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内外情勢の回顧と展望(平成18年1月)

第2 平成17年の国際情勢

第2 平成17年の国際情勢





(1) 北朝鮮核問題は,共同声明後むしろ複雑化の様相


― 北朝鮮は,6者協議共同声明後,それをカードに,交渉長期化による核放棄の引き延ばし,援助獲得に全力―
― 中国は,共同声明を大きな成果と評価,今後,協議長期化の予測の下,北朝鮮の体制安定を重視し,同声明の定着化と協議枠組みの維持に努力―
― 韓国は,「重大提案」を前面に出すなど,6者協議に積極的対応―
― ロシアは,中国・韓国と協力しつつ協議枠組み維持を主眼に対応―



北朝鮮は,「核兵器保有」宣言や核兵器増強示唆など瀬戸際戦術を展開したが,中国・韓国の働き掛けもあり協議再開に合意〉

北朝鮮は,米国のライス国務長官の「圧政国家」発言(1月)に激しく反発する中,2月10日,外務省声明で「核兵器保有」を初めて公式に宣言するとともに,6者協議への「無期限参加中断」を表明した。その後も,「正当防衛のために核兵器の更なる増産は当然」と主張したり(3月,外務省備忘録),寧辺の5,000キロワット黒鉛減速炉の稼働を停止させ(3月末),同原子炉からの「8,000本の使用済み核燃料棒の取り出し」を表明する(5月,外務省報道官)など,核兵器の増強を示唆した。
中国は,このような北朝鮮の動きを6者協議の枠組みを危うくするものととらえ,関係各国への調整外交を積極的に推進した。特に,北朝鮮に対しては,王家瑞共産党中央対外連絡部長を訪朝させ(2月),「6者協議を通じて核問題を解決することは中朝双方の利益に合致する」旨の胡錦濤国家主席のメッセージを金正日総書記に伝達し,6者協議への早期復帰を強く促した。米国に対しても,胡錦濤国家主席が3月,訪中したライス国務長官に「我が国は,半島の非核化,平和と安定の擁護に努めており,関係各国と共に,6者協議の早期再開を促したい」と強調するなど,6者協議の早期再開を働き掛けた。
また,韓国も,南北次官級協議が10か月振りに開催される(5月)など,停滞していた南北交流の再開を契機に,6月,鄭東泳統一相が訪朝し,金正日総書記との会談の場で200万キロワットの電力支援と送電設備などの関連施設建設を内容とする「重大提案」を説明するなど北朝鮮に6者協議復帰を働き掛け,金正日総書記から「米国が我々を尊重する意思が確かなら7月中にも6者協議に参加できる」との言辞を取り付けた。
このような各国の働き掛けの中で,米朝両国は,5月ころから6者協議再開に向け,ニューヨークの国連代表部を通じた接触を繰り返し,北京で行われた米朝接触(7月)で第4回6者協議の7月下旬開催に合意した。


第4回6者協議で初の共同声明を採択。北朝鮮は核放棄を「約束」するも,「軽水炉供与が条件」と主張〉

約1年振りに開催された第4回6者協議(第1セッション:7月26日〜8月7日,第2セッション:9月13〜19日)は,全体協議のほか二国間協議も活発に行われ,北朝鮮側も過去3回と異なり,過度な対米非難を控え,実務的に対応する姿勢をみせた。協議では,我が国や米国,韓国が,北朝鮮に「すべての核兵器と核計画の検証可能な廃棄」を求めたが,北朝鮮は,従来どおりウラン濃縮計画の存在を否定するとともに,「核の平和利用」の権利を主張し,軽水炉の供与を要求したため,協議は休会を余儀なくされるなど難航した。しかし,最終的には議長国・中国の働き掛けもあり,米国側が「軽水炉供与問題」を文面に盛り込むことに応じ,2003年(平成15年)8月の6者協議開始以来,初となる共同声明が採択された。
共同声明(骨子)

・ 北朝鮮は,すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること,並びに,NPT及びIAEAの保障措置に早期に復帰することを約束
・ 米国は,北朝鮮に核兵器又は通常兵器による攻撃を行う意図を有しないことを確認
・ 北朝鮮は,核の平和利用の権利を有する旨発言し,他の参加国は,適当な時期に北朝鮮への軽水炉提供問題を議論することに合意
・ 北朝鮮と米国は,相互の主権尊重,平和的な共存,及びそれぞれの政策に従い国交正常化の措置を採ることを約束
・ 北朝鮮と日本は,平壌宣言に従い,不幸な過去を清算し懸案事項を解決することを基礎に,国交正常化の措置を採ることを約束
・ 6者は,エネルギー,貿易,投資の分野における経済面の協力推進を約束し,北朝鮮に対するエネルギー支援の意向を表明
・ 6者は,「約束対約束,行動対行動」の原則に従い,調整された措置を採ることに合意


ところが,北朝鮮は,協議閉会翌日,「共同声明には我が方の一貫した立場が反映された」とした上で,「核兵器不拡散条約(NPT)復帰や『国際原子力機関』(IAEA)の査察受入れは,軽水炉供与後」などと表明し,その後もこの主張を繰り返した。こうした背景には,北朝鮮が,共同声明により米国から北朝鮮への軍事攻撃の意図がないことの確認を得たことを,事実上の「安全の保証」の獲得として,6者協議における最も重要な外交的成果と評価した上,「軽水炉供与問題」をカードに,更に強い姿勢で交渉を展開しようとの思惑があるとみられる。
中国は,議長国として共同声明の取りまとめに強い意欲を持って取り組んだだけに,その採択を「最も重要な外交成果」と評価した。
韓国は,共同声明採択について,「『重大提案』が大きな役割を果たした」,「韓国外交の勝利」とした上,今後,北朝鮮の核問題で韓国が大きな役割を果たしていく旨の意思を表明した(9月,鄭東泳統一相)。
ロシアは,共同声明について,「ロシアの主張が反映されている」とした上で,北朝鮮のNPT復帰を条件に同国への軽水炉提供の意向を表明した。


胡錦濤国家主席訪朝後の第5回協議でも実質的進展みられず〉

第5回6者協議議長声明(骨子) 中国は,第4回6者協議での共同声明発表後の10月28日から30日までの間,胡錦濤国家主席が就任後初めて訪朝した。胡錦濤国家主席は,金正日総書記との会談で,一党支配体制を堅持する朝鮮労働党の指導力を高く評価した上で,新たな情勢下での両国関係の発展に向け,(1)経済・貿易協力を推進,(2)中朝の積極的協調・協力により共通利益を擁護,などの提案を行うとともに,核問題については,「共に努力し,共同声明で提起された全体的目標を実行に移し,新たな進展を収めたい」旨表明し,これに対して金正日総書記は,「共同声明どおり第5回6者協議に参加する」と言明した。このように胡錦濤国家主席の訪朝は,北朝鮮との友好関係の発展を「戦略的方針」として位置付けたものといえ,その背景には,共同声明で北朝鮮に核放棄を「約束」させたほか,米国から北朝鮮の「安全の保証」を得たのを契機に,北朝鮮への本格的支援・経済進出に乗り出そうとの中国の思惑があるとみられる。
こうして開催された第5回6者協議第1セッション(11月9〜11日)では,北朝鮮が,軽水炉の供与を核放棄履行の前提条件とする立場に固執したほか,米国の「対北朝鮮金融制裁」の解除を求めるなどしたため,核放棄の具体化に向けた実質的進展はみられず,共同声明の履行意思を再確認する議長声明を発表するにとどまった。中国は,「今回の会談は積極的な進展を収めたと考えるべき」との評価を示し,6者協議枠組みそのものの維持を重視する姿勢を改めてうかがわせた。
なお,北朝鮮は軽水炉に固執する理由を「米国との信頼醸成の基礎となる」,「エネルギー需要を満たすため」などと説明しているが,核放棄に否定的な軍部への配慮から,核放棄を先延ばしするとともに,核兵器開発の余地を確保する狙いがあるともみられる。


北朝鮮は,今後も核放棄の引き延ばしを図る可能性大。核保有国としての生き残りを図る懸念も〉

北朝鮮は,今後も,共同声明を強力な交渉カードとして,中国などとの協調を後ろ盾に,米国側に軽水炉の先行供与を要求するなど強気の姿勢で臨み,今後の交渉を複雑化・長期化させつつ,自国の富強化を目指すものとみられ,さらには,インドやパキスタンのような形で核保有国としての生き残りを図ろうとすることも懸念される。
中国は,6者協議議長国として,北朝鮮に核放棄を促す姿勢をとるとみられるが,同時に種々の国益上の配慮から,金正日体制の安定確保を最重視し,北朝鮮に早急な核放棄を要求することなく同国との政治・経済関係強化を推進しつつ,共同声明の定着化と6者協議枠組みの維持に努めるものとみられる。
韓国は,核問題の当事者としての立場を繰り返しアピールしつつ,米朝間の仲介に重点をおき,協議関係国への働き掛けを進めていくと思料される。
ロシアは,今後も議長国・中国と連携しつつ,6者協議の枠組みの維持と,ロシア型軽水炉の建設やエネルギー供給など経済権益の獲得を念頭に入れ,協議に対応するものとみられる。



(2) 「ニセ遺骨」問題で日朝関係が膠着する中,政府間協議が再開


― 北朝鮮は,「遺骨鑑定はねつ造」,「拉致問題は解決済み」との主張に固執―
― 1年振りの協議でも強硬姿勢を維持,「過去清算」要求を最優先―
― 拉致問題は,「家族会」等の努力などにより国際的広がり―



横田めぐみさんの「遺骨」鑑定結果を「ねつ造」と断じて反発〉

「日本の過去の清算を要求する国際連帯協議会」第3回平壌大会で討議する参加者ら(共同) 北朝鮮は,我が国政府が2004年(平成16年)12月に発表した横田めぐみさんのものとされる「遺骨」の鑑定結果を「ねつ造」と決め付けた上,「拉致問題は解決済み」との立場をとり続けた。1月には,我が国政府に対し,「遺骨」の返還や鑑定結果に関する真相究明及び責任者の処罰などを求めた朝鮮中央通信社「備忘録」(1月24日付)を伝えた。その後も,我が国政府に対する「通知文」(4月13日付)などの中で,「遺骨」鑑定結果に疑問を呈した英科学誌の記事などを根拠に,同旨の主張を繰り返した。さらに,第4回6者協議再開直前には,4年振りに北朝鮮各地で対日非難集会を開催した(7月中〜下旬)。


