神宮敏男
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神宮 敏男(じんぐう としお、1948年 6月11日 - 不詳)は、昭和時代の日本のフェンシング選手。1970年代の日本のトップ選手として活躍した。群馬県出身[要出典 ]。
略歴
[編集 ]専修大学卒業[要出典 ]、佐田建設に入社した[要出典 ]。その後保険会社に勤務[要出典 ]。
全日本学生選手権優勝、全日本選手権優勝などの実績をあげ、1976年モントリオールオリンピックの日本代表に選出された[1] [2] 。アジア競技大会優勝[3] など、世界に誇る日本の名選手だった。体力的にも恵まれ、抜群の集中力を武器にしていた[要出典 ]。
前橋フェンシングスクールを主宰し[2] 、1988年ソウルオリンピック代表の出野晴信を輩出した[2] 。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ ただし、フルーレ団体予選敗退・個人予選敗退に終わる。("Biography and Olympic Results". Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月4日閲覧。)
- ^ a b c "稲光会報第13巻第17号". 早稲田大学フェンシング部. 2022年3月閲覧。
- ^ 1974年アジア競技大会で、団体優勝、個人フルーレ優勝。[要出典 ]
関連項目
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