横浜館
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横浜館 (青森県) | |
---|---|
城郭構造 | 平城 |
築城主 | 佐々木氏? |
築城年 | 不明 |
主な城主 | 佐々木権太郎・権次郎、横浜氏 |
廃城年 | 天正20年(1592年)以前? |
遺構 | 埋没 |
指定文化財 | 史跡等未指定[1] |
埋蔵文化財 包蔵地番号 | 青森県No.406022[1] |
位置 | 北緯41度05分12.3秒 東経141度14分54.3秒 / 北緯41.086750度 東経141.248417度 / 41.086750; 141.248417 座標: 北緯41度05分12.3秒 東経141度14分54.3秒 / 北緯41.086750度 東経141.248417度 / 41.086750; 141.248417 |
地図 |
横浜館の位置(青森県内) 横浜館 横浜館 |
テンプレートを表示 |
横浜館(よこはまだて)は、青森県 上北郡 横浜町舘ノ後にあった日本の城。
概要
[編集 ]陸奥湾より東方120メートル、上北郡 野辺地町とむつ市の中間にあたるJR東日本 大湊線 陸奥横浜駅 ×ばつ南北200メートルの規模をもった城郭である。14世紀の中国青磁一片が出土している。現在は、宅地化のため遺構は埋没し不明確であるが、中世の埋蔵文化財包蔵地としてNo.406022の遺跡番号が付られている[1] 。
沿革
[編集 ]築城時期は不明。天喜年間(1053〜58年)には、佐々木権太郎・権次郎兄弟が居住し、その後、戦国期には七戸南部氏一族横浜氏 が支配し、七戸朝慶の三子、慶則が横浜氏を継ぎ横浜館に居住したという。天正年間(1573〜92年)に三戸へ移ったと伝えられる。
天正20年(1592年)、「諸城破却書上」には、横浜館は見えない。
脚注
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 2 青森県』角川書店、1985年12月1日。ISBN 4040010205。
- (有)平凡社地方資料センター『日本歴史地名大系 第2巻 青森県の地名』平凡社、1982年7月10日。
- 児玉幸多、坪井清足『日本城郭大系 第2巻 青森・岩手・秋田』新人物往来社、1980年7月15日。
関連項目
[編集 ]外部リンク
[編集 ] 青森県の旗
この項目は、青森県に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:日本の都道府県/青森県)。