拉致問題に対抗して「過去清算」要求キャンペーンを展開〉

北朝鮮は,年初に我が国の「過去清算」の早期履行を求める外務省スポークスマン「声明」を発表し,「拉致問題は,日本が我が人民にもたらした不幸と苦痛に比べれば1,000万分の1にもならない」などと主張した(1月17日)のを皮切りに,その後も各報道機関を通じて同旨主張を繰り返した。また,「朝鮮人強制連行犠牲者」の遺骨に関する「調査報告書」(5月27日付,「朝鮮日本軍『慰安婦』・強制連行被害者補償対策委員会」)を発表し,「日本政府は,遺骨問題の真相を徹底的に究明し,すべての犠牲者・遺族らに公式に謝罪・補償をすべきである」などと主張した。さらに,北朝鮮主導の「日本の過去の清算を要求する国際連帯協議会」は,結成大会(2003年〈平成15年〉9月,上海)や第2回ソウル大会(2004年〈平成16年〉5月)に続いて,東京大会(5月,特別集会)及び第3回平壌大会(9月)を相次いで開催し,我が国政府の「過去清算」問題への対応の「不当性」をアピールした。こうした動きは,拉致問題の矮小化や多額の「補償」獲得,国際的反日包囲網形成などを目指したものとみられる。このほか,北朝鮮は,朝鮮総聯などを介して,我が国政界,マスコミ,親朝団体関係者らとの交流に努めるとともに,これら関係者を招請し,「過去清算」問題を始めとする日朝間の懸案問題に関する自国の主張をけん伝した上,支持取付けに努めるなど,我が国各界に対する働き掛けを一段と強めた。


6者協議を契機に政府間協議を再開〉

再開された日朝政府間協議に臨む宋日昊北朝鮮外務省副局長(左)と齋木昭隆アジア大洋州局審議官(共同) こうした中,北朝鮮は,第4回6者協議第2セッション(9月)で行われた日朝協議において,「日本無視」姿勢を改め,中断中の政府間協議の再開に合意した。しかし,約1年振りに開催された政府間協議(11月3,4日,北京)で,北朝鮮側は,拉致問題に関し,新たな情報提供を行うことなく,横田めぐみさんや松木薫さんのものとされる「遺骨」について,自らの見解を述べるにとどまったほか,我が国側に対し,「過去清算」問題に真摯に取り組むよう改めて求めるなど,従前の対日姿勢を大きく転換させるには至らなかった。
なお,北朝鮮による拉致問題をめぐっては,「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)等の努力などもあって,ジェンキンス氏の著作で指摘されたタイ人拉致の疑いが表面化したり(10月),国連総会第3委員会で,拉致問題に言及して北朝鮮の人権状況を非難する決議案が初めて採択される(11月)など,非難の声が国際的に広がりをみせている。


小泉政権下での国交正常化への道筋を企図した働き掛けを強化〉

北朝鮮は,過去2度訪朝して金正日総書記と会談し,「日朝平壌宣言」に署名した小泉総理に日朝国交正常化実現への期待を抱き,同総理の任期中に後戻りできない国交正常化への道筋を付けるべく,朝鮮総聯などを介して,政界,経済界,マスコミ関係者らへの働き掛けに努めている。
北朝鮮は,こうした取組の過程では,我が国に対し,「拉致問題は解決済み」との立場を維持しつつ,同問題に対抗しての「過去清算」を執拗に要求してくるとみられるが,我が国政府の対応や国民世論の動向を見極めた上で,拉致問題打開のため,何らかの対応策を示してくる可能性もあろう。



(3) 中国・韓国の援助,外交成果の活用及び統制強化により安定確保に懸命の北朝鮮


― 6者協議での成果や中国・韓国との経済関係強化,住民統制強化,食糧配給制の修復などで金正日体制の安定確保に努力―
― 党創建60周年を盛大に祝賀,体制結束を内外にアピール―
― 今後は,体制の「安定化」要因・「不安定化」要因のせめぎ合いに―



6者協議での成果や情報統制の強化などで体制引締めに懸命の努力〉

北朝鮮では,「経済改革」の導入(2002年〈平成14年〉7月)以降,体制に対する不満の増大や貧富の格差の拡大,拝金主義的傾向のまん延,規律の弛緩,外部からの情報流入などの体制不安定化要因が顕在化し,金正日総書記の権威,住民間の「経済的平等」,軍・治安機関の強権支配,厳格な情報統制など,従前から体制を支えてきた諸要素に綻びが生じている。
こうした状況に対し,北朝鮮は,第4回6者協議での共同声明採択により,米国から事実上の「安全の保証」を獲得したとして,これを外交的大成果と強調して金正日総書記の権威回復に努めるとともに,中国・韓国との経済交流活発化や援助増大による経済再建への期待などにより,金正日体制の不安定化阻止に努めた。
また,外部情報の流入を「体制転覆を狙った思想・文化的浸透策動」として神経をとがらせ,中朝国境都市に平壌から治安関係者らを繰り返し派遣して住民の脱北や密輸の取締りを強化したり,国内貿易会社などの国際電話回線を大幅に削減する(3月)などして,住民の外部との接触に厳しい規制を加えたほか,国内に常駐する国際機関,NGOなどに対する国外への退去勧告や中朝国境地帯における外国人の入国の厳格化(9月)など,外国人の管理を強化する動きをみせ,統制強化を進めた。


農作業に国民を総動員,食糧配給制修復で社会秩序の強化を企図〉

北朝鮮は,1月1日付け新年共同社説において,農業部門に「総集中,総動員」すべきであると強調したのを皮切りに,年間を通して住民を農村支援に動員した。特に,田植え(5〜6月)と刈入れ(9〜10月)に際しては,「総動員令」を出し,学生や軍隊はもとより,党・政府機関や企業の幹部とその家族に対しても,支援労働を義務付けるなどした。この間,北朝鮮報道機関は,国家及び金正日総書記への忠誠を求める「集団主義」精神の発揮を繰り返し訴え,拝金主義を始めとする個人主義的風潮の抑制に努めた。
また,食糧生産の回復基調や韓国などからの食糧支援を背景に,食糧配給量を増量し,市場での穀物売買を禁止するなど,これまで破綻状態に陥っていた食糧配給制の修復に着手した(10月)。配給実施に当たっては,対象を職場に出勤した労働者に限定しており,「経済改革」後の物価高騰による生活苦で職場を離脱した中・下層労働者の復帰を促し,職場を通じた国家統制力の回復を図る狙いがあるとみられる。


党創建60周年を祝賀,体制結束を誇示〉

朝鮮労働党創建60周年(10月10日)に際しては,数万人規模の中央報告大会及び10万人出演のマスゲーム「アリラン」公演を始め,閲兵式,たいまつ行進など,多数の住民を動員した盛大な祝賀行事を実施した。これらの行事には,金正日総書記が,中国の呉儀副総理やロシアのプリコフスキー極東管区大統領全権代表と共に出席し,国内の結束と中国・ロシア両国との緊密な関係を背景とした体制の安定を内外にアピールした。また,白馬-鉄山(平安北道)間の大規模用水路(9月),中国の無償援助による「大安親善ガラス工場」(10月)などの建設プロジェクトを完工させ,これらを経済面での「成果」として宣伝した。
なお,金正日総書記の後継者問題については,具体的な動きはなかったものの,党創建60周年に関する論調に「継承問題を立派に解決した」(「労働新聞」10月4日付)との記述が登場したことなどが注目された。


今後は,体制の「安定化」と「不安定化」の相反する要因がせめぎ合う様相に〉

北朝鮮は,今後とも,中国・韓国からの経済支援・投資拡大や食糧生産の好転による食糧配給制の修復など社会統制手段の回復・強化により,体制の強化を図るものとみられる。
反面,中国・韓国等との経済交流拡大は,更なる外部情報の流入,拝金主義や貧富の格差の拡大を招く可能性がある上,食糧配給の基盤は必ずしも盤石とはいえず,配給量の不均衡や再停止などの事態が生じれば,住民の不満を増幅させるおそれもある。今後,これら「安定化」と「不安定化」の相反する要因の間のせめぎ合いが続くものとみられ,その推移が注目される。



(4) 胡錦濤国家主席訪朝で更に緊密さを増す中朝関係


― 胡錦濤国家主席訪朝を始め,要人交流が活発に展開―
― 鉱山・港湾部門で中国の対北朝鮮投資本格化の兆し,貿易額は引き続き伸長―
― 北朝鮮は,中国と並行して韓国,ロシアからの投資導入働き掛けを強化の見通し―



要人の交流を通じて更なる両国関係の強化に合意〉

北朝鮮と中国は,2004年(平成16年)に引き続き党・政府要人の交流を活発に行い,北朝鮮の核問題をめぐる6者協議(前述)への対応を緊密に協議するとともに,両国間の経済関係強化に合意した。
とりわけ,経済交流については,北朝鮮から朴奉珠総理が中国を訪問して(3月),胡錦濤国家主席や温家宝総理らと会談し,「投資奨励・保護協定」などに調印したほか,北京,上海,鞍山,瀋陽の工場・企業を訪れ,運営状況を視察した。また,金正日総書記は,訪朝した中国の呉儀副総理と共に,中国が無償援助した「大安親善ガラス工場」竣工式に出席し(10月),中国の支援に重ねて感謝の意を表明した。
さらに,10月下旬には,中国の胡錦濤国家主席が就任後初めて訪朝して金正日総書記と首脳会談を行い,両国が,(1)高位級の往来緊密化,(2)交流分野の拡大,協力内容の深化,(3)経済・貿易協力の更なる推進,(4)積極的な協力による共通の利益擁護,などで合意した。また,胡錦濤国家主席は,北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長との会談で,中朝企業間の投資協力の奨励に意欲を示し,金永南常任委員長も「互恵の原則に基づいて強力な措置を講じる」とこたえ,経済・貿易協力規模の一層の拡大に同意した。


