鞍埼 (給糧艦)
おは丸 | |
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民間船「おは丸」時代の鞍埼[1] | |
基本情報 | |
船種 | 貨物船 [2] |
船籍 | 大日本帝国の旗 大日本帝国 |
所有者 | 北樺太石油株式会社[2] |
運用者 | 北樺太石油株式会社[2] |
建造所 | 神戸製鋼所播磨造船工場 [1] |
母港 | 東京港/東京都 [3] |
信号符字 | TMKQ→JQLB |
IMO番号 | 33313(※(注記)船舶番号) |
改名 | おは丸→鞍埼[4] |
経歴 | |
起工 | 1927年 10月28日 |
進水 | 1928年 1月27日 [2] |
竣工 | 1928年3月27日 [2] |
最後 | 1944年 5月10日に日本海軍が買収 |
要目 (竣工時) | |
総トン数 | 995トン[2] |
純トン数 | 580トン |
載貨重量 | 1,492トン[2] |
排水量 | 2,731トン [2] |
全長 | 67.18m [2] |
垂線間長 | 67.06m |
幅 | 10.36 m[2] |
深さ | 5.18m[2] |
喫水 |
1.91 m(空艙平均)[2] または14 ft 9 in (4.50 m)[3] |
満載喫水 | 4.35 m(満載平均)[2] |
ボイラー | 石炭重油混燃缶 2基[2] |
主機関 | 直立3段膨張レシプロ 1基[2] |
推進器 | 1軸 |
最大出力 |
1,199.4IHP[2] または910NHP[3] |
最大速力 | 13.0ノット [2] |
航海速力 | 9ノット[2] |
旅客定員 | 一等:5名 |
乗組員 | 28名[2] |
その他 | デリック5本[2] |
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鞍埼 | |
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基本情報 | |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 運送艦[5] (給糧艦 [1] ) |
艦歴 | |
就役 |
1944年5月10日[6] [4] 連合艦隊/舞鶴鎮守府籍 |
最期 | 1944年11月15日戦没[6] |
除籍 | 1945年 1月10日 [6] [7] |
要目 | |
燃料 |
石炭庫容量192トン[2] 重油庫容量228トン[2] |
乗員 |
定員:50名(1944年5月10日)[8] 同臨時定員:90名(1944年8月1日)[9] |
兵装 | 四〇口径三年式八糎高角砲 1門[1] |
装甲 | なし |
搭載艇 | 救命艇2隻、伝馬船1隻[2] |
ソナー | 九三式水中聴音機 1基 |
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鞍埼(くらさき)は、日本海軍の給糧艦。艦名は宮崎県 日南市の油津港の南方側にある、日南大島の南端の岬「鞍埼鼻」に由来する[10] 。
艦歴
[編集 ]おは丸
[編集 ]元は1928年(昭和3年)3月27日に神戸製鋼播磨造船工場(後の播磨造船所)で竣工した、北樺太石油(英: Northern Karafuto Oil Consession)[11] [12] 所有の「おは丸」。総トン数は995トン[2] 。2つの一等客室を有する小型貨物船で、タンカーではない[2] [12] 。竣工後は北海道と、オハなど北樺太の港町との作業員や物資の往来に使用される[2] [13] 。収容可能人数は一等客室利用者に限れば5名だが[2] 、それとは別に140名[14] あるいは265名[15] 収容という記録が残っている。ソビエト連邦成立、シベリア出兵の後、オハなど北樺太においても共産主義が広がる懸念があり、船員や在オハの日本人労働者の所謂「アカ化」に関する内偵もしばしば行われた[16] 。1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発すると、通常航海の傍らで特殊任務に従事することもあった[17] 。昭和16年11月28日から1942年(昭和17年)7月3日までは佐世保鎮守府所管の海軍一般徴傭船として、第三艦隊および第二南遣艦隊に属して行動[18] 。この期間となる昭和17年3月28日に占領時に破壊されたバリックパパン製油所の復旧へ向かう渡辺伊三郎大佐率いる三菱石油技術者グループをマカッサルからバリックパパンへ移送している[19] 。1943年(昭和18年)3月31日夜には、北緯33度51分 東経130度15分 / 北緯33.850度 東経130.250度 / 33.850; 130.250 の玄界島近海で貨物船南進丸(石原産業海運、4,806トン)[20] と衝突し、救難作業の甲斐なく南進丸を沈没させる事故を起こした[21] [22] 。
鞍埼
[編集 ]特務艦の不足により日本海軍が購入し、1944年(昭和19年)5月10日付で艦籍編入の上、艦名を「鞍埼」と命名した[4] 。同日舞鶴鎮守府籍とし、在役特務艦となった上で連合艦隊付属となり補給部隊に編入された[23] 。間もなく7月14日付で南西方面艦隊付属に転じ[24] 、舞鶴海軍工廠で8月31日まで改装工事を行った[25] [26] 。改装終了後、9月3日に出撃し高雄に向かう[27] [28] 。高雄到着後、9月26日にタマ27船団の護衛で高雄を出港し、10月4日にマニラに到着する[29] [30] 。10月20日深夜23時40分、米と肉類を搭載し[31] 、高雄行きのマタ30船団に加わってマニラを出港した[30] [32] 。この船団は指揮艦である駆逐艦「春風」の名前を取って別名「春風船団」とも呼称されていた[33] 。しかし、マタ30船団は10月23日夕方にルソン島ボヘヤドール岬北西沖で特設運送船「君川丸」(川崎汽船、6,863トン)がアメリカ潜水艦「ソーフィッシュ」 (USS Sawfish, SS-276) の雷撃で沈没したのを手始めに、翌10月24日夕刻までに船団加入船12隻のうち9隻がアメリカ潜水艦のウルフパックの波状攻撃により沈没する惨敗を喫した。その10月24日、沈没した陸軍船「第一眞盛丸」(原商事、5,878トン)の乗員の救助作業に当たっていた貨客船「営口丸」(日本郵船、1,847トン)は、作業中にアメリカ潜水艦「シードラゴン」 (USS Seadragon, SS-194) の雷撃を受けて沈没し、「営口丸」乗員と救助したばかりの「第一眞盛丸」乗員は救命ボートで脱出[34] 。これを受けて16時30分頃に「営口丸」乗員と「第一眞盛丸」乗員を駆逐艦「竹」とともに収容し、救助作業を終えた後は高雄に向かった[34] 。救助者のうち、「第一眞盛丸」乗員は57名を数えた[35] 。
11月1日、モマ06船団の編成替えに伴い、モマ06船団の護衛陣に加わって高雄を出港してマニラに向かい、11月9日に到着する[36] [37] 。11月12日夕刻、高雄行きのマタ32船団に加わってマニラを出港[38] [39] [40] [注釈 1] 。ルソン島沿岸を北上したが、11月14日夕方に敵電波を探知して警戒態勢がとられる[39] 。やがて夜になり、アメリカ潜水艦「レイ」 (USS Ray, SS-271) と「レイトン」 (USS Raton, SS-270) の攻撃を受ける。「レイ」が第7号海防艦を撃沈し、続いて「レイトン」が輸送船「第五雲海丸」(中村汽船、2,841トン)に魚雷3本を命中させて撃沈した[41] [40] 。日付が11月15日に変わってすぐの0時25分、「レイトン」は「7,500トンクラスの貨物船」に対して魚雷を4本発射し、うち2本が命中[42] 。北緯17度27分 東経117度43分 / 北緯17.450度 東経117.717度 / 17.450; 117.717 の地点で沈没した[40] 。
1945年(昭和20年)1月10日に特務艦類別等級表の運送艦から削除され[43] 、同日に帝国特務艦籍からも除かれた[7] 。
特務艦長
[編集 ]- 小島武雄 大尉:1944年5月10日 -
- 根本音松 大尉/少佐:1944年8月20日 - 1944年12月1日[44]
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b c d #日本海軍特務艦船史p.32
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa #日本汽船名簿画像13
- ^ a b c #昭和18年度日本船名録(3)画像1、総トン数995トン、純トン数580トン,長67.1m、幅10.3m、深5.1m、吃水14ft-9in(4.496m)、910公称馬力。
- ^ a b c #達昭和19年5月(1)画像38、「達第百五十四號 | 北樺太石油株式會社ヨリ購入ノおは丸ヲ特務艦籍ニ編入シ左ノ通命名ス | 昭和十九年五月十日 海軍大臣嶋田繁太郎 | 特務艦 鞍埼(クラサキ)」
- ^ #内令昭和19年5月(2)画像8、内令第六百六十二號 | 特務艦類別等級別表左ノ通改正ス | 昭和十九年五月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎 | 工作艦ノ部中「明石」ヲ削ル | 運送艦ノ部中「、佐多」「、石廊」「風早型」「、大瀬」ヲ削リ、同「野﨑」ノ下ニ「、鞍埼」ヲ加ヘ、標的艦ノ部中「大濱」ノ下ニ「、大指」ヲ加フ |
- ^ a b c 伊達久「『特務艦』行動年表」#日本の軍艦13p.47
- ^ a b #秘海軍公報昭和20年1月(2)画像8-10、秘海軍公報 第四九〇五號 昭和二十年一月十七日 五四-五六頁「内令第二九號 (中略) 舞鶴鎮守府在籍 特務艦 鞍埼 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和二十年一月十日 海軍大臣」
- ^ #内令員 昭和19年5月(2)画像26,30、昭和十九年内令員第八百一號 海軍定員令左ノ通改正セラル 昭和十九年五月十日(中略)、「運送艦定員表 其ノ八」の鞍埼の項、士官2人、特務士官5人、下士官15人、兵28人。
- ^ #内令員 昭和19年6月(2)画像21、内令員第九百五十四號 | 當分ノ間左ノ通人員ヲ臨時增置ス | 昭和十九年六月一日 海軍大臣嶋田繁太郎 | 特務艦鞍埼 | 兵曹、水兵二十六人(掌砲兵{高二 普二、掌測的兵 一、掌機雷兵 一、掌電信兵 一) | 機関兵曹、機関兵 五人(掌内火兵 一) | 工作兵曹、工作兵 一人(掌工兵(木具)) | 主計兵 一人 |。同様に7月1日付の内令員第1155号(#内令員 昭和19年7月(2)画像1)で主計兵曹など3人、8月1日付の内令員第1422号(#内令員 昭和19年8月(1)画像27)で機関兵曹など4人を臨時増員。
- ^ #片桐p.582
- ^ 村上 隆, "北樺太石油コンセッション 1925‐1944", ISBN 4-832-96471-2
- ^ a b #「オハ」油田p.2
- ^ #配船計画p.30,34,50
- ^ #労働者関係p.2
- ^ #田中p.2
- ^ #外甲秘p.1
- ^ #配船計画p.10
- ^ #特設原簿p.142
- ^ 日本海軍燃料史(下)p.1139 同じ石油関係者故か船上では珍しい南方の果物などが食卓に並ぶなど特別なサービスを受けたと語られている。
- ^ #戦時遭難史p.68
- ^ #佐鎮1803p.14
- ^ #佐鎮1803p.26, pp.40-43
- ^ #舞鎮1905pp.19-21
- ^ #舞鎮1907p.27,52
- ^ #舞鎮1905p.54
- ^ #舞鎮1908p.9
- ^ #舞鎮1909p.33
- ^ #日本の軍艦13p.47
- ^ #一護1909p.50
- ^ a b #一護1910p.60
- ^ #第三東洋丸p.17
- ^ #駒宮(2)p.279
- ^ #木俣敵潜1989p.130
- ^ a b #駒宮(1)p.57
- ^ #駒宮(1)p.56
- ^ #一護1911p.20,56
- ^ #駒宮(2)p.280
- ^ #一護1911p.8,55
- ^ a b #第三号海防艦p.22
- ^ a b c #駒宮(2)p.291
- ^ "The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II Chapter VI: 1944" (英語). HyperWar. 2011年11月22日閲覧。
- ^ #SS-270, USS RATON, Part 1pp.227-228
- ^ #秘海軍公報昭和20年1月(2)画像2-3、秘海軍公報 第四九〇四號 昭和二十年一月十六日 四八-四九頁|(中略)|内令第一七號 特務艦類別等級表中左ノ通改正ス 昭和二十年一月十日 海軍大臣 運送艦ノ部中「、鞍埼」ヲ削ル|(以下略)
- ^ 昭和19年12月6日付 海軍辞令公報甲 第1661号。アジア歴史資料センター レファレンスコード C13072102100 で閲覧可能。
参考文献
[編集 ]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C08050085800『日本汽船名簿 其一(下巻) 昭和十八年版』、13頁。
- Ref.C04016923600『昭和四年七月 北樺太「オハ」油田ニ関スル見聞調査事項』。
- Ref.B09040938600『六、労働者関係(雇用、出入国及勤務関係)(朝鮮人労働者呉某拘束事件ヲ含ム)』。
- Ref.B09040917200『田中外務大臣 後藤分館主任 第三九号』。
- Ref.B02030943700『外甲秘第四、九二五号』。
- Ref.B09040963100『昭和十七年度配船計画(実行案)通知ノ件』。
- Ref.B09042005500『本年度漁場出入船舶ノ武装ニ関スル件』。
