カール・フォン・ヴュルテンベルク
カール・フォン・ヴュルテンベルク Carl von Württemberg | |
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ヴュルテンベルク家家長 | |
在位 | 1975年 4月15日 - 2022年 6月7日 |
全名 |
一覧参照
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称号 | ヴュルテンベルク公 |
出生 |
(1936年08月01日) 1936年 8月1日 ナチス・ドイツの旗 ドイツ国、ヴュルテンベルク州 フリードリヒスハーフェン |
死去 |
(2022年06月07日) 2022年 6月7日(85歳没) ドイツの旗 ドイツ、バーデン=ヴュルテンベルク州 ラーフェンスブルク (英語版) |
配偶者 | ディアーヌ・ドルレアン (英語版) |
子女 |
一覧参照
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家名 | ヴュルテンベルク家 |
父親 | フィリップ・アルブレヒト・フォン・ヴュルテンベルク |
母親 | ローザ・フォン・エスターライヒ (英語版) |
宗教 | キリスト教 カトリック教会 |
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カール・ヘルツォーク・フォン・ヴュルテンベルク(ドイツ語: Carl Herzog von Württemberg, 1936年 8月1日 - 2022年 6月7日 [1] )は、ドイツの起業家。ヴュルテンベルク家家長(1975年 - 2022年)。
経歴
[編集 ]ヴュルテンベルク公フィリップ・アルブレヒトとその妻のハプスブルク=トスカーナ家のオーストリア大公女ローザ (英語版)の次男としてフリードリヒスハーフェンに生まれる。リートリンゲンの旧制高校に通い、さらにテュービンゲン大学で法学を専攻した。大学卒業後、アルツハウゼン城 (ドイツ語版)のヴュルテンベルク家財産管理局 (ドイツ語版)で家産の運営に関わった。
1959年6月29日に兄ルートヴィヒ (フランス語版)が継承権を放棄したのに伴い、翌1960年1月19日にアルツハウゼン (英語版)においてヴュルテンベルク家の相続人に指名され、1975年の父の死を受けて家長位を継承した。
同家の財産管理局はおよそ5500ヘクタールの森林、およそ2200ヘクタールの牧草地及び耕地、モンレポス (英語版)にある50ヘクタールのブドウ農園、カナダ、オーストリア、スペインなどの森林を含む700カ所におよぶ国内外の地所、そして各種企業の株を管理している。さらに管理局はヴュルテンベルク家が旧王家として保持する70の重要文化財の維持費をも負担している。
カールは社会活動や慈善活動にも関わっており、ドイツ赤十字社やバーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団 (ドイツ語版)をはじめとした、小児癌患者の支援団体、フリースクール団体、文化保護団体、青少年支援団体に参加していた。バーデン=ヴュルテンベルク州文化保護財団では、1985年の創立当初から2002年まで副総裁を、2002年から2008年まで総裁を務めた。またカールはテュービンゲン大学とホーエンハイム大学 (英語版)の名誉理事、テュービンゲン大学友愛会および大学法人総裁を務めていた。カールは詩人ルートヴィヒ・ウーラントにちなむ「ルートヴィヒ・ウーラント賞」を創設したが、これは地域研究に功労のある人々に授与される賞である。さらにカールはヴュルテンベルク・ヨットクラブ (英語版)の名誉会長で、前スペイン王 フアン・カルロス1世とは親友の間柄でもあった。
2002年、カールは教皇ヨハネ・パウロ2世より、ベネディクト会出身のゲプハルト・フュルスト司教を通じてロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区 (英語版)にカトリックの学制を設置する許可を与えられた。2008年11月8日には、ファレンダー哲学・神学大学 (ドイツ語版)より名誉神学博士号を授与された。
次期家長となるはずだった長男フリードリヒ (ドイツ語版)が2018年5月に交通事故で亡くなった後は次第に公の場に姿を見せなくなっていき、2020年1月に通常業務からの引退を発表した[2] 。
2022年6月7日、ラーフェンスブルク (英語版)の病院において85歳で亡くなった。ヴュルテンベルク家家長位は孫のヴィルヘルム (英語版)が受け継いでいる。
結婚と子女
[編集 ]1960年7月18日、ディアーヌ・ドルレアン (英語版)(オルレアン家家長のパリ伯アンリの四女)と結婚した。ディアーヌとの間に4男2女を儲けた。
- フリードリヒ (ドイツ語版)(1961年 - 2018年) - 1993年にヴィート侯女ヴィルヘルミーネ・マリー(ヴィート侯フリードリヒ [注釈 1] の曾孫)と結婚し、1男ヴィルヘルムほか2女を儲ける
- マティルデ(1962年 - ) - 1988年にヴァルトブルク・ツー・ツァイル・ウント・トラウフブルク侯世子エーリヒ(バイエルン王家家長アルブレヒトの孫)と結婚し、5女を儲ける
- エーバーハルト(1963年 - ) - 2011年にルシア・デジレ・コプフと結婚、1男2女を儲ける
- フィリップ(1964年 - ) - 1991年にマリー・カロリーネ・イン・バイエルン(バイエルン公 マックス・エマヌエルの次女)と結婚し、1男3女を儲ける
- ミヒャエル(1965年 - ) - 2006年にユリア・シュトルツと結婚
- エレオノーレ・フロイア(1977年 - ) - 2003年にゲース伯モーリッツと結婚し1男2女を儲ける
栄典
[編集 ]脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]出典
[編集 ]- ^ Germany, Stuttgarter Zeitung, Stuttgart. "Adelshäuser: Carl Herzog von Württemberg ist tot" (ドイツ語). stuttgarter-zeitung.de. 2022年6月7日閲覧。
- ^ "Carl Herzog von Württemberg gestorben" (ドイツ語). フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング . 2022年6月7日閲覧。
外部リンク
[編集 ]ウィキメディア・コモンズには、カール・フォン・ヴュルテンベルク に関するカテゴリがあります。
カール・フォン・ヴュルテンベルク
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爵位・家督 | ||
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先代 フィリップ・アルブレヒト |
ヴュルテンベルク家家長 1975年4月15日 – 2022年6月7日 |
次代 ヴィルヘルム (英語版) |