中国の対北投資が活発化の兆し,中朝貿易額は過去最高に〉

朝中貿易総額の推移(中国海関統計より作成) 北朝鮮は,前年来,平壌や中国国内で各種商談会・展示会を頻繁に開催するなど,中国からの投資導入に取り組んできたが,2005年(平成17年)に入り,中国企業との間で,茂山鉄鉱山(咸鏡北道)の採掘や炭鉱開発とそれに関連した道路建設などの投資案件に合意したことが伝えられた(10月)。また,1990年代中盤以降,開発が沈滞していた「羅先経済貿易地帯」の開発について,両国地方政府の間で,羅津港及び同港と中国を結ぶルートの整備などに関する協議の進展が伝えられ(9月),北朝鮮の鉱山・インフラ部門への投資をめぐる中朝双方の活発な動きがみられた。
両国間の貿易については,2000年(平成12年)以降,貿易額が年々増加しており,2005年(平成17年)には,1〜10月期の貿易総額が,前年同期比約30%増の約13.3億ドルと大幅に増加し,年間では,過去最高を上回る勢いとなっている。内訳を見ると,北朝鮮側の輸入では,原油などの鉱物性燃料や穀物類が上位を占め,輸出では,従来の主力商品である水産物と共に,鉄鉱石や無煙炭などが大きな割合を占めており,北朝鮮が水産・地下資源を売って,エネルギーと食糧を手に入れる構図となっている。そのほか,食肉や機械類の輸入が伸びており,「経済改革」後の富裕層の登場や,老朽化した生産設備の更新に努める国内事情を反映している。


北朝鮮は中国経済への接近を強化する一方で,韓国・ロシアにも同様のアプローチの可能性〉

北朝鮮が中国との関係強化に努める背景には,産業基盤の老朽化や技術の立ち後れなどにより,資源輸出による外貨獲得や外部支援に依存せざるを得ない事情や,中国との関係を背景として核問題での対米交渉力を高める狙いがあるものとみられる。また,中国としても,北朝鮮を胡錦濤政権が重視する東北3省の経済振興策を進める後背地として利用するほか,北朝鮮との経済関係を強化することによって,朝鮮半島に対する影響力を高める狙いがあるものと思われる。
北朝鮮は,自国の経済基盤を強化する上から,当面,中国のこうした思惑に乗じて,引き続き中国経済への接近を図る一方で,過度の中国依存を避ける意味からも,韓国やロシアからの投資引き入れや,対日関係の改善も視野に入れた各国への働き掛けを強めることが予想される。北朝鮮をめぐるこれら周辺諸国の経済交流の活発化は,核問題や日朝関係にも少なからぬ影響を及ぼすものとみられる。



(5) 南北関係発展の雰囲気作りに努める北朝鮮


― 北朝鮮は,「我が民族同士」を強調し,韓国取り込みに向けた友好ムードを演出―
― 韓国は,対北朝鮮宥和姿勢を一段と鮮明化―



北朝鮮は,南北交流を積極展開。韓国から食糧支援や経済協力を獲得〉

主要南北会談 北朝鮮は,韓国政府が大量の脱北者をベトナムから受け入れた(2004年〈平成16年〉7月)ことなどへの反発から,政府間交流を一方的に中断していた。しかし,そうした中でも盧武鉉政権が北朝鮮への宥和姿勢を維持し,対話再開を繰り返し働き掛けてきたことを踏まえ,5月の南北次官級実務会談を機に,「南北共同宣言5周年」(6月15日)や「解放60周年」(8月15日)を更なる韓国取り込みの好機とすべく,「我が民族同士」を強調しつつ,南北交流を積極的に展開した。
「南北共同宣言5周年」に際して開催した「民族統一大祝典」(平壌)では,金正日総書記と鄭東泳統一相との会談を急きょ設定するなど,韓国側の意表をつく形で友好ムードを演出した。また,「解放60周年」に際して行われた「自主・平和・統一のための8.15民族大祝典」(ソウル)では,「祖国平和統一委員会」の金己男副委員長(党書記)を団長とする代表団を派遣し,朝鮮戦争の戦没者らが埋葬されている「顕忠院」を北朝鮮代表として初めて訪問するなど,南北の「宥和・和解」をアピールした。なお,これら行事の中では,韓国側に対し,在韓米軍問題や我が国との竹島・歴史認識問題などで共同行動を呼び掛ける場面もみられ,これら問題をめぐる韓国内の反米・反日気運を一層盛り上げることで,米国や我が国との離間を図ろうとする動きとして注目された。
また,こうした行事と並行して閣僚・次官級の会談を相次いで開催し,韓国から食糧50万トン(前年比10万トン増),肥料35万トン(同5万トン増)や鉄道網整備などの支援を取り付けた。


韓国は,北朝鮮への支援を積極的に展開〉

韓国は,北朝鮮への経済支援について,「北朝鮮の核問題解決と南北協力を併行推進する」との方針(4月,鄭東泳統一相)の下,食糧などの支援のほか,今後の南北交流協力基金を大幅に増額することとし,鉱業,軽工業,水産業を対象として,今後5年間で5,000億円の大規模支援を行うとの複数年計画を初めて策定した(10月)。
また,国防白書から北朝鮮を「主敵」とする表現を削除した(2月)ほか,「祖国統一汎民族連合」(汎民連)など,国家保安法上の利敵団体関係者の訪朝を許可したり(7月,10月),北朝鮮賛美の発言を繰り返したとして国家保安法違反に問われた姜禎求教授の逮捕を阻止すべく千正培法相が憲政史上初めて指揮権を発動する(10月)などの動きもみられた。なお,韓国では,同教授の発言が契機となって仁川市所在の「マッカーサー将軍像」の撤去を要求する大規模な反米集会が開催された(9月)ほか,竹島問題や靖国問題などが浮上するたびに反日集会・デモが行われた。
北朝鮮は,こうした韓国内での情勢について,「南朝鮮のあらゆる階層で反米の気運が高まっている」,「日本反動らに対する我が民族の憤怒は極度に達している」などとして,反米・反日運動を繰り返し奨励するとともに,盧武鉉大統領の対北朝鮮宥和姿勢に反対する韓国野党ハンナラ党を「反統一売国逆賊党」などと非難して,盧武鉉政権の後押しに努めた。


南北関係は,今後も政治・経済レベルで進展する見通し〉

北朝鮮は,今後,2008年(平成20年)2月までの盧武鉉大統領在任中に南北関係を更に緊密化することに全力を傾注するとみられる。当面,韓国から食糧・エネルギー,インフラ整備などの支援を得たり,核問題での理解・同調を取り付けることを狙って,引き続き「我が民族同士」を訴えながら各種交流の働き掛けを強化することが見込まれ,その過程では,在韓米軍や竹島などの問題で共同行動を呼び掛け,韓国を「親北,反米・反日」の方向に誘導することに努めることも予測される。
一方,韓国でも,盧武鉉政権が,2007年(平成19年)の次期大統領選挙を視野におき,「過去史清算」などを通じて,保守陣営の弱体化に努めるとともに北朝鮮との各種交流に積極的に取り組むとみられる。
したがって,今後の南北関係においては,核問題などをめぐって紆余曲折を経つつも,政治・経済レベルでの更なる関係強化が図られると思われる。



(6) 組織力の回復・強化に努める朝鮮総聯


― 結成50周年を契機に在日朝鮮人の組織への結集を図る一方,若手活動家に対する思想教育を強化―
― 南北交流の活発化を背景に,対韓交流・対民団働き掛けを積極的に展開―



結成50周年を「組織の威容を誇示する好機」として諸活動を推進〉

朝鮮総聯は,組織の勢力や活動力が減退傾向にある中,その要因が,金正日総書記による日本人拉致自認(2002年〈平成14年〉9月)を契機とした活動家・会員の組織離反,世代交代に伴う活動家の同総書記・朝鮮総聯への忠誠心の低下や,在日朝鮮人の民族意識の希薄化などにあるとの認識の下,これら問題点の克服を目指して諸般の活動に取り組んだ。
具体的には,結成50周年記念日(5月25日)を,在日朝鮮人を組織に結集し,活動を活発化する契機とすべく,2004年(平成16年)10月から記念日までの間,「民族教育」活動と「同胞生活奉仕・福祉」活動を主要課題とする大衆運動(「8か月運動」)に組織を挙げて取り組み,とりわけ,朝鮮人学校の生徒募集,在日朝鮮人を対象とした生活相談や高齢者・障害者福祉施設の設置などに力を入れた。そして,記念日に際しては,「朝鮮総聯が在日朝鮮人運動の唯一の指導母体としての威容を誇示する絶好の機会」とし,中央・地方本部主催により,活動家・会員を多数動員しての記念大会や「在日同胞大祝典」,各界日本人を対象とした「祝賀宴」のほか,民族舞踊公演やスポーツ大会など多彩な祝賀行事を実施し,活動家・会員の士気高揚を図った。


金正日総書記への忠誠と朝鮮総聯活動へのまい進を強調〉

また,朝鮮総聯は,活動家の金正日総書記・朝鮮総聯中央への忠誠心の低下に強い危機感を抱き,組織の「革命的体質」を維持するため,活動家を対象とした思想教育に力を入れ,特に,「新世代活動家の育成問題は在日朝鮮人運動の命運を左右する深刻な問題である」として,若手活動家に対する思想教育を一段と強化した。
これら思想教育の中では,北朝鮮の「核保有」を肯定したり,第4回6者協議で発表された共同声明について「共和国(北朝鮮)の自主外交の勝利」と解説するなどして,活動家の北朝鮮に対する信頼感の回復に努めた。特に,幹部活動家に対しては,2005年(平成17年)が北朝鮮における「先軍政治」提唱10周年に当たることから,2月から3月にかけて,同総書記への絶対的忠誠を誓う「革命的軍人精神」を注入するための集中学習を実施した。
一方,北朝鮮も,こうした朝鮮総聯の取組に呼応し,前年比3倍となる約160人の若手活動家を自国に召集した上,金日成総合大学教授らによる金正日総書記の著作や「先軍政治」に関する講義,朝鮮人民軍部隊など各所の視察,北朝鮮の労働者・学生らとの交流などを実施して,金正日総書記への一層の忠誠と朝鮮総聯活動への取組強化を求めた。参加した若手活動家の中には,我が国再入国後,北朝鮮への傾倒を強めたり,活動家としての責務を自覚して朝鮮総聯活動への取組を積極化する者がみられた。
このほか,北朝鮮は,訪朝した各種代表団に対し,核問題や対日関係など北朝鮮の対外政策の「正当性」を組織内でけん伝するよう繰り返し指導した。


韓国民団内への浸透に向けて活動強化〉

朝鮮総聯は,「南北共同宣言5周年」(6月15日)や「祖国解放60周年」(8月15日)を契機に,北朝鮮と韓国との交流が活発化したことを受けて,韓国及び韓国民団との交流に積極的に取り組んだ。韓国との交流では,6月に北朝鮮,8月に韓国でそれぞれ開催された南北共同行事に代表団を派遣し,韓国側参加者との交流に努めた。また,両記念日に際し,韓国民団内部に「共同宣言の基本精神である『我が民族同士』の理念を解説・宣伝する」ことを目的として,民団の各地方組織に記念集会や講演会などの共催を働き掛けた結果,記念集会を実現させたほか,民団幹部を訪朝させたり,民団との間で継続的な交流に合意したところがみられた。


