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ジョヴァンナ1世 (ナポリ女王)

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(2012年2月)
ジョヴァンナ1世
Giovanna I d'Angiò
ナポリ女王
シチリア女王
エルサレム女王
在位 1343年 - 1382年

出生 1327年
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ
死去 1382年 5月12日
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ムーロ・ルカーノ
埋葬 ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ、サンタ・キアラ聖堂
配偶者 アンドレア・ドゥンゲリア
  ターラント公ルイージ
  マヨルカ王ジャウメ4世
  オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン
子女 カルロ・マルテッロ
カテリーナ
フランチェスカ
家名 アンジュー=シチリア家
王朝 ナポリ・アンジュー朝
父親 カラブリア公カルロ
母親 マリーア・ディ・ヴァロワ
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ジョヴァンナ1世・ダンジョ(Giovanna I d'Angiò, 1327年 - 1382年 5月12日)は、ナポリ 女王(在位:1343年 - 1382年)。エルサレム 女王シチリア 女王アカイア公プロヴァンス伯フォルカルキエ伯の称号を有した。ナポリ王ロベルトの長男カラブリア公カルロと、フランス フィリップ6世の異母妹マリーア・ディ・ヴァロワの娘。

生涯

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1343年、祖父のロベルトを継いでナポリ女王となった。しかし、王位を又従兄ハンガリーラヨシュ1世に狙われ(ラヨシュ1世のナポリ遠征)、1347年にナポリから追放され、フランスへ亡命し、1352年に復帰を果たした。当初、ジョヴァンナは教皇ウルバヌス6世の支持者であったが、後に対立し、1381年にウルバヌス6世はジョヴァンナをナポリ王位から退位させ、カルロ・ディ・ドゥラッツォに王位を与える決定を行った[1] [2] 。一方、子のいなかったジョヴァンナは1382年にヴァロワ=アンジュー家ルイ1世・ダンジューを後継者とすることを決定したため[1] [3] 、同年にムーロ・ルカーノでラヨシュ1世の命を受けた又従弟のカルロ・ディ・ドゥラッツォによって暗殺され[1] 、最後の夫に先立って死去した。代わってカルロ・ディ・ドゥラッツォがカルロ3世として王位についた。カルロ3世はまた、ジョヴァンナの妹マリア・ディ・カラブリアの娘マルゲリータの夫でもあった。

ジョヴァンナは4度結婚した[4] 。最初にハンガリー王ラヨシュ1世の弟で又従兄に当たるアンドラーシュ(エンドレ)と結婚したが、1345年に暗殺された(ジョヴァンナ自身が加担したとも言われる)[3] 。アンドラーシュとの間には1男カルロ・マルテッロ(1345年 - 1348年、カラブリア公)が生まれたが早世している。翌1346年に父カルロの従弟であり自身の母方の従兄でもあるターラント公ルイージと2度目の結婚をしたが、1362年に死別した。ルイージとの間には2女が生まれたが、いずれも早世している。翌1363年マヨルカジャウメ4世と結婚したが、1375年に死別し、子は生まれなかった。翌1376年にブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公オットー(ハインリヒ2世の息子)と最後の結婚をしたが、子は生まれなかった。

なお、1348年教皇 クレメンス6世がジョヴァンナからアヴィニョンを買い取っている[4] 。その後アヴィニョンは教皇宮殿を中心に国際ゴシック様式が流行、フランス革命で没収されるまで教皇領の一部となった。

脚注

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  1. ^ a b c タックマン、p. 581、注91
  2. ^ マックスウェル=スチュアート、p. 180
  3. ^ a b 澤井、p. 86
  4. ^ a b タックマン、p. 353、注102

参考文献

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  • 澤井繁男 『ナポリの肖像』 中央公論新社、2001年
  • バーバラ・W・タックマン、徳永守儀 訳 『遠い鏡』 朝日出版社、2013年
  • P.G.・マックスウェル=スチュアート 『ローマ教皇歴代誌』 創元社、1999年

関連項目

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先代
カルロ
カラブリア女公
1333年 - 1343年
次代
アンドレア・ドゥンゲリア
アンジュー朝

カルロ1世 1282-1285 / カルロ2世 1285-1309 / ロベルト1世 1309-1343 / ジョヴァンナ1世 1343-1382 / カルロ3世 1382-1386 / ラディズラーオ1世 1386-1389

ヴァロワ=アンジュー朝

ルイージ2世 1389-1399

アンジュー朝

ラディズラーオ1世 (復位)1399-1414 / ジョヴァンナ2世 1414-1435

ヴァロワ=アンジュー朝

レナート1世 1435-1442

トラスタマラ朝
ヴァロワ朝
トラスタマラ朝
ヴァロワ朝

ルイ-ジ3世 1501-1504

トラスタマラ朝
スペイン・ハプスブルク朝

カルロ4世 1516-1556 / フィリッポ1世 1556-1598 / フィリッポ2世 1598-1621 / フィリッポ3世 1621-1665 / カルロ5世 1665-1700

ブルボン朝
オーストリア・ハプスブルク朝

カルロ6世 1707-1735

ブルボン朝
ボナパルト朝
ブルボン朝

フェルディナンド4世 (復位)1815-1816

(注記)1816年、両シチリア王国成立
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