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ライプツィヒ–ドレスデン線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ライプツィヒ-ドレスデン線
基本情報
ドイツの旗 ドイツ
起点 ライプツィヒ
終点 ドレスデン
路線番号 500
開業 1837年
運営者 ドイツ鉄道
路線諸元
路線距離 116.098 km
軌間 1,435 mm
線路数 複線
電化方式 交流15,000V 16.7Hz
最高速度 200 km/h
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ライプツィヒ-ドレスデン線 (ライプツィヒ–ドレスデンせん、ドイツ語: Bahnstrecke Leipzig–Dresden)とは、ドイツ連邦共和国 ザクセン州 ライプツィヒライプツィヒ中央駅から同ドレスデンドレスデン=ノイシュタット駅に至る全長116.098kmのドイツ鉄道の路線である。

停車場・施設・接続路線
-0.1 ライプツィヒ中央駅 123 m
HST
3.5 ライプツィヒ・ゼラースハウゼン 125 m
HST
4.7 ライプツィヒ・パウンスドルフ 130 m
エンゲルスドルフ - コネヴィツ線(S 4)
7.0 ライプツィヒ・エンゲルスドルフ Hp 130 m
アウトバーン14号
11.5 ボルスドルフ(ザクセン) 127 m
ボルスドルフ - コスヴィク線
14.9 ゲリクスハイン 140 m
16.1 ポストハウゼン
17.7 マヒェルン(ザクセン) 142 m
マヒェルン渡り線
21.4 アルテンバッハ 125 m
23.4 ベネヴィッツ 旧ヴルツェン西駅
国道107号
ムルデ川
25.7 ヴルツェン S 4終着駅 124 m
旧グラウハウ - ヴルツェン線
旧ヴルツェン - アイレンブルク線
国道6号
HST
32.6 キューレン 155 m
BHF
35.8 ドルンライヒェンバッハ 152 m
BHF
43.2 ダーレン(ザクセン) 154 m
52.8 オーシャツ 128 m
狭軌線 ミューゲルン方面
旧オーシャツ - シュトレーラ線
旧オーシャン - ロェーデラウ線
HST
57.9 ボルニッツ(オーシャツ近郊) 旧普通駅
RC線、RN線
BHF
65.8 リーザ 106 m
エルベ川
ユターボーク - ロェーデラウ線
BST
ツァイトハイン分岐点
ツァイトハイン - エルスターベルダ線
国道169号
HST
72.3 グラウビッツ(リーザ近郊)
HST
74.8 ニュンヒリッツ 2003~
DST
77.4 ヴァイシヒ (グローセンハイム近郊)
BST
レクヴィツ分岐点
ヴァイシヒ - ボェーラ線
BUE
国道101号
BHF
84.7 プリーシュテヴィッツ 147 m
旧オーバーラウトンネル 1933年撤去
BHF
95.7 ニーデラウ 133 m
HST
97.5 ヴァインボェーラ Hp 2002~
ボルスドルフ - コスヴィッヒ線(S 1) ボルスドルフ方面
101.9 コスヴィッヒ(ドレスデン近郊) 110 m
ベルリン-ドレスデン線
ベルリン-ドレスデン高速線
104.0 ラーデーボイル・ツィツチェウィヒ 110 m
105.8 ラーデーボイル・コェツシェンブローダ 113 m
旧ラーデーボイル西駅
107.8 ラーデーボイル葡萄駅 114 m
ラーデーボイル東 - ラーデーブルク線
109.5 ラーデーボイル東駅 113 m
アウトバーン4号
111.5 ドレスデン・トラーヒァウ 115 m
ピーシェン - ノイシュタット線
113.2 ドレスデン・ピーシェン 115 m
国道170号
115.1 ドレスデン・ビショフス広場
ゴェルリッツ - ドレスデン線
115.9 ドレスデン・ノイシュタット 118 m
ジェチーン-ドレスデン=ノイシュタット線

歴史

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1837年4月24日に蒸気機関車の運行が開始された。
1840年当時のオーバーアウトンネル