21全大会に向け勢力拡大と思想強化に引き続き努力〉

朝鮮総聯は,2007年(平成19年)開催予定の第21回全体大会で組織の「威容」を誇示するため,忠誠心の高い若手活動家の幹部登用を進めつつ,組織勢力の拡大と思想教育に一段と力を入れるとみられる。他方,北朝鮮の核問題や日本人拉致問題への対応如何によっては,活動家・会員の組織離反が加速したり,これまで封じ込められていた朝鮮総聯の「民主化・改革」を求める組織内グループが,再び活動を活発化させる可能性があり,また,整理回収機構による貸金回収強化などにより財政難が一層深刻化することも考えられ,それらが朝鮮総聯組織の帰すうに影響を及ぼすこともあろう。



2 中国



(1) 胡錦濤政権は,内政,外交,経済,軍全般で体制強化に全力


― 農民などによる抗議活動が政権の安定に対する潜在的脅威に―
― 共産党に危機感,「執政能力強化」に腐心―



胡錦濤政権の基盤強化に向け共青団出身者を徐々に起用〉

3月開催の第10期全国人民代表大会(全人代)第3回会議は,江沢民に代わり国家中央軍事委員会主席に胡錦濤国家主席・総書記を選出した(中国共産党中央軍事委員会主席ポストには2004年〈平成16年〉9月就任)。これにより,江沢民前国家主席はすべての要職から引退し,胡錦濤国家主席が党・国家・軍の長のポストに就任した。
地方の党・政府要職人事では,2004年(平成16年)秋以降,胡錦濤国家主席の出身母体である「共産主義青年団」(共青団)の出身幹部の起用が目立ち,胡錦濤体制の基盤強化に向けた動きとして注目される。


軍備の現代化への取組を一段と強化〉

人民解放軍は,2005年(平成17年)末を目標に20万人の兵力削減を進める一方,武器・装備のハイテク化とそれに対応した人材の養成,指揮系統の効率化などの軍の現代化による軍事力強化に取り組んだ。これについては米国及び周辺諸国から懸念の声が出された。また,史上初のロシアとの合同軍事演習を実施した(8月)が,その背景には,米国への牽制のほか,ロシアからのハイテク装備の導入への思惑もあったとみられる。
また,胡錦濤国家主席・中央軍事委員会主席が,9月に初めて「軍建設のための新指導理論」を示したことについては,軍内で,その学習活動が行われるなど,軍掌握に向けた動きとして注目される。


調和のとれた社会の建設を政策の中心課題とするも,経済の不安定要素が顕在化〉

都市と農村の一人当たりの所得格差 全人代では,2005年(平成17年)のGDP成長率を8%前後,インフレ率を4%に抑える目標が掲げられた。中国国家統計局によると,同年第3四半期(1〜9月期)までのGDP成長率は9.4%,インフレ率は2.0%であり,数字の上では,高いGDP成長率を維持しつつも,インフレは抑制されていることが示された。
しかし,金融,不動産のバブル崩壊への懸念のほか,供給過剰による製品在庫の増加や企業収益の鈍化,エネルギー供給のひっ迫など,多くの不安定要素が顕在化してきている。失業問題も「依然厳しい雇用情勢」との現状認識が示され(11月,労働社会保障部),さらに,都市と農村の所得格差も拡大傾向にあり,その是正は「調和のとれた社会」の建設を目指す胡錦濤政権にとって,喫緊の課題となっている。10月に開催された党第16期中央委員会第5回全体会議(5中全会)では,「国民経済・社会発展第11次5か年(2006〜2010年〈平成18〜22年〉)計画策定に関する党中央の提案」が審議・採択され,「調和のとれた社会」の建設に向け,「社会保障システムを整備して貧困人口を減少」,「都市と農村住民の所得水準と生活の質を向上」など,個人及び地域間の貧富の格差を是正する方針が打ち出された。


農民などによる集団抗議事件が引き続き多発〉

2005年(平成17年)は,引き続き中国各地で農民や労働者などが当局と衝突する集団抗議事件が多発した。各地での集団抗議事件は,1994年(平成6年)は1万件だったが,この後,急激な増加をみせ,2003年(平成15年)は6万件,2004年(平成16年) は7万4,000件とされる。その背景には,増大する貧富の格差に加え,党・政府幹部の汚職・腐敗,当局による乱開発と土地収用,さらには,地方政府が誘致した企業が引き起す環境汚染などに対する農民や労働者などのうっ積した不満があるものとみられる。汚職・腐敗については,最高人民法院などの発表によれば,2004年(平成16年),汚職で規律処分を受けた党幹部は約12万5,000人,うち刑事処分を受けた幹部は約2万4,000人に上り,また,公安部によれば,海外逃亡した汚職経済犯罪容疑者は約500人,横領金額は約700億人民元に達した(10月,新華社)。


集団抗議事件の原因除去に向けた地方幹部への厳しい対応措置〉

中国政府当局は,集団抗議事件発生の直接的原因の多くが,地方幹部の汚職や陳情不受理などの職務怠慢にあるとして,集団抗議事件を招来させた地方幹部に対しては,党の規律処分制度に基づき,職務解任など厳しい措置を講じた。その一方で,集団抗議活動の組織化や拡大を防止するため,インターネット統制や報道統制などの対応措置を強化した。温家宝総理は,3月の全人代で発表した「政府活動報告」の中で,農民や労働者などによる陳情の受理業務制度を改善して,社会の安定の妨げとなる集団抗議事件を防止することを当面の社会安定対策の重要課題に位置付けた。また,5月には「陳情条例」を改正して,陳情問題を適切に処理するよう地方幹部に義務付ける一方,陳情者に対しては,国家機関の建物を包囲するなどの行為を禁止した。


党員の規律低下への危機感から教育,指導を強化〉

胡錦濤政権は,2002年(平成14年)秋の政権発足以来,党の執政能力強化の一環として,人民生活の向上重視を柱とする「親民路線」を標榜しており,2005年(平成17年)に入ってからは,その具体策として「共産党員の先進性を保持するための教育活動」(保先教育)に力を入れた。
その背景には,党の人民に対する"求心力"喪失への危機感がある。党中央が1月,全国に発出した「共産党員の先進性保持教育活動に関する党中央の意見」では,(1)党員の資質向上,(2)党末端組織の強化,(3)人民大衆への奉仕,をその活動目標に掲げている。これについて,胡錦濤国家主席は同月,「政権基盤は腐敗によって最もたやすく弱まる。今の事態を放置すれば党に対する民衆の支持を失いかねない」と警鐘を鳴らしている。


胡錦濤政権の内政には課題が山積〉

胡錦濤政権は,2007年(平成19年)秋(予定)の第17回党大会及び2008年(平成20年)の北京オリンピックの成功を目指して,国内の安定確保に全力を挙げるとみられるが,貧富の格差,幹部の汚職・腐敗,農民の集団抗議事件の多発に加え,公害,炭坑事故などの発生もみられ,その前途には厳しいものがある。
こうした問題について,人民の不満がインターネットなどを通じて拡大し,各地で混乱が生じる可能性も否定できない。
これら住民の不満と暴動の根底には民主主義と人権という中国の体制にかかわる問題があることは,しばしば指摘されるところであり,また,人民が反発する深刻な汚職・腐敗を根絶しようとすれば,地方の党・政府幹部の強い抵抗を招くというジレンマもあり,胡錦濤政権は,山積するこれら課題への対応について,極めて慎重なかじ取りを迫られるものとみられる。



(2) 中国は,首脳が率先して全方位外交を積極展開


― 経済の持続的な成長に不可欠な資源の獲得などを狙いとした外交活動を強化―
― 米国との対峙傾向を強め,中ロ軍事演習などで牽制―



「全方位協調」を掲げ,積極外交を展開〉

中国は,様々な切迫した国内事情及び巨大化した経済を抱え,経済の持続的な成長を国家発展の絶対条件としているが,その事情を背景に,2005年(平成17年)は,引き続き「全方位の協調外交」を標榜し,大国外交,周辺外交,発展途上国外交を極めて積極的に展開し,自国の経済建設に有利な外部環境の形成に努めた。
このような積極的外交姿勢は,胡錦濤国家主席の外遊が,2003年(平成15年)の2回・7か国,2004年(平成16年)の3回・12か国から,2005年(平成17年)は6回・16か国と大幅に増加したことに端的に示された。この中で,胡錦濤国家主席は,7月,主要国首脳会議(英国グレンイーグルズ・サミット)の関連会合に2年振りに出席したほか,9月には,国家主席就任後初めて訪米し,ブッシュ米国大統領と会談(11月には,ブッシュ大統領が訪中)した。
アジア外交では,ベトナム(4月),フィリピン(5月)とそれぞれ第1回防衛・安全保障協議を実施したり,メコン川流域開発計画会議(7月)で,同地域のインフラ整備を提案するなど,影響力の強化を図った。
なかでも,中国は,経済の持続的な成長に不可欠なエネルギー・各種資源の確保が急務になっていることから,それに向けた対外活動を活発に展開した。とりわけ,石油の獲得には力を集中し,7月,世界の原油埋蔵量の45%を占める湾岸協力会議(サウジアラビアなど6か国で構成)との間で,自由貿易協定(FTA)締結に向けた交渉を開始した。さらに,8月から9月にかけて,カナダの石油会社がカザフスタンとエクアドルで所有する油田とガス田の買収に成功した。
中国は,こうした外交活動の積極的な展開に合わせて,自国の「平和的発展」と相手国との「共同勝利」(ウィン・ウィン)を強調し,いわゆる「中国脅威論」の払拭に努めた。


ロシアなどとの協調を強化し,米国の外交姿勢を牽制〉

米国に対しては,"協調"を掲げつつも,ロシアなどとの協調を通じて,米国の「一極支配」を牽制する姿勢を強めた。
まず,インド,ロシアとの間では,4月に発表した中印共同声明で,「双方は,合理的な多国主義の基礎の下,世界的問題を解決することを決意する」とうたい,7月に発表した中ロ共同声明では,「一国主義的行動をとってはならない」,「外部から社会・政治制度のモデルを強要してはならない」と間接的に米国の外交姿勢を牽制した。また,8月には,初の中ロ合同軍事演習を実施し,人民解放軍機関紙「解放軍報」(8月17日付)は,「合同軍事演習は,潜在敵国を威嚇,牽制する重要な手段」と位置付けた。
さらに,周辺の社会主義国との間では,10月,胡錦濤国家主席が同職就任後初めて北朝鮮とベトナムを相次ぎ訪問し,それぞれの首脳会談において,ハイレベル往来の緊密化や経済・貿易関係の強化などを通じて,両党・両国関係の発展に努めることを確認した。


