三宅豊
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三宅 豊(みやけ ゆたか、1951年 11月25日 [1] - )は、群馬県 安中市出身の男子ソフトボール選手。日本選手権・国体等で22回の優勝を果たす。アジア選手権2回、世界選手権4回出場。現在、日本ソフトボール協会会長[2] 。日本ソフトボール協会選手強化副本部長・技術委員長、群馬県ソフトボール協会副会長を務めた。日本にウィンドミル投法を初めて導入し、トッププレーヤーとして活躍した。群馬県新島学園高等学校、日本体育大学卒業。
略歴
[編集 ]- 1967年、新島学園高等学校入学後に岡賢の指導を受け、ソフトボールを開始
- 1969年、全国高校選手権で優勝
- 1971年、日本体育大学在学時のインカレで優勝(73年まで3連覇)
- 1974年、日体大卒業後新島学園高校教員
- 1977年、国体で優勝(79年まで3連覇)
- 1980年、全日本教員大会V10を達成
- 1985年、アジア選手権で優勝
- 1993年、現役引退。通算171勝26敗、終身防御率は0.463
- 2005年、国際ソフトボール連盟殿堂入り。日本人選手で初の栄誉となる。
- 2021年、日本ソフトボール協会会長
トピックス
[編集 ]- 山際淳司の小説『回れ、風車』のモデルになった
- ソフトボールのオリンピック除外問題では復帰に向けて奔走した。
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
- ^ 再び回れ、伝説の「風車」 ソフトボール協会・三宅新会長時事ドットコム
- ^ 新会長に三宅豊氏 日本ソフトボール協会日本経済新聞 2020年7月26日