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ヤスカ・ラーチカイネン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヤスカ・W・ラーチカイネン
Jaska W. Raatikainen
チルドレン・オブ・ボドム - フィンランド公演 (2009年7月)
基本情報
出生名 ヤスカ・イルマリ・ラーティカイネン
(Jaska Ilmari Raatikainen)
生誕 (1979年07月18日) 1979年 7月18日(45歳)
 フィンランド
キュミ州 ラッペーンランタ
出身地  フィンランド
ウーシマー州 エスポー
ジャンル ヘヴィメタル
ハードロック
メロディックデスメタル
パワーメタル
スラッシュメタル
プログレッシブ・メタル
ドゥームメタル
職業 ドラマー
担当楽器 ドラムス
キーボード
活動期間 1993年 - 現在
共同作業者 チルドレン・オブ・ボドム
インアースド

ガスハウス・ガーデン
ヴァーチュオシティ
イヴマスター
マーキュリー・サークル
スコット・トラヴィス
ミッキー・ディー

ヤスカ・W・ラーチカイネン (Jaska W. Raatikainen、本名:ヤスカ・イルマリ・ラーティカイネン (Jaska Ilmari Raatikainen)、1979年 7月18日 - )は、フィンランドヘヴィメタル ミュージシャン (ドラマー)。メロディックデスメタル バンドチルドレン・オブ・ボドムの元ドラマーとして著名。

略歴

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フィンランド南東の都市、ラッペーンランタで生まれる。その後、エスポーに移っている。最初に始めた楽器はピアノで、9歳の頃からフレンチホルンを演奏するようになった[1] 。この頃、後にチルドレン・オブ・ボドムでともに活動するアレクザンダー・クオファラに出会っている。12歳でドラムスを演奏するようになった。

そして、12歳か13歳の頃に学校でアレキシ・ライホと出会う[1] 。アレキシとはその後、コピーバンドを結成し活動を始める。当時は、ガンズ・アンド・ローゼズなどのメタル系バンドの曲を主に演奏していた[1] 。それから2年ほど後に、オリジナル曲を書き始める。1993年に、アレキシらとインアースド (Inearthed)を結成。1994年には、1stデモ『Ubiquitous Absence of Remission』をリリースしているが、同デモではキーボードも担当していた。インアースドは、後にチルドレン・オブ・ボドム (Children Of Bodom)へバンド名を改名し、デビューする。同バンドでは、ドラマーを務め、現在に至っている。 チルドレン・オブ・ボドムでの活動は、同バンドの項を参照。2019年12月15日のヘルシンキでのライブを最後にヘンカ・ブラックスミス、ヤンネ・ウィルマンと共にバンドを脱退した[2] 。脱退する3名は、第一線を退き、生活の方向性を変えるとのことである[2]

チルドレン・オブ・ボドムの2ndアルバム、『Hatebreeder』のレコーディング後、シンバルセイビアンドラムソナーとエンドーズ契約した。その後、ソナーとのエンドーズ契約は失効し、別のドラムを使っていた。2003年に、パールと新たにエンドーズ契約を行っている。また、ドラムスティックプロマークのcustom Millennium IIで、ヤスカの名前が刻印されている。

チルドレン・オブ・ボドム以外のバンドでも活動しており、ドラマーを必要とするバンドのヘルプを行うこともある。2000年に、アレキシの参加するシナジーのドラマー、トミー・リルマンが足の怪我でツアーに参加できなくなった際、その代役を務めた。トミーの怪我は、ツアー開始の3日前に起こったことで、ヤスカは3日の間にシナジーの楽曲10曲をマスターする必要があったが、ヤスカはそれをやり遂げ、ツアーも成功を収めた。