背景には国力増大のほかエネルギー需給のひっ迫などが存在,国益をより強く打ち出していく可能性も〉

こうした動きの背景には,2度目の有人宇宙船打ち上げ(10月)などに象徴される「総合国力」(経済力,科学技術力,国防力,民族の結集力)の増大や「外交活動は新たな局面を切り開き,我が国の国際的地位は一段と向上した」(3月,全人代報告),「中米両国の発展が速く,規模が大きいため,幾つかの摩擦や紛争が生じることは避けがたい」(9月,米中首脳会談における胡錦濤国家主席発言)などの認識があるほか,人口の増加などに伴うエネルギー・食糧需給のひっ迫や日米両国の安全保障・防衛協力の強化に対する警戒感などがあるとみられる。
今後,中国は,米国や我が国と対峙する傾向を強めるとともに,その他各国との間でも,資源獲得,経済・貿易,国連改革などの問題で,国益重視の対応姿勢をより強く打ち出していくものとみられる。特に,東アジアに関しては,近年,日米の影響力の抑制と,自己の主導権確立に努めており,日本の国連安保理常任理事国入り問題への反対運動や歴史認識問題への強い批判及びこれらに関する近隣諸国との協調の動きなどは,その現れといえよう。



(3) 対日重視を表明しつつも,「歴史認識」に固執し,我が国の国際社会における政治的影響力拡大を牽制


― 日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名活動を発端に,大規模反日デモが発生―
― 靖国問題などで「実際の行動による反省」を要求,台湾問題,東シナ海資源開発など,日中懸案事項でも厳しい姿勢を維持―



北京,上海両市で大規模反日デモ,一部デモ隊が暴徒化〉

中国では,4月,日本の国連安保理常任理事国入りに反対する署名運動などを発端として各地で反日デモが発生した。特に,北京,上海では,一部デモ隊が,在中国日本大使館,在上海日本総領事館を目掛けて投石し,施設の一部を破壊したほか,付近の日本料理店を襲撃するなど暴徒化した。中国治安当局は,機動隊を動員し警備態勢を採ったが,投石などの破壊行為に対しては制止行動をとらなかった。こうした対応について,国際世論は「ウィーン条約違反」などと批判した。


反政府運動への転化や国際社会の批判を懸念し,反日デモを封じ込め〉

中国では,2005年(平成17年)をいわゆる「抗日戦争勝利60周年」と位置付け,様々な記念行事を予定していたことから,反日デモの激化が懸念されたが,中国当局は,北京,上海デモ後,反日団体や大学当局に対する指導を徹底するなどの措置を講じ,反日デモを封じ込めた。
こうした中国当局の対応姿勢の変化の背景には,反日デモが反政府運動へ転化することへの懸念のほか,国際社会からの批判,北京オリンピックへの影響,日本国民の対中感情の悪化などへの配慮もあったとみられる。


歴史認識問題などで厳しい対応,「対日牽制」姿勢を強める〉

我が国は,上海市での反日デモ後,在中国日本公館などへの破壊活動に対する「謝罪」と「損害の賠償」を中国政府に求めたが,中国側は,日本が歴史認識問題などで中国人民の感情を傷付けたとした上で,「デモの根本原因を日本側が認識することを望む」と反論し,我が国の対応姿勢を牽制した。
この後の5月,訪日した呉儀副総理が「日本の指導者が相次いで靖国問題で中日関係改善に不利な発言を行った」(外交部報道官)ことを理由に,小泉総理との会談の予定を一方的に取り消して帰国した。
また,6月に入り,日本の国連安保理常任理事国入り問題(安保理改革に関するG4枠組み決議案)に反対する立場を公式に表明,世界的に反対運動を展開した。
さらに,10月の小泉総理の靖国神社参拝に対しては,直後に予定されていた町村外相の訪中受入れを見合わせただけでなく,11月のAPEC首脳会議での日中首脳会談及び外相会談を見送り,12月のASEAN+3首脳会議での日中韓3か国首脳会談についても開催を延期すると発表した。


台湾問題,東シナ海資源開発など,日中懸案事項でも厳しい姿勢を維持〉

中国は,歴史認識問題と同様に,台湾問題を日中間の原則問題と位置付け,厳しい姿勢を示した。特に,2月,日米安全保障協議委員会(2+2)が日米共通戦略目標の中に「台湾問題の平和的解決」を取り上げたことに対して,「日米防衛協力の範疇を超えるべきでない」などと批判し,さらに,4月には,日本側の,もともと台湾は日米安保条約の対象である旨の発言に対して,「中国の核心的利益に挑戦することは危険なこと」と警告した。
東シナ海資源開発問題では,我が国政府との協議を継続する姿勢を示しつつも,我が国が求める「日中中間線付近での開発の中止」と「地下の地質構造などのデータ提供」を一貫して拒否する一方で,自身は試掘作業を継続する中で,同海域に海軍艦艇を航行させる(9月)などの行動をとった。


今後,我が国政局動向を注視しつつ,硬軟両様の対日政策を推進〉

中国は,4月末のジャカルタでの日中首脳会談でも示された「対日重視」方針を強調し,我が国政財界,マスコミ及び民間団体への働き掛けを行っているが,その一方で,靖国問題や台湾問題での日本の対応については,「実際の行動」を求め,第三国での首脳会談をも見送るなど,当面,政治面での関係改善には消極的な対応を行う姿勢を示している。
また,日本の国連安保理常任理事国入り問題への対応に加え,自民党の「憲法改正案」提示(8月)以降,政府系報道機関が「軍事大国化は政治大国化への前提」といった論評を相次いで報じるなど,我が国の「政治大国化」への警戒感を示し,国際社会での政治的影響力の拡大を牽制した。
一方,中国は,現在の政治的冷え込みが経済面に及ぶことへの懸念も表明しており,今後,我が国の対中政策をめぐる政局動向を注視しつつ,自国の経済発展のための対日"重視"と,アジアにおける主導的地位の構築及び国内反日世論への配慮のための対日"牽制"を織り込んだ硬軟両様の政策を展開するものと予想される。



(4) 中国が,台湾独立の抑止を目的とした「反国家分裂法」を制定


― 対台湾武力行使について規定した「反国家分裂法」を制定する一方,台湾野党党首の訪中を契機に平和統一攻勢を強化―
― 台湾の陳水扁政権は,「民主」を盾に形勢挽回へ―



「反国家分裂法」の制定を通じ,台湾の「新憲法制定」に向けた動きを抑制〉

中国は,3月14日に開催した第10期全国人民代表大会第3回会議で,「『台湾独立』分裂勢力による国家分裂に反対し,これを抑制する」ことを主な目04年(平成16年)に,住民投票による「新憲法制定」を公約に掲げる陳水扁総統が再選を果たし(3月),中国が最も警戒する「法理の台湾独立」が実行に移される可能性が高まっていたことから,中国は,2008年(平成20年)の北京オリンピック開催などを控え,法律の制定を通じて「新憲法制定」に向けた動きを抑制することを企図したものとみられる。


対台湾武力行使の法的根拠を整備〉

対台湾武力行使の要件 「反国家分裂法」第8条は,「非平和的方式」という表現で,対台湾武力行使の要件を列挙するとともに,武力行使の決定権を国務院と中央軍事委員会に付与した。これに対して,台湾では,公的研究機関が3月に実施した世論調査で,90%を超える住民が,「非平和的方式」による中台問題の解決に反対し,同26日には,台北市で,与党・民進党や台湾独立志向団体が,その不当性などを訴える100万人(主催者発表)のデモ行進を実施した。また,米国のライス国務長官は,3月13日,「『反国家分裂法』の制定は,明らかに台湾海峡の緊張を高める」と発言するなど,中国が示した対台湾武力行使への強い意志は,我が国を含む国際社会の懸念を招いた。


中台の人的往来や経済交流を拡大する措置を相次いで実施〉

訪中した連戦国民党主席(左)と握手する胡錦濤国家主席(4月29日)(共同) 「反国家分裂法」は一方で,中台関係を発展させる措置として,人的往来の奨励,経済交流と「三通」(直接の通信,通航,通商)の推進など,5項目を明記した。これに基づき中国は,4月から6月にかけて,台湾の第1野党・国民党の連戦主席,第2野党・親民党の宋楚瑜主席,第3野党・新党の郁慕明主席の訪中を相次いで招請し,胡錦濤国家主席(共産党総書記)がそれぞれ会談した。このうち,国民党主席の訪中は,1949年(昭和24年)の中台分断後初めてであり,国民党と共産党のトップ会談は,1945年(昭和20年)以来60年振りであった。
中国は,台湾野党党首の訪中を契機に,(1)パンダを贈呈する旨発表(5月),(2)台湾住民の中国での出入境及び居住手続を簡素化(7月),(3)輸入する台湾産果物を12種類から18種類に増やし,うち15種類の関税を免除(8月),など台湾住民の利益向上を前面に打ち出す形での平和統一攻勢を強化した。
さらに,中国は,「抗日戦争勝利60周年」を記念する大会(9月)で,同戦争における国民党の役割を初めて肯定したり,「台湾光復(日本の台湾統治終了)60周年」を記念する大会(10月)を初めて開催するなど,「抗日」を通じた中台の一体化も演出した。


台湾の陳水扁政権は,「新憲法制定」構想を前進させていく構え〉

台湾では,6月7日,中華民国憲法改正案の最終採決を行う非常設機関・国民大会が,憲法改正の最終採決権を国民大会から住民投票に委ねることなどを内容とする憲法の一部改正案を可決した。これを受け,陳水扁総統は,6月25日,「2008年(平成20年)に総統任期を終える際に,台湾が身の丈にあった新憲法を誕生させることを確信している」と強調するとともに,8月1日,総統府内に「憲政改革弁公室」を設置した。
さらに,陳水扁総統は,台湾の「民主」と「自由」を強調し,8月2日,「台湾の前途のいかなる変更も2,300万台湾国民のみが決定権を有する」と発言するなど,台湾の民意を重視する姿勢を示した。また,同総統は,10月10日,「段階的に憲法を改正し,台湾の民主に合致した政治体制と自由な社会を創出する」と強調した。
今後,中国が「反国家分裂法」で列挙した対台湾武力行使の要件の解釈権を握っている中で,中台関係は,陳水扁政権が制定を目指す「新憲法」の内容如何によっては,更に緊張した情勢となることも予想される。






