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城野ゆき

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(2018年6月)
じょうの ゆき
城野 ゆき
城野 ゆき
『映画情報』1966年10月号より
本名 女井 和代
生年月日 (1945年06月05日) 1945年 6月5日(79歳)
出生地 日本の旗 山口県 萩市
職業女優歌手
ジャンル 映画テレビドラマ
活動期間 1965年 - 1973年
主な作品
映画
『地獄の野良犬』
テレビドラマ
キャプテンウルトラ
『百年目の田舎っぺ』
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城野 ゆき(じょうの ゆき、1945年 [1] 6月5日 [2] - )は、日本の元女優歌手。本名:女井 和代(おない かずよ)[1] [2] 山口県 萩市出身[1] [2] 。身長162cm、バスト85cm(1966年9月)[3] [4]

来歴

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元々はデザイナー志望で、東京女子美術短期大学在学中にはファッションモデルのアルバイトをしていた。在学中に見たアメリカ映画『旅情』に感動して女優を志すようになる。短大卒業後[1] [2] 、街でスカウトされ[5] 東映に入社[1] [5] [注釈 1] 1965年、『おんな番外地 鎖の牝犬』でデビュー[1] [2] 。東映は"現代風健康的清純派女優"として売り出した[3] 。デビューして1年の間に10本の作品に出演し、1966年映画『地獄の野良犬』に、三田佳子の代役として梅宮辰夫の相手役に抜擢される[6] 東映東京撮影所では、大原麗子と城野の二人を一押し若手女優と売り出しにかかったといわれる[7] 東映の任侠路線が拡大すると「やくざ映画は生理的に嫌い」と公言したため出番を減らした[5] 。『命かれても』以降は干された[5]

このためテレビドラマに活躍の場を移し、『愛の夜明け』『誰よりも君を愛す』などのメロドラマに出演した[5] 。テレビもヤクザを扱うドラマが増えことから「これからは好き嫌いはいわない」と話し[5] 、嫌いなやくざもの『花と狼』(CX)にも出演した[5] 。また1968年に同じ東映出身の小川知子が歌手としても大きな成功を収めたため、同年7月、クラウンから「マイ・ダーリン東京」で歌手デビューし[5] 、"第二の小川知子"と注目されたがヒットはしなかった[5]

1967年特撮テレビドラマキャプテンウルトラ』に、本作のヒロインで、パイオニアスクールの教官であるアカネ隊員役でレギュラー出演[1] [2] 。当時のプロフィールでは「今まで大人向けの作品が多かったので戸惑いましたが、アクションものは好きなので一生懸命取り組んでいます」と述べている[1]

1968年にフリーとなり、松竹映画『霧にむせぶ夜』などに出演した[2]

人物

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趣味は、スキューバダイビング [3] 日本舞踊 [3] 長唄 [1]

出演

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映画

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テレビドラマ

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ディスコグラフィ

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シングル

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発売日 A/B面 タイトル 作詞家 作曲家 編曲家 規格品番
クラウンレコード
1968年07月01日 A面 マイダーリン東京 水沢圭吾 中川博之 高橋五郎 CW-840
B面 あなたのためいき 水沢圭吾 中川博之 高橋五郎 CW-840
1969.07 A面 誰かおしえて みおたみずほ 中川博之 高橋五郎 CW-956
B面 なぜかしら 多木比佐夫 中川博之 高橋五郎 CW-956
1970年04月01日 A面 経験 古木花江 中川博之 小杉仁三 CW-1041
B面 カトレヤの悩み 古木花江 中川博之 小杉仁三 CW-1041

脚注

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注釈

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  1. ^ 資料によっては、テレビドラマ『七人の孫』に出演中、東映からスカウトされたと記載されている[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 福島民報』1967年4月19日付朝刊、12面。
  2. ^ a b c d e f g h 『日本映画人名事典 女優篇 上巻』キネマ旬報社、1995年、847頁。 
  3. ^ a b c d 「表紙モデルインタビュー 城野ゆき 撮影・秋山庄太郎」『週刊現代』1966年9月15日号、講談社、26頁。 
  4. ^ 平凡パンチ1968年7月15日号の記事内にはバスト88cm、ウエスト60cm、ヒップ90cmの記載あり
  5. ^ a b c d e f g h i "ヤクザで脱皮、歌にも本腰城野ゆき『勝負の秋よ』と赤い気炎". スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社): p. 14. (1969年9月1日) 
  6. ^ 福島民友』1966年5月12日付夕刊、2面。
  7. ^ 追悼番組・映画馬鹿一代吉田達の番組再放送致します「ユーストリーム公式番組」Gアクション – 公式YouTubeオーファクトリーエンターテイメント

外部リンク

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