<1964(昭和39年)> 10月に五輪を控えた夏、東京は大渇水に見舞われ「東京サバク」と言われた。日中の断水が続き、人々が給水所に群がった
明治の創刊以来、朝日新聞社には国内外の時代を記録した貴重な写真が保存されています。「朝日新聞フォトアーカイブ」から、その時代の街並みや人々の生活、ファッション、風俗などを紹介します。昭和の厳しい夏、水不足やそれに伴う停電。大雨による水害もありました。いまや地球温暖化による連日の猛暑が災害級になっています。未来の夏はどうなっているのでしょうか。
1904(明治37)年、朝日新聞に初めて写真が掲載されました。朝日新聞フォトアーカイブで公開している450万枚以上の写真から紹介します。法人様向け写真利用のお問い合わせ先はメール shashin@asahi.com まで。
1973年夏、私は香川県の高松市に住んでいましたが空梅雨だったうえに、その後も雨が全く降らなくて ダムは干上がってしまうし、水道も断水で出なくなってしまいますし、本当に大変でした。給水車が来た、と言って外に出てみたら、横浜市水道局とか川崎市水道局と書かれた給水車が来てくださって、バケツに水を入れていただいた記憶があります。自衛隊機で、人工降雨実験もしましたがそれも空振りで、、万策尽き果てた感じでした。9月になって台風が来て、ようやっと水事情が回復しましたが、、あの時のことを覚えているので、水は本当に大切にしなければ、と今も痛切に思います。
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1973年夏、私は香川県の高松市に住んでいましたが空梅雨だったうえに、その後も雨が全く降らなくて ダムは干上がってしまうし、水道も断水で出なくなってしまいますし、本当に大変でした。給水車が来た、と言って外に出てみたら、横浜市水道局とか川崎市水道局と書かれた給水車が来てくださって、バケツに水を入れていただいた記憶があります。自衛隊機で、人工降雨実験もしましたがそれも空振りで、、万策尽き果てた感じでした。9月になって台風が来て、ようやっと水事情が回復しましたが、、あの時のことを覚えているので、水は本当に大切にしなければ、と今も痛切に思います。