プーチン後継体制に向けて動き出したロシア


― 安定した状態で推移する国内情勢を背景に,米欧と協調しつつ中印と関係を強化―
― プーチン大統領が訪日するも,北方領土問題では実質的進展なし―



プーチン大統領の任期満了をにらみ,後継体制の模索が始まる様相〉

ロシアでは,プーチン政権が行った社会保障制度改革(1月)に抗議するデモの多発や,経済政策をめぐる政権要人の対立の表面化など,年初にはプーチン大統領の求心力のかげりをうかがわせる事象が発生した。しかし,資源輸出依存型から脱却できないながらも好調な原油生産を追い風に経済が成長し続けていること,チェチェン独立派武装勢力の掃討作戦の推進などテロ対策にも一定の成果があったことなどから,国内情勢は,おおむね安定した状態で推移し,プーチン大統領の支持率も高水準を保ち続けた。
こうした状況から,議会などからは大統領任期延長を期待する意見も出たが,大統領自身が,「2008年(平成20年)の任期満了時に大統領を退く」旨を繰り返し発言する一方,メディアが,プーチン後継体制の観測を報じ始めるなど,プーチン大統領の権力基盤が強固な状況下で後継体制を模索する動きが始まりつつあることがうかがわれ,今後,有力政治家などによる政治的駆け引きの活発化が予想される。


外交では米欧との協調関係を基調としつつ,中印と協力関係を拡大〉

ロシアは,米国がイラン核問題の国連安保理付託を求めたことに反対し,欧米諸国が旧ソ連諸国の「民主化の後退」を批判したことに不快感を示すなどしつつ,米国とは2月の首脳会談で両国の協調関係の維持を確認したほか,継続的に首脳会談(5,6,9,11月)を実施し,また欧州とはロシア・EUサミットで経済や安全保障などの「4つの共通空間」創設のためのロードマップを採択する(5月)など,米欧との協調関係の維持に努めた。
他方で,ロシアは,胡錦濤国家主席訪ロ時(6月30日〜7月3日)でのエネルギー分野などでの協力拡大をうたった「共同コミュニケ」の採択,上海協力機構首脳会議(7月)での「米国の中央アジア駐留期限の明確化」要求を含む「共同宣言」の採択,史上初の合同軍事演習の実施(8月)などするとともに,中国に同調して対米牽制的動きも示した。
さらに,ロシアは,ロ中印外相会談(6月)での三国協力関係促進の確認,ロ印合同軍事演習の実施(10月)など,インドとの関係も強化した。
こうした動きは,欧米諸国との協調を基調にしつつ,中印との関係も重視するロシアの外交姿勢の反映とみられ,こうした方向は今後も継続されるとみられる。


北方領土問題では依然として打開点を見いだせず〉

日ロ外相会談(1月)やロシア側閣僚の訪日,主要国首脳会議(英国グレンイーグルズ・サミット)の際の日ロ首脳会談(7月)を経て,ようやくプーチン大統領の訪日日程(11月20〜22日)が確定したが,大統領訪日準備が進む中で,ロシア側政府,議会,学界関係者などからは,北方領土問題に関し,「旧ソ連軍による北方領土占領は,日本軍国主義の侵略行為の帰結」,「北方領土のロシアへの帰属は,日本の侵略に対する処罰」との意見が相次ぎ,プーチン大統領も,「四島に対するロシアの主権は,国際法によって確定されている」と述べる(9月)など,大統領訪日を前にロシアは北方領土問題で極めて厳しい姿勢を示した。
こうした中で行われた首脳会談では,小泉総理が,北方四島の帰属問題を解決した上で平和条約を締結することを明記した1993年(平成5年)の「東京宣言」の確認を求めたのに対し,プーチン大統領は,1956年(昭和31年)の「日ソ共同宣言」に基づく歯舞・色丹の二島返還による決着を企図して,「相互に受け入れ可能な解決方法を模索したい」と応じるなど,北方領土問題をめぐる双方の立場には相当の開きがあり,結局,政治文書の採択が見送られるという公式会談では異例の事態となった。
首脳会談後の共同記者会見で,プーチン大統領は,「平和条約がないことが日ロ間の経済協力を妨げているのかもしれないが,経済協力の発展のために全力を尽くすことを確認した」と述べたが,今後,ロシアは,領土問題では,「日ソ共同宣言」を基本とする姿勢を堅持しつつ,経済分野での協力拡大に向けて積極的な働き掛けを行ってくるものと思われる。






(1) 新政権への移行プロセスは進展するも,依然,テロが多発するイラク


― 移行政府を発足させ,新政権への移行プロセスが進展―
― 武装勢力や外国人過激派などによるテロ攻撃が依然多発―



新憲法草案が承認され,新政権発足に向けた移行プロセスは最終段階に〉

イラク新政権発足までの流れ イラクでは,1月以降,12月末までの新政権発足を目指し,暫定憲法に規定された移行プロセスが進展した。
1月の暫定国民議会選挙(比例代表制による直接選挙)では,旧フセイン政権の主体であったスンニ派アラブ人の多くの組織が,米国が策定に関与した移行プロセスへの反発などにより,同選挙をボイコットした。このため,移行プロセスそのものの正統性が問われる事態となったが,暫定国民議会の多数派となったシーア派アラブ人政党及びクルド人政党は,スンニ派にも移行政府の閣僚ポストを配分することで同派の関与を促し,移行政府を発足させた(4月)。
その後,5月に開始された新憲法起草作業では,再びスンニ派が,自治権限の強い地域連邦形成を容認する内容や,旧政権の支配政党であるバース党関係者を公職から排除する内容などについて強い反発を示したため,国民投票(10月)の直前まで,国内各派による交渉が行われ,妥協案として新政権発足後に再度,新憲法の修正について協議する旨の条項などが付け加えられた。その結果,スンニ派の反対により,新憲法草案が不承認となる可能性を指摘する声もあったが,10月に実施された国民投票では,予想を覆し,賛成多数により同草案が新憲法として承認された。これにより,新政権発足への移行プロセスは大きく前進し,国民議会選挙を経て,12月末までに新政権を発足させるという最終段階を迎えているが,スンニ派の動静は,今後も,不安定要因となる可能性がある。


武装勢力などが移行プロセス破綻を狙いテロ攻勢強める〉

移行プロセスの進捗に反発するスンニ派イラク人・外国人らからなるイスラム過激派や旧フセイン政権残存勢力などの反米武装勢力は,同プロセスの破綻を目指し,暫定国民議会選挙(1月),移行政府発足(4月),憲法草案起草(8月)などの政治日程の節目やシーア派重要宗教行事「アーシュラー」(2月)前後の時期などに際し,多国籍軍部隊,イラク移行政府・治安機関,シーア派イラク市民などを標的として,爆弾テロや襲撃などテロ攻撃を多発させた。こうした中,イラク西部で,駐留米軍に物資を搬入する車列が「アンサール・アル・スンナ軍」を名乗る武装集団の襲撃を受けた際,警備任務に就いていた邦人1人が,行方不明になっている(5月)。
さらに,サウジアラビアやシリアなどイラク周辺諸国から,多数のスンニ派イスラム過激派がイラクに侵入して,反米武装勢力に加わり,多国籍軍やイラク治安機関,シーア派市民らに対するテロ活動を行っている。こうした状況に対し,米軍及びイラク治安部隊が,イラク西部地域などにおいて,大規模な過激派掃討作戦を繰り返し実施しているが,イスラム過激派のイラク侵入を完全に阻止するには至っていない。
また,移行プロセスの進展に伴って,スンニ・シーア両宗派やクルド人勢力などが対立を強める中,各勢力の武装組織が,対立勢力側の武装組織や一般住民を攻撃する事案も発生した。そのほか,イラク南部バスラ州において,英軍部隊とシーア派反米指導者サドル師の支持勢力が衝突した(9月)ことなどをめぐり,イラク南部のシーア派住民の反英感情が高まりをみせた。
一方,陸上自衛隊が派遣されているサマワでは,走行中の自衛隊車両が爆発物により被害を受ける事案があった(6月)ほか,自衛隊宿営地付近への着弾事案がみられた。また,シーア派反米指導者サドル師の支持勢力は,自衛隊を「占領軍」と位置付け,撤退を訴える活動を続けている。しかし,サマワの治安は,テロが多発するバグダッドなどイラク中北部に比べ,比較的安定した状態が続いている。



(2) 懸念されるイランの核開発問題


― 新政権発足後,強硬姿勢を強め,ウラン転換作業を再開―



国際社会の制止を振り切りウラン転換作業を再開〉

イランは,2004年(平成16年)12月以降,核開発問題をめぐり,英仏独と交渉を行っていたが,懸案の一つであるイランのウラン濃縮関連活動に関し,イラン側が,「自国の当然の権利」との立場を堅持したのに対し,英仏独は,「恒久的に放棄」との立場を崩さなかったため,交渉は難航した。
また,6月のイラン大統領選挙で,保守強硬派とされるアフマディネジャド候補が勝利を得たことから,イランが核開発問題での強硬姿勢を強め,交渉による解決の道が断たれることへの懸念が強まった。
こうした中,イランは,7月下旬,ウラン転換作業(ウラン濃縮の前段階)の再開を表明した。これに対し,英仏独は,「ウラン濃縮関連活動放棄の見返りに,欧州からの核燃料提供による民生用の核開発を容認する」などの案を提示し,自制を促したが,イランは,その受入れを拒否し,「国際原子力機関」(IAEA)に通告の上,IAEA査察官立会いの下でウラン転換作業を再開した。


硬軟織り交ぜた策を講じて圧力を回避しつつ,核開発の継続を企図〉

イランのウラン転換作業再開を受け,9月のIAEA定例理事会では,核開発問題の国連安保理付託が焦点となったが,11月の同理事会では,「ウラン濃縮作業をロシアが行うことを条件に,イランでのウラン転換を認める」とのロシアの新提案を基にイランに妥協を迫ることで一致し,安保理付託をめぐる議論は先延ばしとなった。
安保理付託の動きに対し,イランは,IAEA追加議定書の暫定適用の停止や我が国を含めた安保理付託を支持する国々との経済関係見直しを示唆するなど,反発を示した。その一方で,イランは,IAEAによる新たな査察の受入れやロシアの新提案に基づく協議の受入れなど,自国への圧力緩和策とも受け取れる動きも併せてみせている。
今後,イランは,硬軟織り交ぜた策を講じて自国への制裁回避を図りながら,核開発を継続していくものとみられる。



