モギリョフ県
モギリョフ県(ロシア語: Могилёвская губерния)は帝政ロシアの県(グベールニヤ)である。また北西地域のうちの1県でもある。1772年に制定され、1919年に廃止された。行政中心地はモギリョフ(現マヒリョウ)に置かれていた。現在、旧モギリョフ県の大部分はベラルーシ・マヒリョウ州に属し、一部がロシア・スモレンスク州とブリャンスク州に属している。
歴史
[編集 ]モギリョフ県は、第1次ポーランド分割によって帝政ロシアに編入された地域のうち、南部を範囲として制定された行政区画である(北部にはプスコフ県が制定された)。ロシアへの編入は1772年であった[1] 。 この時期の帝政ロシアでは、グベールニヤ(県)の下位区分としてプロヴィンツィヤ(郡[2] あるいは地区[3] )が設置されており(1775年に廃止)、設立当初のモギリョフ県は、モギリョフ(ru)、ムスチスラヴリ(ru)、オルシャ(ru)、ロガチョフ(ru)の4プロヴィンツィヤから成っていた。その後の行政改革により、モギリョフ県内の下位区分は、12のウエズド(郡[4] [5] )に再編された。
1778年、グベールニヤの名称が廃止され、一時、名称がモギリョフ・ナメストニチェストヴォ(ru)(エカテリーナ2世の行政改革によって設置された管区)となった。このナメストニチェストヴォ制は1796年に廃止され、再びグベールニヤ制が復活したが、この改編の後にモギリョフ県はポロツク県と併せてベロルシヤ(白ロシア)県となった[6] 。
1802年、ベロルシヤ県は廃止され、再びモギリョフ県が設置された(なおベロルシヤ県の残り半分はヴィテプスク県となった)。この再設の際には、モギリョフ県内は12のウエズド(郡)に区分された。1917年、モギリョフ県の上位区分としてザーパド州(ru)が置かれた。
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国が成立すると、1919年にモギリョフ県は廃止された。当時、県を構成していた11の郡のうち、9つはゴメリ県へ、ムスチスラヴリ郡(ru)はスモレンスク県へ、センノ郡(ru)はヴィテプスク県に編入された。なお、ムスチスラヴリ郡は1924年に廃止されるが、その領域は白ロシア・ソビエト社会主義共和国内へと組み込まれたため、旧モギリョフ県はほぼ全域が白ロシア(現ベラルーシ)の管轄となった。
下位区分・人口
[編集 ]廃止直前のモギリョフ県は以下の11の郡から成っていた。
郡 | 行政中心地 | 面積(露里2) | 郷全域人口(人) | 行政中心地人口(人) |
---|---|---|---|---|
県全体 | マヒリョウ | 42134.6 | 168,6764 | 14,7187 |
ブィホフ郡(ru) | ビハウ | 4105.8 | 12,4820 | 6381 |
ゴメリ郡(ru) | ホメリ | 4719.4 | 22,4723 | 3,6775 |
ゴルキ郡(ru) | ホルキ(ru) | 2487.0 | 12,2559 | 6735 |
クリモヴィチ郡(ru) | クリマヴィチ | 3711.4 | 14,3287 | 4714 |
モギリョフ郡(ru) | マヒリョウ | 3009.9 | 15,5740 | 4,3119 |
ムスチスラヴリ郡(ru) | ムスツィスラウ | 2220.4 | 10,3300 | 8514 |
オルシャ郡(ru) | ヴォルシャ | 4813.9 | 18,7068 | 1,3061 |
ロガチョフ郡(ru) | ラハチョウ | 6546.1 | 22,4652 | 9038 |
センノ郡(ru) | シャンノ | 4268.8 | 16,1652 | 4100 |
チャウスィ郡(ru) | チャヴスィ | 2168.0 | 8,8686 | 4960 |
チェリコフ郡(ru) | チェルィカウ | 4083.9 | 15,0277 | 5249 |
[註] ・郡名はロシア語、行政中心地名はベラルーシ語を用いている。同地名のロシア語名 / ベラルーシ語名の関係にある。 ・面積は平方ベルスタ(露里)。1ベルスタ = 約1067メートル[7] 。 ・人口は1897年の統計による[8] 。 ・旧称:ブィホフ郡 - 1852年までスタロブィホフ郡、ゴメリ郡 - 1852年までベリツァ郡。 ・統廃合:バビノヴィチ郡(be)(バビナヴィチ)- 1840年にオルシャ郡へ編入、コプィシ郡(ru)(コプィシ) - 1861年にゴルキ郡へ編入。 |
郡 | ベラルーシ人 | ユダヤ人 | ロシア人 | ポーランド人 | ラトビア人 |
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県全体[1] | 82.4 % | 12.1 % | 3.4 % | 1.0 % | ... |
ヴィホフ郡 | 88.2 % | 9.1 % | ... | ... | ... |
ゴメリ郡 | 74.1 % | 14.4 % | 9.7 % | 1.0 % | ... |
ゴルキ郡 | 85.4 % | 13.1 % | ... | ... | ... |
クリモヴィチ郡 | 82.6 % | 10.8 % | 5.4 % | ... | ... |
モギリョフ郡 | 69.9 % | 21.9 % | 5.6 % | 1.5 % | ... |
ムスチスラヴリ郡 | 81.5 % | 16.1 % | 1.4 % | ... | ... |
オルシャ郡 | 79.9 % | 12.1 % | 2.6 % | 1.8 % | 2.0 % |
ロガチョフ郡 | 86.9 % | 9.7 % | 2.0 % | 1.1 % | ... |
センノ郡 | 85.6 % | 7.8 % | 3.4 % | 2.4 % | ... |
チャウスィ郡 | 89.6 % | 8.3 % | ... | ... | ... |
チェリコフ郡 | 89.6 % | 8.6 % | ... | ... | ... |
行政の長
[編集 ]出身者
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ a b Могилевская губерния // Малый энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P845
- ^ 田中陽兒、倉持俊一、和田春樹編『世界歴史大系 ロシア史 2 -18世紀〜19世紀-』山川出版社、1994年、P29
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P1161
- ^ 東郷正延ら編 『研究社露和辞典(携帯版)』 研究社、1988年、P2434
- ^ Белорусская губерния // Еврейская энциклопедия Брокгауза и Ефрона
- ^ 井桁貞義編 『コンサイス露和辞典』 三省堂、2009年、P87
- ^ Демоскоп Weekly. Первая всеобщая перепись населения Российской Империи 1897 г. Наличное население в губерниях, уездах, городах Российской Империи (без Финляндии)
- ^ Демоскоп Weekly. Приложение. Справочник статистических показателей