ライプツィヒ・ドレスデン鉄道株式会社により1837年から1839年にかけて建設された[1] 。ドイツで最初の蒸気機関車のみを用いる長距離路線であり、大陸ヨーロッパで最初の標準軌路線のトンネルであるオーバーアウトンネル (ドイツ語版)を有していた。当初は単線での開業であったが、建設時点から複線化を見越した設計であったため全線開業後の1840年に全線複線化された。また、ベルリン-ドレスデン線1875年に開通するまではベルリン - ドレスデン間のルートの一部であった。

1876年には王立ザクセン邦有鉄道の一部となり、1915年 12月4日にはターミナル駅としてライプツィヒ中央駅が開業した。第一次世界大戦後の1920年 4月1日には王立ザクセン邦有鉄道はドイツ国営鉄道に編入された。

大陸ヨーロッパで最初の標準軌トンネルであったオーバーアウトンネルは徐々に車両限界を満たさないようになったことから1933年から翌34年にかけて開削され消滅した。

第二次世界大戦後の1946年にはソビエト連邦への戦争賠償のために複線のうち一線が撤去され単線化された。かつては複々線であったコスヴィッヒ - ドレスデン間も例外ではなかった。これはドイツの最重要路線の一つの線路容量が100年以上前の開業当初の水準に落ち込んだことを意味するものであった。一時期はライプツィヒおよびドレスデンからの列車の一部はマイセンおよびデーベルンを経由するボーアスドルフ-コスヴィッヒ線 (ドイツ語版)経由で運行された。しかしながら、デーベルン経由の路線は勾配が多いため重量級の列車の場合は追加の機関車が必要であり、慢性的な問題となっていた。このため、東ドイツ建国後の1967年に再度複線化された。

1960年代初頭には電化計画が浮上し、1969年から翌70年にかけて電化が行われた。電化当初はカール=マルクス=シュタットおよびムルデンシュタイン発電所から送電されていたが、これでも急増する輸送量に対応するには電力供給が不十分であったことから蒸気機関車やディーゼルも継続的に用いられていた。最終的にはドレスデンに新たな発電所を建設することで完全な電化が実現した。

1990年のドイツ再統一後はドイツで最も運行本数の多い路線の一つになったことに加え、他の東ドイツ国鉄の多くの路線と同様に応急処置と近代化が必要とされていた。路線改良は67kmの速度向上と48kmの新線建設が連邦政府によって決定され1993年に工事が開始された。2000年にはライプツィヒ - リーザ間で200km/h運転が開始され、LZB(連続列車制御装置)も設置された。リーザ - ドレスデン間も高速化工事が進行中である。統一直後の1990年には90分を要していたライプツィヒ - ドレスデン間は2015年現在60分強まで短縮されている。

参考文献

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  • Deutschlands Eisenbahnen im Jahr 1845. Nach officiellen Berichten der respectiven Eisenbahn-Directionen und andern zuverlässigen Quellen bearbeitet von Emil Bürger. Verlag C. Macklot, Karlsruhe 1845, S. 85–93. (ドイツ語)
  • Die Leipzig-Dresdener Eisenbahn in den ersten fünfundzwanzig Jahren ihres Bestehens. Denkschrift zur Feier des 8. April 1864. Herausgegeben auf Veranlassung des Directoriums, Giesecke & Devrient, Leipzig 1864. (ドイツ語)
  • Die Leipzig-Dresdner Eisenbahn. für Dampfwagenreisende von Leipzig nach Dresden und von Dresden nach Leipzig. Weber, Leipzig 1838 (デュッセルドルフ大学図書館のデジタル資料) (ドイツ語)
  • Fritz Borchert (Hrsg.): Die Leipzig-Dresdner Eisenbahn, Anfänge und Gegenwart einer 150-jährigen. transpress VEB Verlag für Verkehrswesen, Berlin 1989, ISBN 3-344-00354-2. (ドイツ語)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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列車
営業用
試作・事業用
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中止
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事故
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