松井純
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松井 純(まつい じゅん[1] 、1934年(昭和9年)12月1日 [2] - 2019年(令和元年)9月15日 [1] )は、日本の実業家。静岡新聞社・静岡放送会長[1] 。静岡県ラグビーフットボール協会名誉会長[3] 。
人物
[編集 ]京都府出身[3] 。京都大学法学部卒業[3] 。静岡新聞社・静岡放送に入社し、東京支店長、販売局長などを経て2012年に会長就任[3] 。1999年藍綬褒章受章[2] 、2013年旭日中綬章受章[4] 。2019年9月15日死去[1] 。著書には『追想 大石益光』がある。
家族
[編集 ]- 祖父母の松井十蔵とたくは養蚕農家で、安中教会初期農村信徒[5] 。1887年に海老名弾正より受洗[6] 。
- 父親の松井七郎(1896年 - 1989年)は、群馬県 北甘楽郡 小野村(現・富岡市)で生まれ、同志社大学法学部経済学科卒業後カリフォルニア大学大学院、ウィスコンシン大学大学院に留学し、同志社総長(海老名弾正)秘書を経て同志社大教授となった[7] [8] [9] 。
- 長男は静岡新聞社・静岡放送前社長の大石剛 [10] 。
脚注
[編集 ]- ^ a b c d "松井純氏が死去 静岡新聞社会長、静岡放送会長". 日本経済新聞電子版 (日本経済新聞社). (2019年9月20日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50022690Q9A920C1CZ8000/ 2021年3月5日閲覧。
- ^ a b 『現代物故者事典2018〜2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.500
- ^ a b c d ROAD TO 2019世界の戦いが静岡で 〜ラグビーワールドカップ2019 知事鼎談、静岡県。
- ^ "平成25年春の叙勲 旭日中綬章受章者" (PDF). 内閣府. p. 3 (2013年4月). 2013年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月7日閲覧。
- ^ 松井七郎『安中教会初期農村信徒の生活 – 松井十蔵・たくの伝記』(第三書館 1981)
- ^ 松井七郎先生の人と業績古米 淑郎 , 經濟學論叢,15(5-6),555-569 (1966年03月15日)同志社大学経済学会
- ^ 松井七郎教授 略歴・著作目録経済学論叢、同志社大学経済学会、1966年03月15日
- ^ 新島研究第75号(1989年11月)<<松井七郎先生追悼号>>同志社社史資料センターホーム
- ^ Web NDL Authorities
- ^ 【人事】静岡新聞 大石取締役編集局長が常務に(2011年2月24日)、文化通信公式サイト。
参考文献
[編集 ]- 松井純『追想 大石益光』静岡新聞社、1998年。
関連項目
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