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有熊氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(黄帝有熊氏から転送)

有熊氏(ゆうゆうし、拼音: yǒuxiong shì)は、古国時代の有熊国の氏族である。

概要

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伝説では、無懐氏の時代、少典が熊を使役できた事から始まる、 両氏の祖とされる。有熊国を治め、支族である神農の一族は姜姓軒轅の一族は姫姓を名乗った。現在の中国においては、伝説上とはいえ、殆どがこの子孫という事になっているとされる[1]

有熊国

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有熊国(ゆうゆうこく)は、古国時代無懐氏以降における伝説上の有熊氏の治めた国である。

歴代君主として、次の人物が立ったとされる。

炎帝神農氏

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詳細は「神農氏」を参照

黄帝有熊氏

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黄帝有熊氏(こうていー)は、黄帝から まで、事実上の世襲 [注釈 4] により中華を治めたとされる一族の事である。単に有熊氏と略する場合があり、混同に注意が必要である。

黄帝有熊国の出身とされ、炎帝神農氏阪泉の戦いで破り、帝号を称した。姫姓であり、三代戦国七雄の祖である。特に周代において、周王家がこの子孫である事が強調された[2]

の治世は、徳により民を正しく導き、有徳者への禅譲が2代続けて行われた事で、後世の為政者から理想化された。また、からの禅譲により夏王朝が成立した事から、曹丕などの簒奪者は、放伐する事もできたが、前王朝からの正当性をアピールするという観点から、禅譲を用いた。

その後

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詳しくは羅国周朝諸侯国一覧を参照

羿の帝位簒奪時の家臣に、熊髠という人物が居たとされるが、これは有熊氏の嫡流である熊姓の者とされる。また、周代の諸侯国の1つで子爵を称した羅国も熊姓であったが、BC690にに滅ぼされた。また別系の子孫は華姓を名乗っているとされる[3]

関連項目

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脚注

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  • 注釈
  1. ^ 西晋代以降、神農と同一視されるが、それ以前の記述では異なる。
  2. ^ 西晋代以降、黄帝と同一視されるが、それ以前の記述では異なる。
  3. ^ 子孫は残っているが、この代で黄帝に倒されたため、以降は神農氏の項で記すこととする。
  4. ^ 形式上は禅譲であった。
  • 出典

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