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東本願寺 (台東区)

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(東京本願寺から転送)
曖昧さ回避 この項目では、浄土真宗東本願寺派の本山について説明しています。真宗大谷派の本山については「東本願寺」をご覧ください。
東本願寺
所在地 東京都台東区西浅草一丁目5番5号
位置 北緯35度42分42.5秒 東経139度47分22秒 / 北緯35.711806度 東経139.78944度 / 35.711806; 139.78944 座標: 北緯35度42分42.5秒 東経139度47分22秒 / 北緯35.711806度 東経139.78944度 / 35.711806; 139.78944
宗旨 浄土真宗
宗派 浄土真宗東本願寺派
寺格 本山
本尊 阿弥陀如来
(東京都指定有形文化財)
創建年 1651年(慶安4年)
開基 教如
正式名 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺
別称 浅草本願寺、浅草門跡、東京本願寺
文化財 絹本着色親鸞上人絵伝、銅鐘、等
公式サイト 浄土真宗東本願寺派本山東本願寺
法人番号 5010505000448 ウィキデータを編集
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東本願寺(ひがしほんがんじ)は、東京都 台東区 西浅草にある浄土真宗東本願寺派本山である。本尊阿弥陀如来単立 宗教法人であり、正式名は「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺[1] (: Jodoshin sect Higashi-honganji-ha Higashi-honganji)。

2024年現在の住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主である大谷光見(聞如)である。境内は4,250坪を有する。

由緒

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開創

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1651年(慶安4年)、東本願寺第12世教如神田江戸御坊光瑞寺を建立したのを始まりとし、その後、京都東本願寺の掛所(別院)となった。

浅草移転

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富嶽三十六景』「東都浅艸本願寺

1657年(明暦3年)、明暦の大火により焼失し、浅草に移転。「浅草本願寺」・「浅草門跡」と称されるようになり、21の支院と35の塔頭を抱え、境内は1万5000坪に及んだ。その伽藍は、江戸後期の天保年間に出版された浮世絵師葛飾北斎の連作『富嶽三十六景』に「東都浅艸本願寺」として描かれている。

1868年(明治元年)には、渋沢成一郎天野八郎などの旧幕臣ら百数十名により、大政奉還後、上野 寛永寺に蟄居していた徳川慶喜の擁護を目的とする「彰義隊」が結成され、その拠点となった。

1875年(明治8年)、明治天皇の臨幸のもと、日本で最初に開かれた「地方官会議(知事会議)」の議場に使用される。

1894年(明治27年)、日清戦争に際し俘虜収容所となり、清国 捕虜179名を収容。僧侶・小栗栖香頂は、毎月彼らに中国語で説教した。

1914年(大正3年)、第一次世界大戦に際し再び俘虜収容所となり、ドイツ捕虜計314名を収容。収容所長・西郷寅太郎。翌1915年(大正4年)、収容所は千葉県 習志野に移転。

1923年(大正12年)9月1日、関東大震災により本堂等を焼失。

1939年(昭和14年)、焼失した本堂を鉄筋コンクリート造りで再建する。

1945年(昭和20年)、空襲により本堂内部を焼失する[2]

1953年(昭和28年)、焼失した本堂内部を再建し、荘厳が整う。

真宗大谷派からの独立

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1965年(昭和40年)5月に「浅草本願寺」から「東京本願寺」へと改称する[3]

1981年(昭和56年)6月15日に、東京本願寺は東京都知事の認証を得て独立し、真宗大谷派との包括関係を解消する。真宗大谷派からの独立・包括関係の解消は、お東騒動を発端とする。

1988年(昭和63年)2月29日に、東京本願寺と賛同寺院により「浄土真宗東本願寺派」が結成され、東京本願寺が本山と定められる[4]

2001年(平成13年)4月26日に、現名称である「浄土真宗東本願寺派本山東本願寺」が文化庁より認証される[5]

伽藍

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  • 本堂
  • 紫雪亭
  • 慈光殿
  • 大遠忌記念館

文化財

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東京都指定有形文化財(彫刻)
  • 木造阿彌陀如来立像(鎌倉期)
台東区指定有形文化財(絵画)
  • 絹本着色親鸞上人絵伝(室町末期)
  • 絹本着色親鸞上人絵伝(江戸期慶長年間)
台東区指定有形文化財(工芸品)
  • 銅鐘(江戸初期)
その他

