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ドロテア・ア・ダンマーク (1520-1580)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ドロテア・ア・ダンマーク
Dorothea af Danmark
プファルツ選帝侯
在位 1535年 9月29日 - 1556年 2月26日

出生 (1520年11月10日) 1520年 11月10日
 デンマークコペンハーゲン
死去 (1580年05月31日) 1580年 5月31日(59歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ノイマルクト (英語版)
埋葬 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク聖霊教会
配偶者 プファルツ選帝侯 フリードリヒ2世
家名 オルデンブルク家
父親 デンマーククリスチャン2世
母親 イサベル・デ・アウストリア
宗教 キリスト教 カトリック
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ドロテア・ア・ダンマーク(Dorothea af Danmark, 1520年 11月10日 - 1580年 5月31日)は、デンマーククリスチャン2世と王妃イサベラ・ア・ブアグンの間の長女。プファルツ選帝侯 フリードリヒ2世の妻。

生涯

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1523年に父王が廃位されると、両親や兄妹と一緒に母の故郷低地地方に亡命した。大叔母マルグリットや伯母マリアら、ハプスブルク家の女性親族の庇護下で育てられた。カトリックを信奉するマルグリット大叔母の宮廷で育ったものの、密かにプロテスタントの教説に共感を抱いていた。

1532年に兄ハンスが夭折すると、父のデンマーク王位請求権の相続者と見なされるようになった。1535年9月29日にハイデルベルクにおいて、38歳年上のプファルツ選帝侯フリードリヒ2世と結婚した。夫妻の間に子供は無かった。1544年、ハプスブルク家はドロテアを正統なデンマーク王位の相続者とする主張を取り下げた。

1556年に夫と死別した後、ノイマルクト (英語版)宮中伯城 (ドイツ語版)で寡婦生活を送った。死後、ハイデルベルクの聖霊教会に葬られた。

プファルツ選帝侯夫人ドロテアの横顔を刻んだメダル

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