(3) イスラエルのガザ撤退後も,中東和平プロセスの行方は不透明


― イスラエルは,一方的なパレスチナ分離策を継続―
― パレスチナ内部では,主導権争い激化の兆しが―



イスラエルは,ヨルダン川西岸では,一方的なパレスチナ分離策を継続〉

2004年(平成16年)11月に,米国やイスラエルが「和平の敵」と名指ししていたパレスチナ自治政府のアラファト議長が死去し,その後任として,1月に,穏健派とされるアッバス議長が就任した。2月には,約4年半振りにイスラエル・パレスチナ首脳会談(エジプト)が実現し,双方が暴力を停止することで合意した。9月には,イスラエルがガザ地区から撤退し,38年間にわたるイスラエルによる同地区の軍事的統治に終止符が打たれた。
しかし,イスラエルは,ガザ地区撤退後も,同地区の制空権や制海権を確保するなど,"ガザ占領"を実質的に続けている。また,ヨルダン川西岸地区においては,パレスチナ人居住区を物理的に切り離す"分離壁"の建設を一方的に続けており,さらに,同地区内の大規模なイスラエル人入植地のイスラエル領への併合を加速させている。こうしたイスラエル側の動きにパレスチナ側は強く反発しており,和平プロセスの行方は依然として不透明のままである。


パレスチナでは,アッバス議長と「ハマス」の駆け引きが活発化〉

パレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」は,1月に実施されたガザ地区の10自治体での議員選挙で,全体の約65%の議席を獲得するなど,2004年(平成16年)12月以降実施されている地方選挙での躍進を受け,イスラエル撤退後のガザ地区における勢力の拡大を目指している。
2006年(平成18年)1月には,パレスチナ評議会(PLC,定数132)議員選挙が予定されており,同選挙への「ハマス」の参加の可否などをめぐって,アッバス議長と「ハマス」との駆け引きが活発化している。同選挙で「ハマス」が躍進した場合,アッバス議長の支持母体である「パレスチナ解放機構」(PLO)主流派「ファタハ」のパレスチナ政治における主導性が揺らぐ可能性も否定できない。



(4) アフガニスタンの民主化プロセスは進行するも,「タリバン」の活動は活発化


― 軍閥勢力の選挙への参加などにより,民主化プロセスが進展―
― 「タリバン」は,議会選挙実施阻止に失敗するも,武装闘争を活発化―



政治情勢では,民主化プロセスが進展〉

アフガニスタンの民主化プロセスは,一部で治安上の問題や選挙区割りが進まなかったことなどから遅れがあったものの,2004年(平成16年)10月の大統領選挙,同12月の内閣発足,2005年(平成17年)9月18日の下院選挙及び州議会選挙と既定の方針どおり実施されるなど,おおむね順調に進展している。
カルザイ大統領は,2004年(平成16年)12月の組閣において,カヌニ前教育相(タジク人),ドスタム前大統領顧問(ウズベク人),モハゲク前計画相(ハザラ人)など,「北部同盟」出身で暫定内閣閣僚を務めた少数民族の軍閥有力者を排除し,パシュトゥン人を優先して入閣させた。これは,パシュトゥン人が国内人口の38%を占める最大の民族であること,パシュトゥン人の中に,国際関係で有力なパイプを有し,国際情勢に精通する高学歴者が多かったことなどが理由とみられる。
一方,政権から排除される形となった少数民族・軍閥有力者は,従来のような「力による対抗」は行わず,9月の下院選挙及び州議会選挙において,自ら立候補して,地域の代表としての地位・利権を固める姿勢を示した。
下院選挙及び州議会選挙においては,強固な地盤を有する軍閥有力者や元「タリバン」高官などのほか,知識人,左翼系といわれる人物も当選するなど,これまでの民族・軍閥を中心とした政治運営から,議会民主制に則した政治運営が定着化しつつある。


「タリバン」など反政府武装勢力は,活動を活発化〉

アフガニスタン議会選挙を警備する治安関係者(共同) 一方,「タリバン」など反政府武装勢力の活動が活発化し,同勢力によるとみられるテロが,同国南部や東部で頻発した。
同勢力は,カルザイ政権下で初めてとなる下院選挙及び州議会選挙の実施妨害に向けて活動を強化し,駐留外国軍や政府・治安当局に対する攻撃に加え,立候補者など選挙関係者への脅迫・襲撃・殺害事件を引き起こしたが,投票日当日には大規模テロの発生はなく,一部地域で選挙妨害事案が発生したものの,投票自体は,おおむね予定どおり実施された。これは,米国主導の連合軍や国際治安支援部隊(ISAF),アフガニスタン治安当局などが治安対策を強化し,投票所周辺などで厳重な警備を敷いたため,「タリバン」などが集中的な攻撃を手控えたことなどが,その要因と考えられる。
同選挙以降,再び「タリバン」など反政府武装勢力によるテロが続発し,9月に首都カブールで軍施設に対する自爆テロが発生したほか,10月には南部ヘルマンド州で,過去最大規模とされる警察車列襲撃事件(警察官19人死亡)などが起きるなど,治安情勢は,なお改善の兆しをみせていない。
アフガニスタンは,経済面では国内産業の崩壊や麻薬製造への依存体質が存在し,治安面では「タリバン」による駐留外国軍や政府・治安当局に対する攻撃なども予想されるなど,多くの問題を抱えているが,今後,国際社会の治安面・経済面の支援や軍閥勢力の影響力の低下などにより,民主化プロセスが,曲折を経ながらも前進していくことが期待される。



(5) 米中ロの綱引きの行方が注目される中央アジア


― 地域への影響力確保を狙い,米中ロが綱引きを継続―
― CIS諸国の「民主革命」の可能性が指摘される中,暴動が発生―



中央アジアへのプレゼンス確保を狙い,米中ロが綱引き〉

旧ソ連中央アジア地域では,米軍が2001年(平成13年)10月から駐留し,中国も豊富な天然資源獲得を狙い,カザフスタンなど各国に対して活発に働き掛けている。一方,同地域が国際テロリズムの温床となっていることや同地域における麻薬の不法流通が周辺諸国の懸念材料となっている。
こうした中,ロ中及び中央アジア4か国が加盟する上海協力機構首脳会議は,7月,「米軍の駐留期限明確化」要求を含む「共同宣言」及び「テロとの闘いにおける協力概念」を採択した。この背景には,駐留長期化の姿勢を示す米国に対するロシアの不信感,キルギスへの米軍駐留に対する中国の不快感,暴動の武力鎮圧(5月)を批判する西側に対するウズベキスタンの反発があった。これを受け,ウズベキスタンが米国に「180日以内の撤退」を求め(7月),米国は撤退を完了した(11月)が,米国の経済支援に頼らざるを得ないキルギスは,ライス国務長官の訪問(10月)を受けて,米軍撤退に期限を付けないことに合意したほか,タジキスタンも米軍の駐留を受け入れる意向を示すなど,その対応に差がみられた。中央アジアでは,ロシアのキルギス駐留軍基地の増強表明,ウズベキスタンとロシアとの「同盟条約」締結など,ロシアを中心に安全保障面での関係が強まる動きがあるほか,天然資源獲得を狙う中国,同地域への影響力確保を企図する米国に加え,中央アジア各国の思惑も入り交じった複雑な状況が継続するものとみられる。


キルギスとウズベキスタンで,大規模反政府暴動が発生〉

いわゆるCIS諸国の「民主革命」の影響が他の国に及ぶ可能性が指摘されていた中,キルギスでは,議会選挙(2,3月)を機に大規模な反政府暴動が発生し,アカエフ大統領の国外逃亡と退陣(3月),バキエフ大統領の誕生(7月)によって,政権は平和裏に移譲されたが,暴動の一因である南北間の経済格差などの根本的な問題の解決には困難が多い状況にある。また,ウズベキスタンでは,カリモフ政権が暴動を武力鎮圧し(5月),その過程で多数の犠牲者を出したことから欧米諸国の批判を招いたが,同国が抱えるイスラム過激派の存在や貧困問題などの火種は,残されたままである。






(1) 拡散するイスラム過激派の脅威


― 「アルカイダ」などイスラム過激派によるテロの脅威が拡散―
― 東南アジアでは「ジェマー・イスラミア」による爆弾テロの脅威が継続―



「アルカイダ」などイスラム過激派によるテロの脅威が拡散〉

国際社会を震撼させた2001年(平成13年)9月の米国同時多発テロ事件以降,国際社会がテロ撲滅に向けた連携を強め,「アルカイダ」の幹部や活動家を相次いで逮捕するなど,同組織の組織力低下とテロの封じ込めに一定の成果がみられた。しかし,その一方で,エジプト・シナイ半島のシャルムエルシェイクで,イスラム過激派によるとみられる無差別大量殺りく型同時爆弾テロが発生し(7月),英国・ロンドンでも,「アルカイダ」の影響を受けたとみられるイスラム系の若者が同国で初めて大規模テロを引き起こす(7月)など,イスラム過激派によるテロの脅威は拡散する傾向を示した。
このうち,エジプトでは,かつてテロを繰り返していた「イスラム集団」,「ジハード」が当局による徹底した取締りにより弱体化したとされるものの,2004年(平成16年)に続いて,7月にもシナイ半島で大規模テロが発生したことから,同国内にテロリストの新たな活動基盤が構築されている疑いが強まった。また,英国・ロンドンで7月に発生した同時多発テロ事件では,自爆テロを実行した犯人が,いずれも英国籍を有するイスラム系の若者であり,このうち1人が「アルカイダ」指導者を賞賛していたことが明らかになるなど,同国内のイスラム系の若者の一部に,「アルカイダ」の思想が深く浸透している実態が浮き彫りになった。
「アルカイダ」は,英国での同時多発テロ事件などにみられるように,衛星テレビ放送,インターネットから発信される様々な声明,ジハードビデオなどを通じて獲得した支持者を自発的にテロに駆り立てようとしていると考えられ,今後とも,同様の手法を巧みに利用して米国やその同盟国への反発をあおり,イスラム教徒らに思想的影響を与えて,テロに駆り立てる戦術を展開していくものと予想される。
なお,テロ事案ではないが,10月末にフランスでイスラム系移民を中心とする大規模な暴動が発生した。これには,同国内でイスラム系移民2世,3世が直面しているイスラム教国出身者への「差別」に対する反発,失業・貧困問題への強い不満などが当局への怒りとなって噴出したという背景がある。欧州におけるこれらの社会問題は,近年深刻度を増しており,これが,欧州の治安に及ぼす影響が懸念される。


