
そこで本研究では、妊婦への健康影響として、産科救急疾患である早期剥離に注目し、黄砂との関連性について人を対象としたデータを用いて検討しました。
全妊婦の1%ほどに発生するとされる早期剥離とは、出産後に子宮壁からはがれてくるはずの胎盤が出産前に(子どもがお腹にいる時に)はがれてきてしまう状態で(図1)、妊婦については出血が多くなる、胎児については胎盤を通した酸素や栄養供給が絶たれることなどにより、母と子と両方の命に関わります。今のところ、その発生機序は分かっていませんが、もともと形成不全のある胎盤に炎症などの刺激が加わることで胎盤血管から出血が起こり、時間とともに大きくなる血のかたまりによって胎盤が子宮の壁からはがれてくるのではないかという学説があります。我々は、黄砂が全身性の炎症を引き起こして、心筋梗塞や脳梗塞などの急性疾患発生につながるのではないかと指摘されていることを受けて、「妊婦が黄砂にさらされると炎症をきっかけとして早期剥離を起こしやすくなるのではないか」という研究仮説を立てました。
2.研究方法について
黄砂が飛んできた日を決めるために、ライダーという観測装置の測定データを使用しました。ライダーは、レーザー光線を上空に打ち出して大気中のチリで散乱した光を高感度センサーで測定することにより黄砂の濃度分布を計測することができます。この研究では、ライダーが設置されていた9都府県(宮城県、茨城県、千葉県、東京都、新潟県、富山県、大阪府、島根県、長崎県)を研究対象地域としました。黄砂が飛んでくる時には、粒子状物質の中でもPM2.5より大きめの粒子を含む浮遊粒子状物質(SPM)の濃度がとくに上昇します。そこでライダーによる計測値だけでなくSPM濃度も考慮して、2009〜2014年の6年間で都府県毎に黄砂が飛んできたと思われる日を定めました。
また、日本産科婦人科学会(周産期委員会)による周産期登録データベースを用いました。調査対象地域とした9都府県内で2009〜2014年にかけてこの登録事業に協力した113病院において、必要なデータが得られた単胎出産妊婦3,014人を対象として、早期剥離の危険因子と考えられている妊娠年齢、喫煙、血圧などの影響を考慮し、日によって条件が変動する気象要因(気温、湿度、気圧)も加味して、黄砂と早期剥離の関連性を分析しました。
3.主な結果について(黄砂と早期剥離との関連性)
研究期間中の黄砂飛来日数は15日(新潟県)〜71日(長崎県)でした。早期剥離が発生した日が分からなかったので、先行研究を元に早期剥離が発生してから出産まで1日以内と仮定し、出産日を起点としてそこから1〜6日前の黄砂が早期剥離をともなう出産と関連しているのか分析しました。その結果、出産の1〜2日前(前日と2日前のいずれかあるいは両方)に黄砂が飛来していた場合、早期剥離が40%増加(黄砂がない日の1.4倍、結果の精度を示す95%信頼区間:0〜100%)していました(図2)。黄砂飛来時には大気汚染物質(二酸化窒素、二酸化硫黄や光化学オキシダント)の濃度が高くなる傾向があるので、統計学的にそれらの要因の影響を取り除いた分析結果でも、黄砂と早期剥離の関連性が認められました。また、急激に進行し分娩にいたった(早期剥離発生から出産までが1日以内)という仮定によく当てはまる妊娠35週以降の緊急分娩にしぼった検討を行ったところ、黄砂と早期剥離の関連性はより強く検出されました[増加率60%(黄砂がない日の1.6倍)、95%信頼区間:0〜170%]。
4.考察および今後の展望について
今回、黄砂が飛来した1〜2日後に早期剥離をともなう出産が増えるという関連性が示されました。これは人を対象とした疫学研究の成果としては世界初です。
黄砂が早期剥離を引き起こす機序についてこの研究では明らかにできませんが、考えられる機序について紹介します。黄砂は微生物や大気汚染物質を巻き込んで日本に到達します。この微生物の中にはグラム陰性桿菌が含まれていると考えられています。グラム陰性桿菌の細胞壁の構成するリポ多糖は、妊婦に炎症を引き起こし早産の原因となることが知られています。また、以前、我々は大気汚染物質(とくに二酸化窒素)が早期剥離の発生と関連していることを発表していますので、黄砂とともに飛来した大気汚染物質による炎症が早期剥離につながった可能性もあります。さらに、一部は黄砂の間接的影響かもしれません。例えば、ぜん息は早期剥離の危険因子と言われていますので、黄砂によりぜん息症状が悪化し、それが早期剥離を引き起こしたとも考えられます。
本研究での主たる注意点は二つです。第一に、ライダーは上空に打ち出すレーザー光の散乱を計測するため人の生活域の黄砂を直接測定しているわけではない点です(生活域に黄砂はなかった可能性があります)。第二に、早期剥離が発生した日が記録されていたわけではなく出産1日前と仮定したという点です(この仮定が誤っている可能性があります)。ただし、第一の点については、大気には上下方向の循環があるので上空に飛んできた黄砂は人の生活域に降りてきていると考えられますし、第二の点については、発症から出産までが1日以内という時間経過の当てはまりがよいであろう緊急分娩にしぼって分析したところ、黄砂と早期剥離との関連性はより強く検出されたので、おそらくこの仮定は正しいものと推察しています(40%増→60%増)。
本研究結果は、「黄砂にさらされた妊婦では早期剥離が起こりやすくなる」という研究仮説を支持していました。黄砂が妊婦の健康にどのような影響を与えるのか研究を進めることは早期剥離の発症機序を解明する糸口になる可能性があります。我々は今後も妊婦やその子どもの健康に影響する環境因子を明らかにしていくことで、母子保健の向上を目指す取り組みにつなげていきたいと考えています。
5.注釈
※(注記)1:黄砂
アジア内陸部の乾燥・半乾燥地域における強風により巻き上げられる微小な砂塵、およびそれが偏西風により輸送されて風下域の大気を混濁させる現象。砂塵はケイ素などの金属元素からなる数μm大(日本到達時)の粒子で、従来黄砂の観測は気象台における目視(担当者が上空を目で見て判断する)によっていたが、気象庁では黄砂観測地点を順次減らしつつある。ライダーでは、目視では困難だった黄砂の量的観測が可能である。
6.研究助成
本研究は、JSPS科研費 JP18H03388(研究代表者:道川武紘)の助成を受けて実施されました。
7.発表論文
8.問い合わせ先
【研究に関する問い合わせ】
(全般)
東邦大学医学部社会医学講座衛生学分野
講師 道川 武紘
TEL: 03-3762-4151(内線2402)
(産科にかかる内容)
九州大学大学院医学研究院保健学部門
教授 諸隈 誠一
TEL: 092-642-6708
(黄砂にかかる内容)
国立研究開発法人国立環境研究所 地域環境研究センター
主任研究員 清水 厚
TEL: 029-850-2489
【報道に関する問い合わせ】
学校法人東邦大学 法人本部経営企画部
〒143-8540 東京都大田区大森西5-21-16
TEL: 03-5763-6583 FAX: 03-3768-0660
Email: press(末尾に@toho-u.ac.jpをつけてください)
九州大学広報室
〒819-0395 福岡県福岡市西区元岡744
TEL: 092-802-2130 FAX: 092-802-2139
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国立研究開発法人国立環境研究所 企画部広報室
〒305-8506 茨城県つくば市小野川16-2
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