ノート:継承国
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リバート合戦
[編集 ]- ごめん。。。--大和屋敷 2010年11月22日 (月) 16:57 (UTC) [返信 ]
- せめて、こちらの編集を取り消したい理由を明らかにして下さい。特にWikipedia:関連項目 をご確認いただければ、
- 本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。
- との記載をご確認いただけます。--Hollywood 2010年11月22日 (月) 17:05 (UTC) [返信 ]
- 徳川幕府→明治政府、清朝→中華民国については「実質的」に条約の継承についてそれぞれの政府が腐心した事実はあるのですが、やはり「継承国」「国家の継承」という概念が「2010年現在においても」国際法において十分に明確だとは言い切れない部分において、やはりその論点から記述しきるには難しいのではないか、という点が一点。もうひとつは「継承国」という呼称で具体的に記述されている「信頼できる文献」がたぶん存在しないのではないか、という観測から(たぶん)独自研究に相当してしまうのではないか、という予想によるリバートです。ここでは敷衍(ふえん)してしまわないほうが良いのではないか。--大和屋敷 2010年11月22日 (月) 17:22 (UTC) [返信 ]
- 「条約に関する国家承継に関するウィーン条約 」が本文(継承国#条約)に
- 国家承継の規則を成文化する試みとしては、1978年の条約に関する国家承継に関するウィーン条約がある。日本は署名していない。
- と記述されているのに、わざわざ関連項目にも記載する理由については、いかがでしょうか?--Hollywood 2010年11月22日 (月) 17:28 (UTC) [返信 ]
- 「条約に関する国家承継に関するウィーン条約 」が本文(継承国#条約)に
- 本文に記述があったとしても、末尾に一覧化されていたほうがザッピング(あちこち飛ばし読み)しやすい、という利便性の観点があるのではないでしょうか。本文中に内部リンクが設定してあれば末尾の「関連項目」に記述することはできない、というわけでもないでしょう。--大和屋敷 2010年11月22日 (月) 23:29 (UTC) [返信 ]
- もちろん、Wikipedia:関連項目 にも
- 本来、内部リンクは本文記事内の文中に包括されるのが理想的であり、「関連項目」のセクションに挙げられる項目は深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべきです。...「関連項目」のセクションは短く、必要最小限であるべきです。
- と書いてある一方で、同時に
- 例外として、内部リンクに存在していてもその記事を理解する上で特に重要な項目は許容されます。
- とも書いてありますから。さて、大原則として「本文記事内の文中に包括されるのが理想的」・「深い関連がありながら本文に組み込むことが困難な項目に限られるべき」・「短く、必要最小限であるべき」となっている中で、それを超えるほどの「記事を理解する上で特に重要な項目」であるということを納得させていただければ。どうも、そのように感じられないので。--Hollywood 2010年11月22日 (月) 23:43 (UTC) [返信 ]
1「関連項目」にちょっと足してみましたけど、そんなに勘にさわる感じでもないでしょう?さわるかなあ。2日本に関わる事例は「条約の継承に関すること」なので小タイトルをすこし変更しました。条約の継承と「国家の継承」はやはり別の話しです。江戸時代の日本と明治政府の日本に継承問題が発生している、と仮定すれば、「明治国家はそれ以前の国家国体と断絶している」(国家の継承問題の発生)ことになり、これは重要な主張をしていることになってしまいます。そこまで含意してしまうのはさすがに独自研究になりかねませんので、あくまで条約の継承問題という歴史的事例にとどめるべきかと。「国家の継承」という国際法上の主張は本文にあるように戦後の国連の議席についての議論が発端であるとするのが妥当でしょう。--大和屋敷 2010年11月22日 (月) 23:40 (UTC)文献情報のなかの「条約の継承に関する第2次大戦前の日本の実行」森川俊孝(横浜国際社会科学研究第12巻第2号2007年8月)[1]に「政府の変更」と「国家の消滅」について言及がありました。機会があれば加筆したいところ。--大和屋敷 2010年11月23日 (火) 00:06 (UTC) [返信 ]