アレクサンドロス2世ザビナス
アレクサンドロス2世 Αλέξανδρος Β` | |
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シリア 王 | |
アレクサンドロス2世を象ったドラクマ硬貨 | |
在位 | 紀元前128年 - 紀元前123年 |
全名 |
Ἀλέξανδρος θεός Ἐπιφανής Νικηφόρος アレクサンドロス・テオス・エピファネス・ニケフォロス |
出生 |
紀元前150年 |
死去 |
紀元前123年 |
王朝 | セレウコス朝 |
父親 | プロタルコス |
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アレクサンドロス2世テオス(古代ギリシャ語: Ἀλέξανδρoς Β` θεός, ラテン文字転写: Aléxandros II Theós, 紀元前150年 - 紀元前123年)は、セレウコス朝 シリアの対立 王(在位:紀元前128年 - 紀元前123年)。
生涯
[編集 ]エジプトの商人であったプロタルコスの子とされるが、アンティオコス7世の養子、アレクサンドロス1世の王子を称した[1] [2] 。パルティアによってメソポタミアを失陥する混乱の中で決起した。アレクサンドロス2世はプトレマイオス朝の王 プトレマイオス8世の傀儡であり、対立していた自らの姉のクレオパトラ2世と結んだデメトリオス2世を打倒するために擁立された[1] 。「ザビナス(古代ギリシャ語: Zαβίνας, ラテン文字転写: Zavínas)」はセム語に由来する語で「買われた奴隷」の意味であり、プトレマイオス8世の関係からつけられた侮蔑的な名称である。紀元前128年にアンティオキアを占領し[2] 、アンティオキアやアパメアといった一部の都市はデメトリオス2世の専制に対する反感から、アレクサンドロス2世を王として認めた。
紀元前126年にダマスカス郊外の戦いでデメトリオス2世を打ち破った[1] アレクサンドロス2世は、クレオパトラ・テアの統治するプトレマイス (英語版)周辺を除くシリアの支配者となったが、アレクサンドロス2世が強大となることを望まないプトレマイオス8世は姪のクレオパトラ・テアおよびその子のアンティオコス8世 (英語版)と結んだ[1] 。
アレクサンドロス2世はエジプトからの支援を受けたアンティオコス8世に敗北し、アンティオキアに逃れた。その地にあったゼウス神殿を略奪し[1] 、その略奪品をもって兵たちへの支払いを行った。略奪の際、ゼウス像の手に置かれたニーケー像を投げ、冗談めかして「ゼウスが私に勝利を与えた」と言ったと伝えられている。この暴挙に怒ったアンティオキアの住民によって追放され、紀元前123年に盗賊に捕えられて引き渡されたアンティオコス8世の命により処刑された。
出典
[編集 ]- ^ a b c d e Grainger 1997, p. 7
- ^ a b Shayegan 2011, p. 148
参考書籍
[編集 ]- John D. Grainger (1997年1月1日). A Seleukid Prosopography and Gazetteer. BRILL. ISBN 978-9004107991
- M. Rahim Shayegan (2011年9月15日). Arsacids and Sasanians: Political Ideology in Post-Hellenistic and Late Antique Persia. Cambridge University Press. ISBN 978-0521766418
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