裏金問題追及の盲点
衆議院選において、自民党派閥の裏金事件の報道が続いている。
いわゆる「裏金」問題は、相対的には些細な問題である。
この「相対的には」という考え方を欠いているのが、今の日本における大きな問題だ。
世の中にあるほとんどの問題は「程度問題」である。その「程度」を完全に無視し、ゼロかイチか、セーフかアウトか、という議論をするから、ギスギスとした攻撃的口調が先鋭化する。
よく日本の政治家や官僚は、自分たちの行いを「一定の効果があった」と正当化したがる。しかし、「一定の効果」と彼らが言うとき、それは実は「ほとんど効果がなかった」と翻訳すべきなのだ。
毛が3本しか生えない育毛剤は「一定の効果がある」育毛剤ではなく、「ほとんど効果がない」育毛剤、と解釈すべきである。「育毛剤」がポリコレ的に問題なのであれば、「血圧が1mmHg下がる降圧剤」でもよい。それをデジタルに「ある」と解釈するのが間違いなのだ。
政治家が裏金をもらうことは、「よい」「悪い」というデジタルな言い方をすれば「悪い」に決まっている。しかし、日本の政治家が論ずるトッププライオリティではありえない。相対的にはもっと論ずるべき問題が山積みである。経済や安全保障、人権といった諸問題に比べれば「裏金」は些細な問題に過ぎない。
裏金の構造が示すいびつな忠誠心
しかし、「裏金」を集めようとするその「構造」に注目するとまた別の視点が生じてくる。
以下に論ずるように、「裏金」自体は(相対的には)些細な問題だが、裏金を集めたがる組織構造は深刻な国益の問題に密接に関係しているからだ。
選択的夫婦別姓問題は日本の抱える諸問題の中では相対的に小さな問題だが、にもかかわらず、政治家たちの選択的夫婦別姓問題に対する見解は非常に重要である。その政治家の本質的な資質やファクト認識力を推し量るバロメーターとして非常に有用なツールだからだ。まあ、そういうことである。
過日、「自民党議員派閥の『裏金』問題」を伝える報道番組を見ていた。
その中で、「裏金」をせっせと作っていた議員はこのように述べていた。政治資金パーティを汗を流して積極的に開催し、「裏金」をたくさん作ると派閥内で高く評価される。そうすれば派閥人事でよい職名を得ることができ、党内出世の役に立つ。このような政治資金パーティ開催や「裏金」集めに無関心な議員は、派閥内や党内で頭角を現すことができない、というのだ。
このような、組織やグループの「内的な利益」のために「汗を流す」行為は組織内、グループ内では評価の対象となる。それは組織、グループのトップに対する忠誠心の証しだからである。