コンテンツにスキップ
Wikipedia

水原浩一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(水原洋一から転送)
みずはら こういち
水原 浩一
本名 岩水 剣二 (いわみ けんじ、出生名)
土肥 剣二 (どい けんじ)
別名義 水原 洋一 (みずはら よういち)
生年月日 (1909年04月01日) 1909年 4月1日
没年月日 (1969年05月07日) 1969年 5月7日(60歳没)
出生地 日本の旗 日本広島県 呉市
死没地 日本の旗 日本京都市 右京区 (現在の同市西京区桂)
職業 俳優
ジャンル 新国劇劇映画(時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー)
活動期間 1924年 - 1969年
主な作品
轟く天地
背広戦線

女賭博師
 
受賞
「映画の日」永年勤続功労章(1966年)
テンプレートを表示

水原 浩一(みずはら こういち、1909年 4月1日 - 1969年 5月7日)は、日本の俳優である[1] [2] [3] [4] 。出生名岩水 剣二(いわみ けんじ)、のちに本名を土肥 剣二(どい けんじ)とした[1] [2] [4] 。旧芸名水原 洋一(みずはら よういち)のほか、名乗った芸名が多数である[1] [2] [3] [4] 。⇒ #芸名

人物・来歴

[編集 ]

1909年(明治42年)4月1日広島県 呉市に生まれる[1] [2] [4]

長じて東京に移り、1924年(大正13年)12月、数え16歳(満15歳)で澤田正二郎らの新国劇に参加して剣劇(剣戟舞台)を始め、「土肥 了平」の名で舞台に立つ[1] [2] 。1926年(大正15年)には、高松豊次郎タカマツ・アズマプロダクションに入社、「土肥 一成」の名で映画界にデビュー、河原侃二草間実の主演映画に助演する[1] [2] [3] 。翌1927年(昭和2年)には河原侃二とともに松竹蒲田撮影所に移籍している[1] [5]

京都に移ってマキノ・プロダクションを経て1927年(昭和2年)7月、同年に甲陽撮影所を閉鎖して等持院の京都撮影所(所長小笹正人)を製作拠点とした東亜キネマに移籍、「土肥 了治」と改名する[1] [2] [3] 。この時期、同社の経営から八千代生命が撤退し高村正次が撮影所長に就任、1931年(昭和6年)4月15日に公開された現代劇都会を縫ふ針』で歌川絹枝岡田静江の相手役に抜擢されたのを機に「水原 洋一」と改名する[1] [2] [3] 。同年9月、同撮影所は東活映画等持院撮影所(所長安倍辰五郎)となって高村が退陣、水原は高村が直木三十五と設立した大衆文芸映画社に移籍し、翌1932年(昭和7年)3月10日に新興キネマが配給して公開された『遙かなる風』に助演している[3] 。同年11月、東活映画社の急速な崩壊・解散を受けて、マキノ・プロダクション跡地である御室撮影所に高村が設立した宝塚キネマ興行に移籍した[1] [3] 。翌年の1933年(昭和8年)正月に封切られた『涙の天使』を初めとして、同社では主演俳優として活躍したが、同社も同年末には解散している[1] [3] 。1934年(昭和9年)6月に御室撮影所に田中伊助が設立したエトナ映画社に参加、主力俳優となったが、同社も設立半年後の1935年(昭和10年)4月には解散した[1] [3] [6] 。同撮影所は引き続き、同年2月に設立された極東映画が使用し、水原は同社に入社、同社でのみ「水原 宏二」を名乗り、羅門光三郎が主演するサイレントの剣戟映画に助演する[7]

同年12月末、太秦帷子ヶ辻中開町(現在の右京区太秦堀ヶ内町)にマキノ正博が新しく撮影所を建設・設立したマキノトーキー製作所に、翌1936年(昭和11年)に第二期入社で参加する[1] [3] [8] 。当初、「水原 洋一」あるいは「水原 庸一」と名乗っていたが[9] [10] 、「水原 蛟一郎」と改名して定着する[1] [3] 。同社は1937年(昭和12年)4月に解散し、マキノ正博、澤村國太郎光岡龍三郎、同期の田村邦男團徳麿志村喬大倉千代子大久保清子らとともに、日活京都撮影所に移籍した[1] [3] [8]

1938年(昭和13年)には日活を退社、満29歳になる同年4月にはに東京に戻って大都映画に移籍、芸名を「水原 洋一」に戻して現代劇を中心としたスター俳優となった[1] [2] [3] 。1942年(昭和17年)1月27日、戦時統合によって大映が設立され、大都映画は合併して撮影所は閉鎖されたが、水原は同社に継続入社する[1] [2] [3]

