津大村
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つだいそん 津大村 | |
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廃止日 | 1958年(昭和33年)4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 江川崎村、津大村 → 西土佐村 |
現在の自治体 | 四万十市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本の旗 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 高知県 |
郡 | 幡多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 |
幡多郡 江川崎村、十川村、昭和村、富山村、後川村、大川筋村、橋上村 愛媛県 宇和島市、北宇和郡 御槙村、松丸町 (1953年当時) |
津大村役場 | |
所在地 | 高知県幡多郡津大村津野川[1] |
座標 | 北緯33度07分50秒 東経132度48分51秒 / 北緯33.13042度 東経132.81417度 / 33.13042; 132.81417 座標: 北緯33度07分50秒 東経132度48分51秒 / 北緯33.13042度 東経132.81417度 / 33.13042; 132.81417 |
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現在の同県四万十市北部にあたる。
沿革
[編集 ]- 1889年(明治22年)4月1日 - 下山郷下分の構成村のうち、藤ノ川村、橘村、津野川村、中家地村、下家地村、大宮村、須崎村、岩間村、茅生(かよう)村、中半村、奥屋内村、口屋内村、玖木村の13村と、津野川村の小村である津賀村、藪ケ市村の計15村が合併し、津大村成立。村名は、地理的中心でもあり大庄屋があった津野川の「津」と、当時人口、農地とも多く当地の郷社も所在する大宮の「大」とを合わせたもの[1] 。
- 1913年(大正2年) - 玖木〜奥屋内間に当村初の車道が開通[1] 。
- 1921年(大正10年)- 当村を通る、四万十川のプロペラ船が就航[1] 。
- 1928年(昭和3年)- 津野川〜中村間のバスが開通[1] 。
- 1929年(昭和4年)- 藤ノ川に森林軌道が開通[1] 。
- 1932年(昭和7年)- 藤ノ川でアンチモンの採掘が始まる。同年、養蚕の収穫高が18,694貫を数え、幡多郡内に於いて屈指の養蚕村とされる[1] 。
- 1933年(昭和8年)- 津大橋が開通。同年、現在の高知県道・愛媛県道8号西土佐松野線にバスが開通[1] 。
- 1954年(昭和29年)- 藤ノ川にバスが開通[1] 。
- 1958年(昭和33年)4月1日 - 北隣の江川崎村と合併し、西土佐村となる。同日、津大村廃止。
地理
[編集 ]- 四万十川が村の中心を流れる。当村内の支流は目黒川、藤ノ川川、黒尊川など。
- 山岳は八面山 (1166m)、ほけが森 (751.7m)、堂が森 (857.4m)、鷹の巣山 (654.6m) など。
- 道路:土佐街道(現在の国道441号線)
脚注
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