ヴィドー家
表示
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴィドー家(仏: Widonides, 伊: Guidoni, 独: Guidonen, Widonen, 英: Guideschi, Guidoni, Vitone, Widonids)は、9世紀頃活躍したブルグント出身のイタリア貴族の家系。ヴィドーネン家[1] 、グイード家、また主な当主の名からギー=ガルニエ=ランベール家[2] などともいわれる。
歴史
[編集 ]7〜8世紀にモーゼル川流域発祥で[3] 、アウストラシア出身のナント伯でブルターニュ辺境伯[4] のギーを祖とする。
9世紀初めにイタリアに入り、840年代までにはスポレートを奪い取りスポレート公となった。一族は教皇領内で権力を伸ばし、皇帝には忠実であったが、教皇とは敵対関係にあった。また、女系でカロリング家とつながっており、イタリア王およびローマ皇帝を出した。
ナント伯ランベール1世の息子グイード1世は842年、皇帝ロタール1世によりスポレート公とされた。彼はイタリアで活動し、ベネヴェント公シコーネ1世の娘イッタと結婚した。子孫は897年までスポレート公の地位にあり、グイード4世はベネヴェント公も兼ねた。同家で最も有名な人物は、グイード3世とその息子ランベルト2世で、イタリア王およびローマ皇帝となった。
のちにアンジュー伯フルク1世赤顔伯は、898年に同家の子孫ロッシラと結婚し、それによりアンジュー伯領を得たとされる[5] 。また、のちに神聖ローマ皇帝を出したザーリアー家は、モーゼルに残った同家の子孫とされる[3] 。
系図
[編集 ]スポレート公(859-871)
スポレート公(再)(876-880)
(フリウーリ辺境伯エーベルハルト娘)
カメリーノ侯(880-894)
スポレート公(883-894)
イタリア王(889-894)
(ベネヴェント公アデルキ娘)
=トスカーナ辺境伯アダルベルト1世
スポレート公(889-897)
カメリーノ侯(889-897)
ベネヴェント公(895-897)
=サレルノ侯グアイマーリオ1世
- 凡例
- スポレート公
- ナント伯
脚注
[編集 ][脚注の使い方]
参考文献
[編集 ]- Wickham, Chris. Early Medieval Italy: Central Power and Local Society 400-1000. MacMillan Press: 1981.
- Caravale, Mario (ed). Dizionario Biografico degli Italiani: LXI Guglielmo Gonzaga &nda sh; Jacobini. Rome, 2003.
- Caravale, Mario (ed). Dizionario Biografico degli Italiani: LXIII Labroca – Laterza. Rome, 2004.
- Paul Collins, The Birth of the West, PublicAffairs, 2013.
- 佐藤彰一 『西欧中世史 上』 ミネルヴァ書房、1995年
- A. ルゴレエル 『プランタジネット家の人びと』 白水社、2000年
- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年
- 柴田三千雄 他 『世界歴史大系 フランス史 1』 山川出版社、1995年
- MEDIEVAL LANDS, "Lambert I"(2016年11月20日閲覧)
- MEDIEVAL LANDS, "Lambert de Nantes"(2016年11月20日閲覧)
関連項目
[編集 ] スタブアイコン
この項目は、歴史に関連した書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。