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花のれん

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
花のれん
作者 山崎豊子
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出中央公論
1958年1月号 - 1958年6月号
刊本情報
出版元 中央公論社
出版年月日 1958年6月
総ページ数 258
受賞
第39回直木三十五賞
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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花のれん』(はなのれん)は、山崎豊子の小説。1958年1月号から1958年6月号まで中央公論社の月刊誌『中央公論』に連載され、同年6月に同社から単行本が刊行された。1961年新潮文庫版が刊行された(2005年には新装版が刊行されている)。第39回直木三十五賞受賞作。主人公のモデルは、吉本興業の創業者・吉本せい [1]

戦前の上方寄席小屋や大阪商人の世界を、商売一筋に生きた一人の女性の人生に沿って情緒豊かに描いている。初代桂春団治エンタツアチャコなども実名で登場して花を添える。

1958年芸術座(菊田一夫脚色・三益愛子主演)で舞台化され、1959年に宝塚映画(配給は東宝)で映画化された。また、1960年1995年には同名で、1966年から翌年にかけては、『横堀川』(『暖簾』『ぼんち』と本作に着想を得て、脚本家の茂木草介が構築し直したドラマ)として3度テレビドラマ化された。

あらすじ

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この節にあるあらすじは作品内容に比して不十分です あらすじの書き方を参考にして、物語全体の流れが理解できるように(ネタバレも含めて)、著作権侵害しないようご自身の言葉で加筆を行なってください。(2017年12月)(使い方)

多加は大阪の堀江中通りで米問屋を営む家の次女として生まれた。見合いにより呉服問屋・河島屋に嫁ぐ。河島屋は、明治10年頃に、義父の吉太が西船場の横堀筋で創めた店で、船場の呉服問屋としては珍しく、古着を扱ったことから繁盛した店であった。多加の夫である吉三郎は父の急死後、二代目の店主となったが、商売に身が入らず、寄席道楽、女道楽に身を持ち崩し、とうとう、相場に手を出して多額の負債を作り、河島屋の身代を潰してしまう。

多加の、好きで家を潰した寄席や芸人なら、その道楽を元でとして寄席小屋の経営という商売を始めたらどうか、という忠告により、吉三郎は芝居小屋を探し、明治44年7月初め、天満大阪天満宮の裏手にあった寄席を買い取り、天満亭と名づけた。この時、吉三郎が34歳、多加が25歳。木戸銭を一流の寄席の半額、5銭としたり、多加の発案で、店先で氷の上でゴロゴロと転がして冷やした冷やし飴を売ったりするなどして、次第に人気を得るようになった。

この当時の寄席の花形は落語であった。一流の寄席は南地の法善寺横丁にある金沢亭紅梅亭を筆頭に、定席の落語興行を行なっていた。上方の落語界は、金沢亭を本拠とする桂派と、紅梅亭を根城にする三友派とが芸を競っていた。開業当初の天満亭は、落語の大御所を呼べるような格ではなく、素人あがりの落語家に、物真似、女講談師、音曲、剣舞、軽口などの興行を行なっていた。落語以外の出し物は色物と呼ばれた。

3年後、大正3年正月、松島の芦辺館を入手することができ、寄席は2軒に増えた。この頃より、吉三郎は席主としての商売に身が入らなくなり、外に妾(てかけ)を作り、挙句の果てに妾宅で急死してしまう。白装束の喪服で夫を送った多加は、以後、女席主として、商売に一心不乱に励むこととなる。大正7年2月、上述の一流寄席、金沢亭を買い取ることに成功した多加(32歳)は、金沢亭を花菱亭と改め、天満亭を天満花菱亭、芦辺館を松島花菱亭と改め、多角経営に乗り出した。この頃には、多加の機転により、落語の師匠たちも高座にあげることができるようになっており、また一流寄席のお茶子を引き抜くことにも成功して、さらに商売を広げていくようになる[2]

登場人物

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出版

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  • 単行本
    • 『花のれん』(1958年、中央公論社)
  • 文庫
    • 『花のれん』(1961年、新潮社)
    • 『花のれん(新装版)』(2005年、新潮社)(注記)活字が大幅に拡大。
  • 全集
    • 『山崎豊子全作品』第1巻(1986年、新潮社)(注記)『暖簾』『しぶちん』『船場狂い』『持参金』『死亡記事』『遺留品』『へんねし』『醜男』『晴着』と共に収録。
    • 『山崎豊子全集』第1巻(2003年、新潮社)(注記)『暖簾』『船場狂い』『持参金』『遺留品』『しぶちん』と共に収録。

舞台

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映画

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花のれん
監督 豊田四郎
脚本 八住利雄
原作 山崎豊子 『花のれん』
出演者 淡島千景
音楽 芥川也寸志
撮影 安本淳 [3] [4]
編集 岩下廣一 [3] [5]
製作会社 宝塚映画
配給 東宝
公開 日本の旗 1959年 1月27日 [3] [4]
上映時間 129分[3] [4]
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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キャスト

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スタッフ

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同時上映

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テレビドラマ

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1960年版

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1960年 1月18日1月25日フジテレビの『三菱ダイヤモンド劇場』枠(月曜20時30分 - 21時。新三菱重工 (現:三菱自動車工業) 一社提供。)で放送された。全2回。

キャスト
フジテレビ 三菱ダイヤモンド劇場
前番組 番組名 次番組
花のれん
(1960年版)

1962年版

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1962年 3月26日 - 同年5月7日TBS 系列で放送。放送時間は月曜22時 - 22時30分。主演は森光子で、演出は後年森と結婚(後に離婚)する岡本愛彦

TBS 系列 月曜22時台後半枠
前番組 番組名 次番組
花のれん
(1962年版)

1966年版

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詳細は「横堀川 (テレビドラマ)」を参照

1966年 4月4日 - 1967年 3月27日、『横堀川』としてNHKで放送された。現存する映像は全話のうち4本のみである。

1995年版

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1995年 1月1日テレビ東京初春ドラマスペシャルとして21時3分 - 23時54分に放送。全1回。副題に「細腕一本で日本国中を笑いの渦にまき込んだ女性興業師 知恵と度胸の奮戦記」と付け加えている。

キャスト
スタッフ

脚注

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回)
1930年代
1940年代
1950年代
 
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関連項目
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