イラクではザルカウィ率いる組織などによるテロが引き続き多発〉

イラクでは,新政権樹立に向けて,暫定国民議会選挙実施(1月),移行政府発足(4月),憲法草案起草(8月),同草案に対する国民投票(10月)といった移行プロセスが進展する一方,同国内の治安は改善の兆しがみられなかった。特に,同国では,「アルカイダ」との関係が指摘されるヨルダン人テロリスト,アブムサブ・アル・ザルカウィが率いる武装組織「イラクのアルカイダ聖戦機構」やイラク北部のクルド系住民らを主体とするとされるスンニ派の武装組織「アンサール・アル・スンナ軍」など,スンニ派のイスラム過激派武装勢力が,シーア派イラク市民や移行政府・治安機関,米軍等の多国籍軍などを標的とした爆弾テロや襲撃,外国人を含む民間人拉致・殺害などの凶悪テロを多発させた。このうち,「イラクのアルカイダ聖戦機構」は,スンニ・シーア両派の対立を激化させてイラクの"内戦化"を図るため,シーア派市民を標的とした大規模テロを続発させているとみられる。


アラブ諸国では,外国人らを標的にしたテロが続発,新たなテロ計画も判明〉

エジプトでは,カイロで,4月に二度にわたり,外国人観光客が訪れる市場などで,イスラム過激思想を有する大学生らによる自爆テロなどが発生した。また,かつてイスラエル・パレスチナ首脳の和平合意の舞台となったシャルムエルシェイクでは,7月に欧米系のリゾートホテルなどを標的とした大規模同時多発テロが発生し,自動車爆弾を用いた手法などから,「アルカイダ」の影響を受けたイスラム過激派による犯行の可能性が指摘された。同テロ事件の捜査の過程では,事件への関与が疑われる者のアジトから,大量の爆発物が押収された。他方,9月の大統領選挙をめぐっては,野党勢力やイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」による民主化要求のデモが行われ,同運動を契機としたイスラム過激派による爆弾テロなどが懸念されたが,テロの発生はみられなかった。
ヨルダンでは,8月に同国南部アカバの港に停泊していた米艦船「アシュランド」を標的にしたとみられるテロ事件が起きたほか,11月に首都アンマンにある欧米系ホテルを狙った同時多発爆弾テロ事件が発生した。アカバの事件に関しては,ザルカウィが率いる「イラクのアルカイダ聖戦機構」メンバーが,同国からロケット弾を車両に積載して侵入したとされ,アンマンの事件をめぐっても,同国政府高官が,同組織による犯行の可能性を強く示唆した。
一方,サウジアラビアでは,当局が,2004年(平成16年)に活発な活動を展開していた「アラビア半島のアルカイダ」などを名乗るイスラム過激派に対する取締りを強化し,これにより主要幹部が相次いで死亡するなど,過激派のテロ遂行能力に一定のダメージを与えた。しかし,7月には首都リヤド南部のアルハルジュで,さらに,9月には同国東部州ダンマンで,過激派のアジトから大量の爆発物などが発見・押収され,同国の過激派が依然としてテロを計画していることが裏付けられた。
イスラム過激派によるテロの脅威拡散が指摘される中,エジプトやヨルダンでは,イスラム過激派の活動基盤形成を示唆する事象がみられるほか,サウジアラビアでは,イラクで反米武装勢力と共にテロを行っているとされるサウジアラビア出身の過激派組織メンバーの帰還などが危惧されており,今後とも同過激派によるイラク周辺国を標的にした新たなテロの発生が懸念される。


東南アジアでは「ジェマー・イスラミア」によるテロの脅威が継続〉

自爆テロ事件後のバリ島クタ地区 東南アジアでは,国際テロ組織「ジェマー・イスラミア」の逃亡中のメンバーらによるテロが警戒される中,インドネシア・バリ島での自爆テロ事件(10月)やフィリピン・マニラ市などでの爆弾テロ事件が発生し(2月),いずれも同組織の関与が取り沙汰されるなど,引き続き同地域では,「ジェマー・イスラミア」によるテロの脅威が継続していることを示した。
インドネシアでは,10月にバリ島の飲食店で,ほぼ同時に3件の自爆テロ事件が発生し,豪州人4人と日本人1人を含む23人が死亡した。犯行の手口が「ジェマー・イスラミア」が多用する「自爆」であることなどから,インドネシア治安当局は,同組織関与の可能性を指摘した。その後,11月,警察当局が,「ジェマー・イスラミア」の逃亡中の幹部で,複数のテロ事件に関与したとされるアザハリ・フシン容疑者の潜伏場所を発見・摘発したが,その際,同容疑者は死亡した。
また,フィリピンでは,2月に首都マニラを含む国内3か所で爆弾テロ事件が発生し,12人が死亡した。フィリピン警察は,同国に潜伏していた「ジェマー・イスラミア」のメンバーが,「アブ・サヤフ・グループ」など同国内のイスラム過激派組織と連携して引き起こした事件と断定し,これら組織のメンバー数人を逮捕した。
一方,タイ南部のパッタニ県,ヤラ県及びナラティワート県などでは,イスラム過激派組織によるテロが激化しており,タイ政府関係者や仏教徒を標的とした爆弾テロ事件などが多発した。10月には,これらの県内69か所で,政府関係者や現地住民などがほぼ同時に襲撃され,大量の銃器が強奪される事件が発生した。
東南アジアでは,インドネシアにおいて「ジェマー・イスラミア」のヌルディン・トプ容疑者など,依然としてテロ実行力を有するとみられるメンバーが,逃亡を続けながら更なるテロ事件をじゃっ起する可能性があり,同組織によるテロの脅威は,依然として継続している。加えて,タイ南部などの地域では,イスラム教徒による分離独立運動が激化しており,これらの紛争に「ジェマー・イスラミア」などの過激派組織が介入することにより,情勢が更に不安定化することが懸念される。



(2) 我が国を含む先進諸国のテロ対策


― 米・英・独・仏の先進諸国は,多発する国際テロを受けて,テロ関連法制の改革,予算,人員の増強などテロ対策を強化―
― 我が国は,テロの未然防止の重要性にかんがみ,「テロの未然防止に関する行動計画」を着実に実施―



米・英・独・仏の先進諸国は,多発する国際テロを受けて,テロ対策を強化〉

米国では,テロ対策として,外国テロ組織の指定,指定組織の構成員の出入国規制,資産凍結,同組織に対する支援行為の処罰(1996年反テロリズム及び効果的死刑法),通信傍受を始めとした捜査機関の情報収集権限の強化(2001年パトリオット法)などが法制化されている。また,テロ対策関連予算・人員の継続増加を図るとともに,情報機構改編論議の結果,新設された国家情報長官(DNI)の指導の下,情報コミュニティの一体的運用によるテロ関連情報の早期把握と迅速な対処を期している。
英国では,これまでテロ組織の指定及び同組織による準備・支援行為の処罰(2000年テロリズム法),テロリストなどの資金の凍結・差押え及び没収(2001年反テロリズム法),テロ容疑者への活動制限命令(2005年テロ防止法),などが法制化されているが,さらに,ロンドンで7月に発生した同時多発テロ事件を受けて,政府は,(1)起訴や法廷での審理を経ないテロ容疑者の拘束期間延長,(2)テロ行為の扇動・賞賛の処罰,などの方策を打ち出し,更なるテロ対策の強化に取り組んでいる。また,テロ関連情報を関係諸機関の代表者からなる合同テロ分析センター(JTAC)に集約し,テロへの効果的対処を図るとともに,予算・人員の増強を行った。
ドイツでは,憲法秩序に反する団体又はドイツの国際法上の義務に反する外国人結社などの禁止・解散,当該団体の財産の押収・没収,当該団体への支援行為の処罰(結社法),人間性に対する犯罪又は戦争犯罪など一定の刑法上の犯罪を行うことを目的とした団体の設立及び参加の処罰,同団体への支援行為の処罰(刑法),などが法制化されている。また,テロ対策関連予算・人員の継続増加を図るとともに,テロ関連情報を治安・情報諸機関の代表者からなる共同テロ防止センター(GTAZ)に集約して,テロへの効果的対処を図っている。
フランスでは,国内又は外国においてテロ行為を引き起こす目的を有する結社などに対して,大統領令に基づく,組織の解散命令,解散団体の財産没収,解散団体に対する支援行為の処罰(戦闘団体禁止法,刑法)などが法制化されているが,ロンドンでの前記爆発事件を受けて,政府は,(1)原子力施設などへの監視カメラ設置の義務付け,(2)国際列車における身分確認強化,(3)インターネットカフェにおける通信ログの保存,などの方策を打ち出し,テロ対策の強化に取り組んでいる。また,テロ対策関連予算・人員の継続増加を図るとともに,テロ関連情報をテロリスト対策調整室(UCLAT)に集約し,テロへの効果的対処を図っている。


我が国は,テロの未然防止の重要性にかんがみ,「テロの未然防止に関する行動計画」を着実に実施〉

我が国は,2001年(平成13年)9月の米国同時多発テロ事件を始め,世界各地で国際テロが多発している中,テロを未然に防止することの重要性にかんがみ,平成16年12月に「テロの未然防止に関する行動計画」(行動計画)を策定した。行動計画は,「今後速やかに講ずべきテロの未然防止対策」として,「テロリストを入国させないための対策の強化」や「テロリストを自由に活動させないための対策の強化」など,政府が新たに対応を必要とする16の項目を掲げ,さらに,「今後検討を継続すべきテロの未然防止対策」として,「テロの未然防止対策に係る基本方針等に関する法制」,「テロリスト及びテロ団体の指定制度」,「テロリスト等の資産凍結の強化」の3つの項目を掲げ,関係各省庁において検討を継続し,速やかに結論を得ることとされている。
公安調査庁では,行動計画の実施・推進に向け,(1)外国機関との連携を緊密にするなどして国際テロ組織の動向把握,(2)我が国国内において国際テロ組織とのかかわりが疑われる人物や組織の有無とその動向,(3)我が国国内におけるテロ組織との関係が疑われる資金・物資の流れ,などに関する情報収集・調査活動を強化するとともに,関係省庁の一員として,「テロの未然防止対策に係る基本方針等に関する法制」,「テロリスト及びテロ団体の指定制度」及び「テロリスト等の資産凍結の強化」などの事項について,他の省庁と協力して検討を継続している。

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