コンテンツにスキップ
Wikipedia

安保正敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
あぼ まさとし

安保 正敏
生誕 (1907年11月08日) 1907年 11月8日
日本の旗 日本三重県 松阪市
死没 (1971年03月20日) 1971年 3月20日(63歳没)
日本の旗 日本大阪府
死因 心臓発作
国籍 日本の旗 日本
出身校 同志社専門学校高等商業部
職業 実業家
活動期間 1929年から1971年
子供 濵田勝子(三女)
親戚 濵田益嗣(三女の夫)
テンプレートを表示

安保 正敏(あぼ まさとし、1907年 11月18日 [1] - 1971年 3月20日)は、日本の実業家三重交通社長と東海テレビ放送社長を務めた。三重県 松阪市出身。赤福餅で有名な赤福 代表取締役社母兼社長である濵田勝子は三女、その夫は同社元会長である濵田益嗣

経歴・人物

[編集 ]

1929年に、同志社専門学校高等商業部を卒業[1]

1942年に、松阪電気鉄道社長に就任し、1944年に統合により、三重交通専務に就任し、1954年に社長に昇格した[1] [2] 1957年近畿東海放送社長に就任し、1959年にラジオ東海との合併により1971年東海ラジオ放送社長にも就任した[2] 1957年東海テレビ放送副社長にも就任し[2] 1967年には社長に昇格した[3] 。三重交通会長、近畿日本鉄道取締役などを歴任した[2] [4]

1971年 3月20日 大阪での出張中に心臓発作が起こり、死去[2] 。63歳没。

参考文献

[編集 ]
  • 人事興信所 編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1969年。 

脚注

[編集 ]
  1. ^ a b c 人事興信所 1969, あ10頁.
  2. ^ a b c d e 1971年 3月21日 毎日新聞 東京朝刊 23頁
  3. ^ 東海テレビ放送 開局50年史 p218
  4. ^ 近畿日本鉄道 100年のあゆみ p625、p626
先代
大島一郎
東海テレビ放送社長
1967年 - 1971年
次代
鈴木充

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /