ムンナー兄貴、医者になる
ムンナー兄貴、医者になる | |
---|---|
Munna Bhai M.B.B.S. | |
監督 | ラージクマール・ヒラーニ |
脚本 |
ラージクマール・ヒラーニ ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー |
原案 | ラージクマール・ヒラーニ |
製作 | ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー |
出演者 |
サンジャイ・ダット グレーシー・シン (英語版) アルシャード・ワールシー (英語版) スニール・ダット ジミー・シェールギル (英語版) ボーマン・イラニ (英語版) |
音楽 | アヌー・マリク (英語版) |
撮影 | ビノード・プラダーン (英語版) |
編集 |
プラディープ・サルカール (英語版) ラージクマール・ヒラーニ |
製作会社 |
ヴィノード・チョープラー・フィルムズ (英語版) エンターテインメント・ワン |
公開 | インドの旗 2003年 12月19日 |
上映時間 | 156分 |
製作国 | インドの旗 インド |
言語 | ヒンディー語 |
興行収入 | ₹300,000,000[1] |
次作 | ムンナー兄貴、ガンディーと出会う (英語版) |
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『ムンナー兄貴、医者になる』(ムンナーあにき、いしゃになる、Munna Bhai M.B.B.S.)は、2003年に公開されたインドのコメディドラマ映画。ラージクマール・ヒラーニの監督デビュー作で、『ムンナー・バーイーシリーズ (英語版)』の第1作。上映日数は25週間以上を記録し、26週目の時点で257スクリーンで上映されていた[2] 。
あらすじ
[編集 ]キャスト
[編集 ]- ハリ・プラサード・シャルマ - スニール・ダット
- ムルリ・プラサード・シャルマ(ムンナー・バーイー (英語版)) - サンジャイ・ダット
- スマン・アスタラ(チンキ) - グレーシー・シン (英語版)
- サルカシュワル/サーキット - アルシャード・ワールシー (英語版)
- JC・アスタラ - ボーマン・イラニ (英語版)
- ザヒール - ジミー・シェールギル (英語版)
- パールヴァティー・シャルマ - ロヒニ・ハッタンガディー (英語版)
- スリ - ナワーズッディーン・シッディーキー
- ルスタム - クルシュ・デブー (英語版)
- アナンド・バネルジー - ヤティン・カルエカル (英語版)
- 公園のココナッツ売り - ロヒタシュ・ガウド (英語版)
- スマンの友人 - ネーハー・ドゥベー (英語版)
- リーナ - ムマイト・カーン (英語版)
製作
[編集 ]ラージクマール・ヒラーニはインタビューの中で、医学生の友人との会話から映画のアイディアを得たことを明かしている[3] 。また、家族が病気になった際に医療関係者と交流したことも製作に影響を与えている。
ヒラーニは脚本執筆の段階ではアニル・カプールを主役に考えていた[3] 。しかし、ムンナー・バーイー役にはシャー・ルク・カーンが起用され、ザヒール役のサンジャイ・ダットと共演することになったが、シャー・ルクは後に深刻な腰痛のため降板を余儀なくされた[4] [5] [6] [7] [8] [9] 。そのためシャー・ルクは映画に出演していないが、エンドクレジットには彼の協力に感謝する旨が記載されている[3] 。また、ヒラーニはシャー・ルクとの会話の中で、アイシュワリヤー・ラーイを起用することを考えついた[3] 。ムンナ・バーイー役にはヴィヴェーク・オベロイが検討されたが、最終的にはサンジャイ・ダットが演じることになり、またムンナ・バーイーの父親役としてサンジャイの父スニール・ダットが10年振りに映画出演することになった。サルカシュワル役には当初マカランド・デシュパンデが検討されていたが、最終的にアルシャード・ワールシー (英語版)が起用され、彼のキャリアにとっての転換点となった。医科大学のシーンはプネーの農業大学とムンバイのグラント・ガバメント・メディカル・カレッジ (英語版)で撮影された[10] 。ヒラーニは十分な製作費が確保できなかったため、一部のシーンの撮影方法を変更することにした。終盤の結婚式のシーンについては、式場のセット作成とグレーシー・シン (英語版)の衣装作成で数千ルピーの費用が必要と試算されたため、費用を抑えるために実際の結婚式場を利用することに決め、式場運営者の許可を取り式終了後に式場を借りて撮影を行っている[3] 。
『ムンナー兄貴、医者になる』はロビン・ウィリアムズ主演の『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』と類似点が指摘されている。ヒラーニは指摘に対して、製作以前に『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』を鑑賞したことはなく、そうした指摘を否定している[11] 。
映画音楽はアヌー・マリク (英語版)、作詞はアッバス・タイヤワーラー (英語版)とラハト・インドリ (英語版)が手掛けている。Box Office Indiaによると、サウンドトラックアルバムは100万枚発売され、2003年の売上ランキング第15位になった[12] 。
受賞・ノミネート
[編集 ]映画賞 | 部門 | 対象 | 結果 | 出典 |
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第51回国家映画賞 (英語版) | 健全な娯楽を提供する大衆映画賞 | ムンナー兄貴、医者になる | 受賞 | [13] |
第49回フィルムフェア賞 (英語版) | 審査員選出作品賞 (英語版) | [14] | ||
作品賞 (英語版) | ノミネート | |||
脚本賞 (英語版) | ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー、ラージクマール・ヒラーニ、ラジャン・ジョゼフ | 受賞 | ||
監督賞 | ラージクマール・ヒラーニ | ノミネート | ||
コメディアン賞 (英語版) | サンジャイ・ダット | 受賞 | ||
ボーマン・イラニ | ノミネート | |||
台詞賞 (英語版) | アッバス・タイヤワーラー | 受賞 | ||
助演男優賞 | アルシャード・ワールシー | ノミネート | ||
国際インド映画アカデミー賞 | 脚本賞 (英語版) | ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー、ラージクマール・ヒラーニ、ラジャン・ジョゼフ | 受賞 | |
コメディアン賞 | ボーマン・イラニ | |||
台詞賞 | アッバス・タイヤワーラー | |||
作品賞 | ムンナー兄貴、医者になる | ノミネート | ||
編集賞 (英語版) | ラージクマール・ヒラーニ | 受賞 | ||
監督賞 | ノミネート | |||
原案賞 (英語版) | ||||
主演男優賞 | サンジャイ・ダット | |||
助演男優賞 | アルシャード・ワールシー | |||
音楽監督賞 (英語版) | アヌー・マリク | |||
女性プレイバックシンガー賞 (英語版) | スニディ・チャウハン (英語版) (「Dekhle Aankhon Mein Aankhien Daal」) | |||
作詞賞 (英語版) | ラハト・インドリ (「Dekhle Aankhon Mein Aankhien Daal」) | |||
製作者組合映画賞 (英語版) | 新人監督賞 | ラージクマール・ヒラーニ | 受賞 | |
編集賞 | ||||
監督賞 | ノミネート | |||
作品賞 | ムンナー兄貴、医者になる | |||
主演男優賞 | サンジャイ・ダット | |||
助演男優賞 | アルシャード・ワールシー | |||
脚本賞 | ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー、ラージクマール・ヒラーニ、ラジャン・ジョゼフ | |||
撮影賞 | ビノード・プラダーン (英語版) | |||
ジー・シネ・アワード | コメディアン賞 (英語版) | アルシャード・ワールシー | 受賞 | |
ボーマン・イラニ | ノミネート | |||
新人監督賞 | ラージクマール・ヒラーニ | 受賞 | ||
撮影賞 | ビノード・プラダーン | |||
作品賞 | ムンナー兄貴、医者になる | ノミネート | ||
ボリウッド・ムービー・アワード (英語版) | 監督賞 (英語版) | ラージクマール・ヒラーニ | 受賞 | |
センセーショナル男優賞 (英語版) | サンジャイ・ダット | |||
助演男優賞 (英語版) | アルシャード・ワールシー | |||
ビッグ・スター・エンターテインメント・アワード (英語版) | ベストフィルム・オブ・ディケイド | ムンナー兄貴、医者になる | ノミネート |
リメイク一覧
[編集 ]年 | 作品名 | 言語 | キャスト | 監督 |
---|---|---|---|---|
2004 | Shankar Dada M.B.B.S. | テルグ語 | チランジーヴィ、シュリカーント (英語版)、ソナリ・ベンドレ (英語版)、パレーシュ・ラーワル | ジャヤント・C・パランジー (英語版) |
2004 | Vasool Raja MBBS | タミル語 | カマル・ハーサン、スネーハー (英語版)、プラブ、プラカーシュ・ラージ | サラン (英語版) |
2006 | Uppi Dada M.B.B.S. | カンナダ語 | ウペンドラ (英語版)、ウーマ・シャンカリ (英語版)、アナント・ナーグ | D・ラジェンドラ・バーブ (英語版) |
2017 | Dr. Nawariyan | シンハラ語 | ランジャン・ラーマナヤク (英語版)、ルワンギ・ラスナヤク | ランジャン・ラーマナヤク |
出典
[編集 ]- ^ "Rs 2,000 crore from 5 movies! Sanju director Rajkumar Hirani always delivers a box office hit". Business Today. 2019年11月5日閲覧。
- ^ "Top Earners 2003". boxofficeindia.com. 25 May 2012時点のオリジナルよりアーカイブ。10 July 2008閲覧。
- ^ a b c d e "My First Film Rajkumar Hirani Munna Bhai MBBS Anupama Chopra" (10 August 2016). 7 May 2018閲覧。
- ^ Sharma, Gaurav (8 December 2003). "Shahrukh Khan was the original Munnabhai | Shahrukh Khan | Munnabhai Mbbs". Bollywoodmantra.com. 28 May 2015閲覧。
- ^ "Shah Rukh Khan as Munnabhai? - The Times of India". Timesofindia.indiatimes.com (1 October 2012). 28 May 2015閲覧。
- ^ "Why Shah Rukh Khan backed out of 'Munnabhai' | Latest News & Updates at Daily News & Analysis". Dnaindia.com (1 April 2012). 28 May 2015閲覧。
- ^ "Sanjay Dutt replaces Shah Rukh in new movie – The Times of India". Timesofindia.indiatimes.com (24 June 2002). 28 May 2015閲覧。
- ^ "Shah Rukh was the first choice for 'Munnabhai' – IBNLive". Ibnlive.in.com (1 April 2012). 28 May 2015閲覧。
- ^ "Shropshire – Bollywood – Munnabhai MBBS Preview". BBC.co.uk. (19 December 2003). http://www.bbc.co.uk/shropshire/films/bollywood/2003/11/mbbs_preview.shtml 28 May 2015閲覧。
- ^ "Nitesh Rane bails out Marathi filmmaker". Money Control (19 December 2012). 5 April 2013閲覧。
- ^ "Robin Williams: The man Bollywood thanks profusely for 'Mrs Doubtfire' and 'Patch Adams' that influenced two beloved Hindi films". CNN-News18 . (12 August 2014). http://www.news18.com/news/india/robin-williams-the-man-bollywood-thanks-profusely-for-mrs-doubtfire-and-patch-adams-that-influenced-two-beloved-hindi-films-707414.html 2019年11月5日閲覧。
- ^ "Music Hits 2000–2009 (Figures in Units)". Box Office India . 15 February 2008時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月5日閲覧。
- ^ "Munnabhai MBBS wins National Film Award". rediff.com. 2019年11月5日閲覧。
- ^ "Filmfare Awards 2004 Winners". ザ・タイムズ・オブ・インディア. 2019年11月5日閲覧。
外部リンク
[編集 ]- 公式ウェブサイト (英語)
- Munna Bhai M.B.B.S. - IMDb (英語)