高森泰男
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高森 泰男
| |||
---|---|---|---|
名前 | |||
カタカナ | タカモリ ヤスオ[1] | ||
ラテン文字 | TAKAMORI Yasuo | ||
基本情報 | |||
国籍 | 日本の旗 日本 | ||
生年月日 | (1934年03月03日) 1934年 3月3日 | ||
出身地 | 岡山県 [2] | ||
没年月日 | 2016年2月3日/83歳 | ||
身長 | 168cm[3] | ||
体重 | 72kg[3] | ||
選手情報 | |||
ポジション | DF | ||
ユース | |||
1949-1951 | 日本の旗 関西高校 | ||
1952-1955 | 日本の旗 立教大学 | ||
クラブ1 | |||
年 | クラブ | 出場 | (得点) |
1956-1968 | 日本の旗 日本鋼管 | 28 | (0) |
通算 | 28 | (0) | |
代表歴 | |||
1955-1963 | 日本の旗 日本 | 30 | (0) |
監督歴 | |||
1962-1966 | 日本の旗 日本鋼管 | ||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■しかくテンプレート(■しかくノート ■しかく解説)■しかくサッカー選手pj |
高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年 3月3日 - 2016年以前)は、岡山県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。
経歴
[編集 ]関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。1952年に立教大学に入学。在学中の1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、第3回国際大学スポーツ週間 (英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。
大学2年次の1955年に日本代表に選出され、1月2日のビルマ(保健大臣チーム)戦で初出場を果たした。大学4年次の1956年にメルボルンオリンピック予選の日本代表に選出・出場し、同年11月の本大会にも出場した[3] 。
1956年に大学を卒業して日本鋼管サッカー部に入部。闘志を前面に出した激しいディフェンスで中心選手として活躍、高森のプレースタイルは後の日本鋼管のチームカラーとなるなど、強い影響力を与えた。また1962年から1966年まで選手兼任監督を務めた。また、1958年のアジア大会、1959年のローマ五輪予選、1960年の1962 FIFAワールドカップ・予選に出場するなど、通算で国際Aマッチ30試合に出場した。
なお、詳細な没年は不明であるが、2016年7月時点で故人となっている[2] 。
所属クラブ
[編集 ]個人成績
[編集 ]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | - | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1967 | 鋼管 | JSL | 14 | 0 | - | ||||||
1968 | 14 | 0 | - | - | 14 | 0 | |||||
通算 | 日本 | JSL | 28 | 0 | - | ||||||
総通算 | 28 | 0 | - |
代表歴
[編集 ]出場大会
[編集 ]- メルボルン五輪 (1956)
- アジア競技大会 (1958,1962)
- ローマ五輪予選 (1959)
- 1962 FIFAワールドカップ・予選 (1960)
試合数
[編集 ]- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1955-1963)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1955 | 5 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 |
1956 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
1957 | 0 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 |
1958 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
1959 | 10 | 0 | 7 | 0 | 17 | 0 |
1960 | 1 | 0 | 10 | 1 | 11 | 1 |
1961 | 2 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 |
1962 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1963 | 2 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 |
通算 | 30 | 0 | 40 | 1 | 70 | 1 |
出場
[編集 ]No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦相手 | 結果 | 監督 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1955年01月02日 | ミャンマーの旗 ラングーン | ビルマ | △しろさんかく1-1 | 竹腰重丸 | 国際親善試合 | |
2. | 1955年01月05日 | ミャンマーの旗 ラングーン | ビルマ | ●くろまる0-3 | 国際親善試合 | ||
3. | 1955年01月08日 | ミャンマーの旗 ラングーン | ビルマ | △しろさんかく1-1 | 国際親善試合 | ||
4. | 1955年01月11日 | ミャンマーの旗 ラングーン | ビルマ | ○しろまる1-0 | 国際親善試合 | ||
5. | 1955年10月09日 | 日本の旗 東京都 | 後楽園競輪場 | ビルマ | △しろさんかく0-0 | 国際親善試合 | |
6. | 1956年06月03日 | 日本の旗 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ○しろまる2-0 | オリンピック予選 | |
