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御名御璽

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(御署名原本から転送)
大日本帝国憲法原本に記された御名御璽(ネガ画像)
御署名原本保存箱(国立公文書館)

御名御璽(ぎょめいぎょじ)とは、天皇名前および御璽のこと。詔書や法令について、原本においては親署および御璽の押印があることを指すために用いる用語。天皇を(実名)をもって呼称することは伝統的に不敬とされるため、このように表記される。なお、歴史的には満洲国皇帝についても同様に用いられた。

近現代日本での運用

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明治政府では当初、重要な法令を太政大臣名で公布していたが、1885年(明治18年)12月の内閣制度が導入されて以降、憲法詔書法律条約勅令などは上諭(日本国憲法下においては公布文の形に改められる)によって公布が行なわれる体制に改められていき、各原本には御名御璽が付されることとなった[1]

現在も公的に用いられており、官報や法令集などに掲載される際、原本においては親署および御璽の押印がなされるところは「御名 御璽」と表記される。その際、「御名 御璽」は当該文書の題名から一段下げた高さに置かれる。天皇に代わって摂政が署名する際には、摂政は、天皇の名とともにその左脇に一段下げて摂政の名を記すことから、官報や法令集などにおいては「御名 御璽」と記載した次に「摂政名」と記載され、摂政についても実名は回避される。また、その後につづく首相閣僚副署は通常のように各行の最下部に署名どおりの実名(氏名)をもって表記される。

「御名 御璽」と表記されている例

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朕󠄁(チン)祖宗(ソソウ)遺󠄁烈(イレツ)()萬世(バンセイ)一系(イッケイ)帝󠄁位(テイイ)()朕󠄁(チン)親愛(シンアイ)スル所󠄁(トコロ)臣民(シンミン)(スナワ)朕󠄁(チン)祖宗(ソソウ)惠撫(ケイブ)慈󠄁養󠄁(ジヨウ)シタマヒシ所󠄁(トコロ)臣民(シンミン)ナルヲ(オモ)()康福(コウフク)增進󠄁(ゾウシン)()懿德(イトク)良能(リョウノウ)發達󠄁(ハッタツ)セシメムコトヲ(ネガ)(マタ)()翼󠄂贊(ヨクサン)()(トモ)(トモ)國家(コッカ)進󠄁運󠄁(シンウン)扶持(フジ)セムコトヲ望󠄁(ノゾ)(スナワ)明治(メイジ)十四(ジュウヨ)(ネン)十月(ジュウガツ)十二日(ジュウニニチ)詔命(ショウメイ)履踐(リセン)(ココ)大憲(タイケン)制定(セイテイ)朕󠄁(チン)率󠄁由(ソツユウ)スル所󠄁(トコロ)(シメ)朕󠄁(チン)後嗣(コウシ)(オヨビ)臣民(シンミン)(オヨビ)臣民(シンミン)子孫(シソン)タル(モノ)ヲシテ永遠󠄁(エイエン)循行(ジュンコウ)スル所󠄁(トコロ)()ラシム
國家(コッカ)統治(トウチ)大權(タイケン)朕󠄁(チン)(コレ)祖宗(ソソウ)()ケテ(コレ)子孫(シソン)(ツタ)フル所󠄁(トコロ)ナリ朕󠄁(チン)(オヨビ)朕󠄁(チン)子孫(シソン)將來(ショウライ)()憲法(ケンポウ)條章(ジョウショウ)(シタガ)(コレ)(オコナ)フコトヲ(アヤマ)ラサルヘシ
朕󠄁(チン)()臣民(シンミン)權利(ケンリ)(オヨビ)財產(ザイサン)安全(アンゼン)貴重(キチョウ)(オヨビ)(コレ)保護(ホゴ)()憲法(ケンポウ)(オヨビ)法律(ホウリツ)範圍內(ハンイナイ)於󠄁(オイ)()享有(キョウユウ)完全󠄁(カンゼン)ナラシムヘキコトヲ宣言(センゲン)
帝󠄁國(テイコク)議會(ギカイ)明治(メイジ)二十三(ニジュウサン)(ネン)(モッ)(コレ)召集(ショウシュウ)議會(ギカイ)開會(カイカイ)(トキ)(モッ)(コノ)憲法(ケンポウ)ヲシテ有效(ユウコウ)ナラシムルノ()トスヘシ
將來(ショウライ)(モシ)()憲法(ケンポウ)()條章(ジョウショウ)改定(カイテイ)スルノ必要(ヒツヨウ)ナル時宜(ジギ)()ルニ(イタ)ラハ朕󠄁(チン)(オヨビ)朕󠄁(チン)繼統(ケイトウ)子孫(シソン)發議(ハツギ)(ケン)()(コレ)議會(ギカイ)()議會(ギカイ)()憲法(ケンポウ)(サダメ)メタル要件(ヨウケン)()(コレ)議決(ギケツ)スルノ(ホカ)朕󠄁(チン)子孫(シソン)(オヨビ)臣民(シンミン)(アエ)(コレ)紛更󠄁(フンコウ)(ココロ)ミルコトヲ()サルヘシ
朕󠄁(チン)在廷(ザイテイ)大臣(ダイジン)朕󠄁(チン)(タメ)()憲法(ケンポウ)施行(セコウ)スルノ(セメ)(ニン)スヘク朕󠄁(チン)現在(ゲンザイ)(オヨビ)將來(ショウライ)臣民(シンミン)()憲法(ケンポウ)(タイ)永遠󠄁(エイエン)從順(ジュウジュン)義務(ギム)()フヘシ

御 名 御 璽
明治二十二年二月十一日

(以下略) —  大日本帝國憲法

御署名原本

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御名御璽が付された原本自体のことは、「御署名原本」と呼ばれる[1] 。御署名原本は国立公文書館が取り扱う史料の中でも特に重要であるため、貴重書庫に厳重に保管している[2]

満洲国での運用

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満洲国では1932年(大同元年)3月1日から1934年(大同3年)3月1日までは満洲国執政を元首とする共和制を採用していたため、教書・執政令(法律・教令・軍令・国際条約・予算及び予算外国庫負担となるべき契約)については執政である溥儀の名で公布されていた。そのため、満洲国の機関紙である『満洲国政府公報』に掲載される際、原本においては署名および押印がなされるところは「執政 溥儀印」と表記されていた。

1934年(康徳元年)3月1日の帝政移行に伴い、詔書・帝室令(日本の皇室令に相当)・法律・勅令・軍令・国際条約・予算及び予算外国庫負担となるべき契約は、大日本帝国と同様に上諭を附して公布が行なわれる体制に改められた。そのため、『政府公報』(『満洲国政府公報』から改題)に掲載される際、原本においては親署および御璽の押印がなされるところは「御名御璽」と表記された。その際、「御名御璽」は当該文書の題名から一段下げて置かれた。なお、日本の官報での表記と異なり、「御名御璽」の文字間隔は完全に均等である。

「御名御璽」と表記されている例

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朕󠄁皇天ノ眷命ヲ承ケ帝󠄁位ニ卽キ茲ニ組織法ヲ制定シ統治組織ノ根本ヲ示ス朕󠄁ハ統治ノ權ヲ行フニ當リ此ノ條章ニ循ヒテ愆ラサルヘシ
御 名 御 璽
康德元年三月一日

(以下略) — 組織法

出典

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  1. ^ a b "御署名原本について". アジア歴史資料センター. 2019年3月3日閲覧。
  2. ^ "主な公文書:国立公文書館". www.archives.go.jp. 2019年3月3日閲覧。

関連項目

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