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歩兵第47連隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歩兵第47連隊
創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
部隊編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 小倉 - 大分
通称号/略称 海8944
上級単位 第12師団 - 第6師団 - 第48師団
最終位置 小スンダ列島 ティモール島
戦歴 日露 - シベリア出兵 - 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第47連隊(ほへいだい47れんたい、歩兵第四十七聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

沿革

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4月20日 - 第二次山東出兵、出動命令が下る
4月24日 - 門司港を出港
4月28日 - 青島に到着、済南へ向かう。5月3日から10日まで中国軍と交戦する
12月16日 - 満州事変のため門司港を出港する
12月20日 - 長春に到着
7月27日 - 動員下令
北京到着後は周辺の警備に当り、その後永定河渡河作戦に参加
10月 - 上海方面への転用が決まり南京攻略戦などに参加

歴代連隊長

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歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐)
氏名 在任期間 備考
1 渡辺勝重 1896年9月25日 - 1900年10月3日 中佐、1897.10.大佐
2 依田広太郎 1900年10月3日 - 1903年12月9日
3 椙原透 1903年12月9日 - 1907年2月13日
4 生田目新 1907年2月13日 - 1911年9月6日
5 岡本茂若 1911年9月6日 - 1913年7月3日
6 吉江石之助 1913年7月3日 - 1915年4月21日
7 大枝徤介 1915年4月21日 - 1917年8月6日
8 丸野勝喜 1917年8月6日 -
9 小野庄造 1921年7月20日[1] -
10 斎藤瀏 1923年8月6日 - 1924年12月15日[2]
11 佐藤信亮 1924年12月15日 -
12 新山福治 1927年2月10日 -
13 菅原良吉 1929年8月1日 -
14 常岡寛治 1931年8月1日 - 1934年3月5日[3]
15 中尾忠彦 1934年3月5日 -
16 塩田定市 1935年3月15日 -
17 長谷川正憲 1937年7月22日 -
18 岩崎民男 1938年9月15日 -
19 柳勇 1940年12月1日[4] -
徳弘保衛 1943年6月10日 -

脚注

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  1. ^ 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  2. ^ 『官報』第3696号、大正13年12月16日。
  3. ^ 『官報』第2151号、昭和9年3月6日。
  4. ^ 外山 1981, 347頁.

参考文献

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  • 『日本陸軍連隊総覧 歩兵編(別冊歴史読本)』新人物往来社、1990年。
  • 原 剛『明治期国土防衛史』錦正社、2002年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 

関連項目

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