7. | 1956年06月10日 | 日本の旗 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ●くろまる0-2(延長) | オリンピック予選 | |
8. | 1956年11月27日 | オーストラリアの旗 メルボルン | オーストラリア | ●くろまる0-2 | オリンピック | ||
9. | 1958年05月26日 | 日本の旗 東京都 | 東京蹴球場 | フィリピン | ●くろまる0-1 | 川本泰三 | アジア大会 |
10. | 1958年05月28日 | 日本の旗 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | 香港 | ●くろまる0-2 | アジア大会 | |
11. | 1958年12月25日 | 香港の旗 香港 | 香港 | ●くろまる2-5 | 竹腰重丸 | 国際親善試合 | |
12. | 1958年12月28日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | マラヤ | ●くろまる2-6 | 国際親善試合 | ||
13. | 1959年01月04日 | マレーシアの旗 ペナン | マラヤ | ○しろまる3-1 | 国際親善試合 | ||
14. | 1959年01月10日 | シンガポールの旗 シンガポール | シンガポール | ○しろまる4-3 | 国際親善試合 | ||
15. | 1959年01月11日 | シンガポールの旗 シンガポール | シンガポール | ●くろまる2-3 | 国際親善試合 | ||
16. | 1959年08月31日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | 香港 | △しろさんかく1-1(延長) | ムルデカ大会 | ||
17. | 1959年09月02日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | 香港 | ●くろまる2-4 | ムルデカ大会 | ||
18. | 1959年09月03日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | シンガポール | ○しろまる4-1 | ムルデカ大会 | ||
19. | 1959年09月05日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | 韓国 | △しろさんかく0-0 | ムルデカ大会 | ||
20. | 1959年09月06日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | 韓国 | ●くろまる1-3 | ムルデカ大会 | ||
21. | 1959年12月13日 | 日本の旗 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ●くろまる0-2 | オリンピック予選 | |
22. | 1959年12月20日 | 日本の旗 東京都 | 後楽園競輪場 | 韓国 | ○しろまる1-0 | オリンピック予選 | |
23. | 1960年11月06日 | 大韓民国の旗 ソウル | 韓国 | ●くろまる1-2 | デットマール・クラマー(コーチ) | ワールドカップ予選 | |
24. | 1961年08月15日 | シンガポールの旗 シンガポール | インドネシア | ●くろまる0-2 | 高橋英辰 | 国際親善試合 | |
25. | 1961年11月28日 | 日本の旗 東京都 | 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場 | ユーゴスラビア | ●くろまる0-1 | 国際親善試合 | |
26. | 1962年08月30日 | インドネシアの旗 インドネシア | 韓国 | ●くろまる0-1 | アジア大会 | ||
27. | 1962年09月08日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | マラヤ | △しろさんかく2-2 | ムルデカ大会 | ||
28. | 1962年09月15日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | ビルマ | ●くろまる1-3 | ムルデカ大会 | ||
29. | 1963年08月08日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | マレーシア | ○しろまる4-3 | 長沼健 | ムルデカ大会 | |
30. | 1963年08月15日 | マレーシアの旗 クアラルンプール | チャイニーズタイペイ | ●くろまる0-2 | ムルデカ大会 |
指導歴
[編集 ]- 1962年-1966年 日本鋼管 選手兼任監督
監督成績
[編集 ]- 全国社会人サッカー選手権大会 優勝(1965年)、準優勝(1966年)
- 第21回国民体育大会 準優勝(1966年)
出典
[編集 ]- ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、563頁。
- ^ a b "リオへ、ファジ矢島が五輪初出場 岡山勢男子は60年ぶり2人目". 山陽新聞 (2016年7月1日). 2016年7月8日閲覧。
- ^ a b c "メルボルンオリンピック". 日本サッカー協会 . 2016年7月8日閲覧。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ]- 高森泰男 - Olympedia (英語)Edit on Wikidata
- 高森泰男 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)Edit on Wikidata
- 高森泰男 - National-Football-Teams.com (英語)Edit on Wikidata
- 高森泰男 - WorldFootball.net (英語)Edit on Wikidata
- 高森泰男 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)Edit on Wikidata
- 高森泰男 - FIFA主催大会成績 (英語)Edit on Wikidata
- 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会
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