- Ref.C08030342900『自昭和十八年三月一日至昭和十八年三月三十一日 佐世保鎮守府戦時日誌』。
- Ref.C08030343700『自昭和十八年四月一日至昭和十八年四月三十日 佐世保鎮守府戦時日誌』。
- Ref.C08030357700『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 (舞鶴鎮守府)戦時日誌』。
- Ref.C08030357900『自昭和十九年七月一日至昭和十九年七月三十一日 (舞鶴鎮守府)戦時日誌』。
- Ref.C08030358000『自昭和十九年八月一日至昭和十九年八月三十一日 (舞鶴鎮守府)戦時日誌』。
- Ref.C08030358100『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 (舞鶴鎮守府)戦時日誌』。
- Ref.C08030141500『自昭和十九年九月一日至昭和十九年九月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』。
- Ref.C08030141600『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 第一海上護衛隊戦時日誌』。
- Ref.C08030141700『自昭和十九年十一月一日至昭和十九年十一月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』。
- Ref.C08030668400『自昭和十九年十月一日至昭和十九年十月三十一日 特設運送船第三東洋丸戦時日誌』。
- Ref.C08030592400『昭和十九年十一月十四日 第三号海防艦戦斗詳報第一号 昭和十九年十一月十四日マタ三二船団対潜戦斗』、20-28頁。
- Ref.C08050064800『昭和18年度 日本船名録(3)』。
- Ref.C12070124800『昭和19年1月〜6月 達/5月(1)』。
- Ref.C12070199700『昭和19年1月〜5月 内令/昭和19年5月(2)』。
- Ref.C12070209300『昭和19年5月.昭和19年6月 内令員/内令員 昭和19年5月(2)』。
- Ref.C12070209900『昭和19年5月.昭和19年6月 内令員/内令員 昭和19年6月(2)』。
- Ref.C12070210900『昭和19年7月.昭和19年8月 内令員/内令員 昭和19年7月(2)』。
- Ref.C12070211300『昭和19年7月.昭和19年8月 内令員/内令員 昭和19年8月(1)』。
- Ref.C12070503600『自昭和20年1月.至昭和20年8月 秘海軍公報/1月(2)』。
- (Issuu) SS-270, USS RATON, Part 1. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-270_raton_part1
- Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3
- 播磨造船所50年史編纂室『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年。
- 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6。
- 駒宮真七郎『続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録』出版協同社、1981年。
- 海防艦顕彰会(編)『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9。
- 木俣滋郎『敵潜水艦攻撃』朝日ソノラマ、1989年。ISBN 4-257-17218-5。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦13 小艦艇 I 』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6。
- 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年。
- 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)「特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿」『戦前船舶』第104号、戦前船舶研究会、2004年。