また、ヴァーチュオシティ(Virtuocity)とイヴマスター (Evemaster)というスタジオバンドでは、セッションドラマーとしてアルバムに参加している。ヴァーチュオシティでは、1stアルバム『Secret Visions』に参加した。イヴマスターは、バトルローで活動するトミ・ミッカネンが中心のバンドで、2ndアルバム『Wither』と1stアルバムのリレコーディング盤『MMIV Lacrimae Mundi』でヤスカはドラムを演奏している。チルドレン・オブ・ボドムのライブ DVD『Chaos Ridden Years - Stockholm Knockout Live』のメンバー写真でヤスカはイヴマスターのバンドロゴが入ったTシャツを着ている。

若き日のヤスカ (2002年)
チルドレン・オブ・ボドム - ドイツ公演 (2016年)

2002年には、デスメタルを代表するバンド (プロジェクト)の一つ、デスチャック・シュルディナートリビュートで、ノーサーと2曲のカバーを演奏した。ヤスカはデスのファンでもある。2003年に前述のノーサーのギタリストクリスティアン・ランタとサイドプロジェクトとしてパワーメタルバンド、ガスハウス・ガーデン (Gashouse Garden)を結成。同バンドには、ヤスカ、クリスティアンに加えて現ストラトヴァリウスベーシストラウリ・ポラーも参加していた。しかし、同プロジェクトは2003年にデモを1枚リリースしたのみで、2006年には活動を停止している。

2020年8月、ドゥームメタルバンドのマーキュリー・サークル (Mercury Circle)に加入した[3] 。同バンドは、スワロー・ザ・サンで活動するヤーニ・ペウフ (Vo, G, Syn)が中心のバンドで、他にトゥー/ダイ/フォーのユッペ・ステラ (G)、ハンギング・ガーデンのユッシ・ハマライネン (G, Syn、Back Vo)、リュトミハイリオのアンデ・キースキ (B)がメンバーである。

更に、音楽活動以外に俳優活動を行ったこともある。2000年にはフィンランドのソープ・オペラ (Siamin Tyttö)のディレクターに依頼されて、ドラマのスペシャル・パートに出演した。ヤスカが演じたのは、ラウリ (Rauli)というキャラクターで、そのキャラクターが死ぬまでの3つのエピソード出演した。ヤスカによると、俳優業に夢はあるが、現在は俳優として活動する予定はないという。

家族には、ヤスカの他にもミュージシャンがいる。実兄のユッシ・ラーチカイネンは、メロディックデス/パワーメタルバンド、エクセクレイタス (Exsecratus)のドラマーとして活動している。同バンドの、1stアルバム『Tainted Dreams』は日本盤もリリースされている。また、実弟のユリウス・ラーチカイネンは、メロディックデスメタルバンド、カウナ (Kauna)でドラマーとして活動している。つまり、兄弟3人がメロディックデスメタルバンドでドラマーとして活動している。

ディスコグラフィー

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チルドレン・オブ・ボドム

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アルバム
EP
  • 2004年 Trashed, Lost & Strungout
ライブ・アルバム
  • 1999年 Tokyo Warhearts - Live In Japan 1999
  • 2006年 Chaos Ridden Years
ベスト・アルバム
コンピレーション
  • 2009年 Skeletons In The Closet
映像作品
  • 2006年 Chaos Ridden Years - Stockholm Knockout Live

その他

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  • 2002年 Virtuocity - Secret Visions
  • 2003年 Evemaster - Wither
  • 2005年 Evemaster - MMIV Lacrimae Mundi

脚注

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  1. ^ a b c チルドレン・オブ・ボドム『Chaos Ridden Years - Stockholm Knockout Live』ドキュメンタリーのインタビューより
  2. ^ a b "A Chapter Called Children Of Bodom". Children of Bodom Official Website (2019年11月1日). 2019年11月10日閲覧。
  3. ^ Jaska Raatikainen (2020年8月12日). "Hi people!". Jaska Raatikainen Official Facebook. 2020年10月1日閲覧。

外部リンク

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スタジオ・アルバム
ライヴ・アルバム
コンピレーション・アルバム
EP
関連項目

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