主な年中行事

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  • 修正会(1月1日〜3日)
  • 春季彼岸会(3月18日〜24日)
  • 永代経会(5月25日〜28日)
  • 法統慶讃会(6月1日)
  • 盂蘭盆会(7月13日〜16日)
  • 秋季彼岸会(9月20日〜26日)
  • 御正忌報恩講(11月23日〜28日)
  • 除夜の鐘(12月31日)

教育・研究

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  • 東本願寺学院
  • 国際仏教研究所
  • 徳風幼稚園
  • 学校法人東京大谷学園
    • 東京大谷幼稚園 (東京都多摩市愛宕1-51)

別院・墓所

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  • 東本願寺本廟 牛久浄苑 (茨城県牛久市久野町1923)
  • ひばりが丘別院 ひばりが丘浄苑(東京都西東京市ひばりが丘4-8-22)
  • 八王子の杜公園墓地(東京都八王子市廿里町51-7)
  • 東本願寺ニューヨーク

アクセス

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脚注

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  1. ^ 『宗教年鑑 平成29年版』(文化庁編、2017年12月31日発行)p.139,r.155
  2. ^ 本堂内部を焼失...鉄筋コンクリート造りであったため、本堂内部のみを焼失し、外郭の損壊は免れる。
  3. ^ 関東における歴史 - 東京本願寺へ改称
  4. ^ 東本願寺の法統 10 真の法統
  5. ^ 浄土真宗東本願寺派 本山 東本願寺 > 東本願寺の法統「11 法統伝承 -名称変更のお知らせ-」

関連文献

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関連項目

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ウィキメディア・コモンズには、東本願寺 (台東区) に関連するカテゴリがあります。

外部リンク

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本願寺寺基の移転と分立

東西分立前
(本願寺の歴史)

大谷廟堂 1272-1295(1321) → (大谷影堂)1295-1321大谷本願寺 1321 - 1465 山科本願寺 1483 - 1532石山本願寺(大坂本願寺) 1532 - 1580鷺森本願寺 1581 - 1583貝塚本願寺 1583 - 1585天満本願寺 1585 - 1591本願寺(堀川六条) 1591 - (1603) → (1603本願寺の東西分立)

東西分立後
(本願寺〈西〉) → 1881 - 浄土真宗本願寺派
(本願寺〈東〉) → 1881 - 真宗大谷派
東本願寺分派後
(1881) - 真宗大谷派
1988 - 浄土真宗東本願寺派

東京本願寺1981 - 2001浄土真宗東本願寺派本山東本願寺 2001 -

浄土真宗大谷本願寺派
(本願寺文化興隆財団)
本願寺(京都市右京区)

(嵯峨)本願寺 2005 -

東西分立後も、1987年に真宗大谷派が「宗教法人 本願寺」の解散の登記を行うまでは、共に「本願寺」が正式名称である。真宗大谷派は、1987年以降も「真宗本廟」の別称として「本願寺」を用いている『宗憲』第十三条
記号 - 「⇒」は寺基移転を表し、「→」は寺基移転を伴わない名称変更などを表す。

本願寺歴代

東西分立前

(宗祖) 親鸞 - (2) 如信 - 3 覚如 - 4 善如 - 5 綽如 - 6 巧如 - 7 存如 - 8 蓮如 - 9 実如 - 10 証如 - 11 顕如 - (12→隠退) (教如) - (1603年 本願寺の東西分立)

東西分立後
西本願寺

西12 准如 - 西13 良如 - 西14 寂如 - 西15 住如 - 西16 湛如 - 西17 法如 - 西18 文如 - 西19 本如 - 西20 広如 - 西21 明如 - 西22 鏡如 - 西23 勝如 - *西24即如 - 西25大谷光淳(専如) -

東本願寺

東12 教如 - 東13 宣如 - 東14 - 東15 常如 - 東16 一如 - 東17 真如 - 東18 従如 - 東19 乗如 - 東20 達如 - 東21 嚴如 - 東22 現如 - 東23 彰如 - 東24 闡如(東本願寺分派)

東本願寺分派後
真宗本廟(東本願寺)

東25 淨如 - 東26 大谷暢裕(修如) -

浄土真宗東本願寺派本山東本願寺

東本25 興如 - 東本26大谷光見(聞如) -

­本山本願寺(浄土真宗大谷本願寺派)[1]
(嵯峨)本願寺
略称 - 「西」=本願寺派、「」=大谷派、「東本」=東本願寺派、「東山」=(東山上花山)本願寺、「嵯峨」=(嵯峨)本願寺

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