イーゴリ・シャリモフ
イーゴリ・シャリモフ
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2016年のシャリモフ | |||
名前 | |||
本名 |
イーゴリ・ミハーイロヴィチ・シャリモフ Igor Mihailovich Shalimov | ||
ラテン文字 | Igor Shalimov | ||
ロシア語 | Игорь Михайлович Шалимов | ||
基本情報 | |||
国籍 | ロシアの旗 ロシア | ||
生年月日 | (1969年02月02日) 1969年 2月2日(55歳) | ||
出身地 | ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦、モスクワ | ||
身長 | 182cm | ||
体重 | 76kg | ||
選手情報 | |||
ポジション | MF | ||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1986-1991 | ソビエト連邦の旗 スパルタク・モスクワ | 95 | (20) |
1991-1992 | イタリアの旗 フォッジャ | 33 | (9) |
1992-1994 | イタリアの旗 インテル・ミラノ | 50 | (11) |
1994-1995 | ドイツの旗 MSVデュースブルク | 21 | (0) |
1995-1996 | スイスの旗 ACルガーノ | 12 | (4) |
1995-1996 | イタリアの旗 ウディネーゼ | 20 | (0) |
1996-1998 | イタリアの旗 ボローニャ | 34 | (5) |
1998-1999 | イタリアの旗 ナポリ | 19 | (2) |
通算 | 284 | (51) | |
代表歴 | |||
1990-1991[1] | ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 | 20 | (2) |
1992[1] | 独立国家共同体の旗 CIS | 4 | (0) |
1992-1998[1] | ロシアの旗 ロシア | 23 | (3) |
監督歴 | |||
2001-2002 | ロシアの旗 クラスノズナメンスク | ||
2003 | ロシアの旗 ウラニア・エリスタ | ||
2008-2011 | ロシアの旗 ロシア女子代表 | ||
2015-2016 | ロシアの旗 クラスノダール2 | ||
2016 | ロシアの旗 クラスノダール(コーチ) | ||
2016 | ロシアの旗 クラスノダール(暫定) | ||
2016-2018 | ロシアの旗 クラスノダール | ||
2018-2019 | ロシアの旗 ヒムキ | ||
2019-2020 | ロシアの旗 テレク・グロズヌイ | ||
2021-2022 | ロシアの旗 ウラル・スヴェルドロフスク・オブラスト | ||
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イーゴリ・ミハイロヴィチ・シャリモフ(Igor Mihailovich Shalimov, 1969年 2月2日 - )は、ロシア・モスクワ出身のサッカー指導者。元サッカー選手、サッカー指導者。元ロシア代表。ポジションはミッドフィールダー。
クラブ
[編集 ]ロコモティフ・モスクワ、FCスパルタク・モスクワのユースを経て1986年にスパルタク・モスクワでキャリアをスタートさせた。
スパルタク・モスクワで数シーズンにわたり活躍し、1991年には、ダン・ペトレスク、イーゴリ・コリヴァノフらとともに、ズデネク・ゼーマン率いるセリエAのフォッジャ・カルチョに加入した。ミラクル・フォッジャの一員として、9ゴールを決め、ジュゼッペ・シニョーリ、ロベルト・ラムバウディ、フランチェスコ・バイアーノらとともに快進撃を続けた。
フォッジャでの活躍が認められ、1992-93シーズンにはインテル・ミラノに約12億円で移籍した。司令塔として9ゴールを決めるなど、ACミランとの優勝争いの原動力となったが、1993-94シーズンからデニス・ベルカンプ、ヴィム・ヨンクが加入したことで、外国人枠の問題から常時スタメン出場することは出来ず、UEFAカップ決勝でもベンチ外となるなど、1994-95シーズンにはブンデスリーガのデュースブルクへ移籍した。
その後、スイスのACルガーノを経て、再びセリエAに戻りウディネーゼ、ボローニャ、ナポリでプレー。ナポリ在籍時の1998-99シーズンにステロイド使用の出場停止処分を受けたことで引退した。
代表
[編集 ]ソビエト連邦代表としては1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会に出場した。
ソ連崩壊後はCIS代表としてUEFA EURO '92に出場した。
1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会でも中心選手とみられていたが、アンドレイ・カンチェルスキス、イーゴリ・コリヴァノフ、セルゲイ・キリアコフ、ヴァシリ・クルコフらとともに当時のロシア代表監督パヴェル・サディリンに反旗を翻し出場をボイコットした。
オレグ・ロマンツェフがロシア代表監督就任後は代表に復帰、UEFA EURO '96では再び大舞台でプレーした。
出典
[編集 ]- ^ a b c "Igor Mikhailovich Shalimov - International Appearances" (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/shalimov-intl.html