満34歳で第二次世界大戦の終戦を迎え、戦後も引き続き、大映京都撮影所(かつての日活京都撮影所)に所属し、時代劇の脇役を務めた[1] [2] [3] [4] 。一時は「映画界の暴れん坊」の異名をもち逸話の多い人物であったが、戦後は円熟味を得て温厚な人物として信頼を受けた[1] 。『日本映画俳優全集・男優編』には1955年(昭和30年)7月12日に公開された『銭形平次捕物控 どくろ駕籠』をもって「水原 浩一」と改名、とあるが[1] 、同年6月25日に公開された『踊り子行状記』のほうが公開日が早い[3] 大映東京撮影所が製作し、1967年(昭和43年)7月15日に公開された『女賭博師』(監督弓削太郎)に始まる同シリーズでは、任侠の世界に詳しかった水原が、指導にあたっている[1]

1969年(昭和44年)5月7日肝臓がんのため京都市右京区(現在の同市西京区桂)の京都桂病院で死去した[1] [2] 。満60歳没。

芸名

[編集 ]
  • 岩水 剣二 (いわみ けんじ) - 出生名
  • 土肥 剣二 (どい けんじ) - のちの本名

フィルモグラフィ

[編集 ]

すべてクレジットは「出演」である[3] [4] 東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[11] [12] 。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

タカマツ・アズマプロダクション

[編集 ]

すべて製作・配給は「タカマツ・アズマプロダクション」である[3] 。すべて「土肥一成」名義[3]

東亜キネマ京都撮影所

[編集 ]

すべて製作は「東亜キネマ京都撮影所」、配給は「東亜キネマ」である[3] 。特筆以外すべて「土肥了治」名義[3]

宝塚キネマ興行

[編集 ]

特筆以外すべて製作・配給は「宝塚キネマ興行」である[3] 。すべて「水原洋一」名義[3]

極東映画

[編集 ]

すべて製作・配給は「極東映画」である[7] 。すべて「水原宏二」名義[7]

マキノトーキー製作所

[編集 ]

初期の特筆以外すべて製作・配給は「マキノトーキー製作所」である[3] [14] 。特筆以外すべて「水原蛟一郎」名義[3]

日活京都撮影所

[編集 ]

すべて製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」である[3] [16] 。特筆以外すべて「水原洋一」名義[3]

大都映画

[編集 ]

すべて製作・配給は「大都映画」である[3] 。すべて「水原洋一」名義[3]

大映京都撮影所

[編集 ]

特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「大映」である[17] 。すべて「水原洋一」あるいは「水原浩一」名義[3]

水原洋一
水原浩一

脚注

[編集 ]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w キネマ旬報社[1979]、p.559.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 水原浩一コトバンク、2012年11月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 土肥一成日本映画データベース、2012年11月27日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 水原浩一KINENOTE、2012年11月27日閲覧。
  5. ^ 河原侃二 - 日本映画データベース、2012年11月27日閲覧。
  6. ^ 御室撮影所立命館大学、2012年11月27日閲覧。
  7. ^ a b c 水原宏二、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  8. ^ a b マキノ[1977]、p.338-374.
  9. ^ a b 加賀見山東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  10. ^ a b c 水原庸一、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  11. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 水原洋一、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq 水原浩一、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  13. ^ 血煙天竜川、日本映画情報システム、文化庁、2012年11月28日閲覧。
  14. ^ a b c 水原蛟一郎、日本映画情報システム、文化庁、2012年11月28日閲覧。
  15. ^ 次郎長裸旅、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  16. ^ 水原洋一日活データベース、2012年11月27日閲覧。
  17. ^ 水原浩一、日本映画情報システム、文化庁、2012年11月28日閲覧。
  18. ^ にっぽんGメン 第二話 難船崎の血闘、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  19. ^ 長崎の夜、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  20. ^ 新平家物語 義仲をめぐる三人の女、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  21. ^ 月形半平太 花の巻 嵐の巻、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  22. ^ 編笠権八、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  23. ^ 銭形平次捕物控 雪女の足跡、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  24. ^ 紅あざみ、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  25. ^ かげろう絵図、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  26. ^ 喧嘩富士、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  27. ^ 青葉城の鬼、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  28. ^ 青葉城の鬼、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年11月27日閲覧。
  29. ^ 新選組始末記、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  30. ^ 対決、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  31. ^ 手討、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  32. ^ 無法松の一生、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  33. ^ 女の賭場、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。
  34. ^ なみだ川、日本映画データベース、2012年11月28日閲覧。

参考文献

[編集 ]

関連項目

[編集 ]

外部リンク

[編集 ]

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /