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来島長親

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(2019年10月)
 
来島 長親
来島長親
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 天正10年(1582年)
死没 慶長17年3月15日(1612年 4月15日)
改名 通親、長親、康親
官位 従五位下 右衛門佐
幕府 江戸幕府
主君 豊臣秀吉秀頼徳川家康秀忠
豊後 森藩
氏族 来島氏
父母 来島通総平賀隆宗
兄弟 通則長親
福島正則養女玄興院
久留島通春 、津田某室、星合具牧
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来島 長親(くるしま ながちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての大名豊後国 森藩初代藩主

生涯

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慶長2年(1597年)、父の通総が慶長の役で戦死したため、家督を継いだ。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは、西軍に属し所領を没収された。しかし妻の伯父である福島正則の取りなしにより本多正信を通じ、慶長6年(1601年)に江戸幕府より豊後国の内陸部、森(大分県 玖珠郡 玖珠町)に1万4,000石を与えられた。これには、知己の大坂商人よりの口添えもあったといわれている。また、名を康親(やすちか)と改めた(将軍徳川家康からの一字拝領とみられる)。飛び地として大分湾に頭成港を領したものの、大半は海に属さない領地であり、水軍としての来島氏はこれで終焉した。慶長17年(1612年)に病没した。享年31。

来島氏は長親の長男・通春の時代の元和2年(1616年)に姓を久留島と改め、明治時代まで存続した。明治から昭和にかけての童話作家久留島武彦は末裔にあたる。

系譜

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父母

正室

子女

脚注

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久留島氏森藩初代藩主 (1601年 - 1612年)

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