歩兵第47連隊
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歩兵第47連隊 | |
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創設 | 1896年 |
廃止 | 1945年 |
所属政体 | 日本の旗 日本 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
部隊編制単位 | 連隊 |
兵科 | 歩兵 |
所在地 | 小倉 - 大分 |
通称号/略称 | 海8944 |
上級単位 | 第12師団 - 第6師団 - 第48師団 |
最終位置 | 小スンダ列島 ティモール島 |
戦歴 | 日露 - シベリア出兵 - 日中 - 第二次世界大戦 |
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歩兵第47連隊(ほへいだい47れんたい、歩兵第四十七聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。
沿革
[編集 ]- 1896年(明治29年) - 連隊本部を設置
- 1898年(明治31年)3月24日 - 軍旗拝受
- 1904年(明治37年) - 日露戦争に従軍
- 1918年(大正7年) - シベリア出兵に従軍
- 1925年(大正14年)5月1日 - 宇垣軍縮により歩兵第72連隊が廃止され代わりに大分に移駐し第6師団に所属変更
- 1928年(昭和3年)
- 1931年(昭和6年)
- 1938年(昭和13年) - 徐州会戦などに参加
- 1940年(昭和15年)11月 - 第6師団から第48師団に所属変更
- 1941年(昭和16年)12月 - フィリピンの戦いに参加
- 1942年(昭和17年) - 蘭印作戦に参加、スラバヤを占領、その後は同地の警備に当たる
- 1945年(昭和20年)8月 - 終戦
歴代連隊長
[編集 ]代 | 氏名 | 在任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 渡辺勝重 | 1896年9月25日 - 1900年10月3日 | 中佐、1897.10.大佐 |
2 | 依田広太郎 | 1900年10月3日 - 1903年12月9日 | |
3 | 椙原透 | 1903年12月9日 - 1907年2月13日 | |
4 | 生田目新 | 1907年2月13日 - 1911年9月6日 | |
5 | 岡本茂若 | 1911年9月6日 - 1913年7月3日 | |
6 | 吉江石之助 | 1913年7月3日 - 1915年4月21日 | |
7 | 大枝徤介 | 1915年4月21日 - 1917年8月6日 | |
8 | 丸野勝喜 | 1917年8月6日 - | |
9 | 小野庄造 | 1921年7月20日[1] - | |
10 | 斎藤瀏 | 1923年8月6日 - 1924年12月15日[2] | |
11 | 佐藤信亮 | 1924年12月15日 - | |
12 | 新山福治 | 1927年2月10日 - | |
13 | 菅原良吉 | 1929年8月1日 - | |
14 | 常岡寛治 | 1931年8月1日 - 1934年3月5日[3] | |
15 | 中尾忠彦 | 1934年3月5日 - | |
16 | 塩田定市 | 1935年3月15日 - | |
17 | 長谷川正憲 | 1937年7月22日 - | |
18 | 岩崎民男 | 1938年9月15日 - | |
19 | 柳勇 | 1940年12月1日[4] - | |
末 | 徳弘保衛 | 1943年6月10日 - |
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
- 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
- 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。