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阿部彦太郎 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2代 阿部 彦太郎[1] (あべ ひこたろう、前名・龍蔵[2] [3] [4] 1879年(明治12年)4月1日 [5] - 1965年(昭和40年)10月25日 [6] )は、日本商人(米穀商)[2] [5] [7] 実業家、大阪府多額納税[2] [8] 。族籍は大阪府平民 [4] [5] [9]

人物

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滋賀県・阿部市蔵の長男[2] [3] 1898年大阪高等商業学校を卒業[3] [7] [10] 慶應義塾大学に学ぶ[1] 。先代・彦太郎の養子となり、1904年、家督を相続し、前名・龍蔵を改め襲名する[2] [3] 米国に2年留学し、帰途欧州各国を巡歴して英国に至り、5年滞在して研学に費やす[1]

米穀商を営み、会社の重役である[2] [3] 。角一山林土地会長[2] 、大阪阿部代表社員[3] 内外綿豊国火災保険日本生命保険大阪商船住友信託取締役 [2] [4] 東洋紡績、大阪製麻、角一ゴム各監査役などをつとめる[2] [4]

住所は大阪市天王寺区堂ヶ芝町[2] [3] 、同市北区堂島浜通 [5] [7] 。大阪府在籍 [3] [7]

家族・親族

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阿部家
  • 養父・彦太郎 (1840年 - 1904年近江商人)
  • 養母・チエ(1844年 - ?、阿部市太郎の叔母)[9]
  • 妻・シン(1886年 -1956年、大阪、弁護士・渋川忠二郎の三女[9] 弁護士・渋川千之助の養妹[4] )
  • 長男・正彦[3] (1908年 -1963年)
    • 同妻・登喜(1916年 - 1999年、大阪、山口吉郎兵衛の三女)[2]
  • 二男・良彦 4代目角一株式会社 社長 堅実な経営を行い現在の角一の礎を築く(日経新聞より)1991年自社ビル竣工 (1910〜1999年)[7]
  • 三男・良三 (1910〜1993年)[7]
  • 孫 晴彦(〜2022年 8月)[2]
  • 孫 洋子
  • ひ孫 元彦

脚注

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  1. ^ a b c 『関西名士写真録』実業家 阿部彦太郎氏(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月23日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第14版 上』ア29 - 30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月22日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i 『人事興信録 第13版 上』ア29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月22日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『人事興信録 第6版』あ17頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月22日閲覧。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第3版』あ25頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月23日閲覧。
  6. ^ 「阿部 彦太郎氏(元東洋紡績監査役、元大阪商船取締役)」『朝日新聞』1965年10月27日、15面。
  7. ^ a b c d e f 『人事興信録 第8版』ア26頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月17日閲覧。
  8. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月19日閲覧。
  9. ^ a b c 『人事興信録 第4版』あ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年12月18日閲覧。
  10. ^ 『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』297頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年12月22日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 大阪商科大学編『大阪商科大学一覧 昭和4年5月』大阪商科大学、1929 - 1930年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 『関西名士写真録』国勢協会、1935年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。

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