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マクシミリアン・ド・ボアルネ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マクシミリアン・ド・ボアルネ
Maximilian de Beauharnais
ボアルネ家
在位 1835年 - 1852年

全名
一覧参照
  • Maximilian Joseph Eugene Auguste Napoleon
    マクシミリアン・ジョゼフ・ウジェーヌ・オーギュスト・ナポレオン
称号 ロイヒテンベルク公
出生 (1817年10月02日) 1817年 10月2日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国
ミュンヘン
死去 (1852年11月01日) 1852年 11月1日(35歳没)
ロシア帝国の旗 ロシア帝国
サンクトペテルブルク
配偶者 マリア・ニコラエヴナ
子女
一覧参照
父親 ウジェーヌ・ド・ボアルネ
母親 アウグステ・フォン・バイエルン
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マクシミリアン・ド・ボアルネ(フランス語: Maximilian de Beauharnais, 1817年 10月2日 - 1852年 11月1日)は第3代ロイヒテンベルク公ロシア皇帝 ニコライ1世の長女マリア・ニコラエヴナ大公女の夫。ナポレオン・ボナパルトの妻ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネの孫でフランス皇帝 ナポレオン3世オーストリア皇帝 フランツ・ヨーゼフ1世のいとこにあたる。

物理学者モーリッツ・フォン・ヤコビの教え子で電型 (英語版)を普及させた先駆者の1人であり、銅や青銅の金属加工全般の専門家だった。また、美術品収集家でもあった。

生涯

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幼少時のマクシミリアン。ヨーゼフ・カール・シュティーラー画、1821年

1817年、ナポレオンの継子であるウジェーヌ・ド・ボアルネとその妻アウグステ・フォン・バイエルンの末子としてミュンヘンで生まれた。全名はマクシミリアン・ジョゼフ・ウジェーヌ・オーギュスト・ナポレオン(Maximilian Joseph Eugene Auguste Napoleon)。兄オーギュストポルトガル女王マリア2世の王配、姉アメリージョゼフィーヌはそれぞれブラジル皇帝ペドロ1世の皇后、スウェーデンオスカル1世の王妃となっている。

母方の祖父バイエルン王 マクシミリアン1世は、同年11月14日に父ウジェーヌにロイヒテンベルク公位と半独立的なアイヒシュテット侯領 (英語版)を授けた。この称号は、アイヒシュテット(現在のドイツ・バイエルン州の町)にある侯領の所有者としてのものであった。マクシミリアンは「ロイヒテンベルク公子」となり兄オーギュストに次いで公位継承順位2位であった。

1824年2月21日、ウジェーヌが亡くなり兄オーギュストが公位を継いだ。兄は独身であったため、マクシミリアンが推定相続人となった。オーギュストは1835年にポルトガル女王マリア2世と結婚したが、結婚後わずか2ヶ月で肺結核のために急逝した。彼に子はなく、マクシミリアンが公位を継承した。

1839年7月2日、マクシミリアンはロシア大公女 マリア・ニコラエヴナ冬宮殿の礼拝堂で結婚した。マリアは皇帝 ニコライ1世の長女であった。義父ニコライ1世は、ナポレオン1世の子孫である娘婿にロシア皇族及びフィンランド大公家の一員として殿下(Императорского Высочества[注釈 1] )の称号を与えた(厳密に言うと、父ウジェーヌはナポレオン1世の養子であり、血縁関係は全くない。この場合はウジェーヌをナポレオンの実子とみなす拡大解釈をした)。

1852年、マクシミリアンはサンクトペテルブルクで病死した。

子女

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マクシミリアンとマリアには7子が生まれた。

子孫

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栄典

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脚注

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注釈

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  1. ^ 英語でImperial Highness
  2. ^ エフゲニヤの夫アレクサンドルの妹

出典

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  1. ^ a b c d e f g Russian Imperial Army - Duke of Leuchtenberg Maximilian-Eugene-Joseph-August-Napoleon (In Russian)
  2. ^ Bayern (1847). Hof- und Staatshandbuch des Königreichs Bayern: 1847. Landesamt. p. 8 . https://books.google.com/books?id=VzBRAAAAcAAJ&pg=PP5  
  3. ^ Liste der Ritter des Königlich Preußischen Hohen Ordens vom Schwarzen Adler (1851), "Von Seiner Majestät dem Könige Friedrich Wilhelm IV. ernannte Ritter" p. 21
  4. ^ Staatshandbuch für das Großherzogtum Sachsen / Sachsen-Weimar-Eisenach (1851), "Großherzogliche Hausorden" p. 9
  5. ^ Staatshandbuch für den Freistaat Sachsen: 1845. Heinrich. (1845). p. 3 . https://books.google.com/books?id=ABBTAAAAcAAJ  
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先代
オーギュスト
ロイヒテンベルク公
1835年 - 1852年
次代
ニコライ

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