岩崎幸治郎
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岩崎 幸治郎(いわさき こうじろう、1874年(明治7年)4月6日 [1] - 1946年(昭和21年)1月9日 [2] )は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、弁護士。
経歴
[編集 ]大阪府 中河内郡 英田村(現在の東大阪市)に岩崎九郎平の四男として生まれる。1898年(明治31年)、弁護士試験に合格。1900年(明治33年)よりドイツに留学して、1904年(明治37年)にライプツィヒ大学を卒業し、法学博士の称号を得た[3] 。帰国後、弁護士のほか、関西大学講師も務めた。1908年(明治41年)に横浜地方裁判所判事に任命され[4] 、東京控訴院判事を経て、1911年(明治44年)には元田肇 拓殖局総裁の秘書官に就任したが、翌年に官を辞した[5] 。
1915年(大正4年)、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は6回を重ねた。その間、加藤高明内閣で司法 参与官を務めた。
脚注
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出典
[編集 ]参考文献
[編集 ]- 大石末吉『普選の勝者 代議士月旦』東京平和新報社出版部、1928年。
- 広幡明男『大正十三年五月当選 代議士詳覧』泰山堂、1924年。
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