カイロネイア
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ヘロニア (カイローネイア) Χαιρώνεια | |
---|---|
所在地 | |
ヘロニア (カイローネイア)の位置(ギリシャ内) ヘロニア (カイローネイア) ヘロニア (カイローネイア) | |
座標 | 北緯38度31分 東経22度50分 / 北緯38.517度 東経22.833度 / 38.517; 22.833 座標: 北緯38度31分 東経22度50分 / 北緯38.517度 東経22.833度 / 38.517; 22.833 |
行政 | |
国: | ギリシャの旗 ギリシャ |
地方: | 中央ギリシャ |
県: | ヴィオティア県 |
ディモス: | リヴァディア |
旧自治体: | ヘロニア |
人口統計 (2001年) | |
旧自治体 | |
- 人口: | 2,218 人 |
キノティタ | |
- 人口: | 762 人 |
その他 | |
標準時: | EET/EEST (UTC+2/3) |
カイローネイア(古代ギリシア語: Χαιρώνεια / Khairṓneia)は、古代ギリシャのボイオーティアにあった都市国家。長音を省きカイロネイアとも表記される。テーバイの北方に位置し、カイロネイアの戦い(紀元前338年)の舞台となったことで知られる。
現代ギリシャ語ではヘロニア(Χαιρώνεια / Chairóneia)と呼ばれ、ギリシャ共和国 中央ギリシャ地方 リヴァディア市に属する集落および一地区である。
地理
[編集 ]ヘロニア(カイロネイア)の集落はリヴァディア市の北部に位置し、リヴァディアの中心市街からは丘陵を隔てて北北西へ約7kmの距離にある。また、デルフィ(古名: デルポイ)からは東へ約31km、ティーヴァ(古名: テーバイ)からは北西へ約46km、ラミアから南東へ約58kmの距離に位置する。
古代ボイオーティア(現代のヴィオティア県)を貫くキフィソス川 (英語版)に沿った谷にある町である。キフィソス川沿いの谷は、ティーヴァ(テーバイ)から北方のテッサリア方面に向かう交通路にあたる。現代でも、自動車道や鉄道がヘロニア(カイロネイア)を通過している。
歴史
[編集 ]古代ギリシャ
[編集 ]この地での人々の営みは先史時代にさかのぼり、現在 Magoula Balomenou (Μαγούλα Μπαλωμένου)とよばれる場所に遺跡がある。紀元前600年頃には、カイロネイアはボイオーティア同盟の一角を占めたオルコメノス(現代音: オルホメノス)に属していた。紀元前5世紀の終わりには、ボイオーティアを構成する11の都市のひとつとしてカイロネイアが記録されている。
紀元前338年には、ピリッポス2世率いるマケドニア軍と、アテナイ・テーバイ連合軍によるカイロネイアの戦いの舞台となった。この戦いでは、ピリッポス2世の子であるアレクサンドロス(のちのアレクサンドロス大王)が初陣を飾るとともに、テーバイの精鋭である神聖隊が壊滅し、マケドニアによるギリシャの覇権を決定づけた。カイロネイアはマケドニア軍によって占領された。
古代ローマ
[編集 ]ポントス王 ミトリダテス6世と共和政ローマが戦った第一次ミトリダテス戦争中の紀元前68年、カイロネイアはポントスの将軍アルケラオスに占領される。カイロネイア近郊でアルケラオス率いるポントス軍はルキウス・コルネリウス・スッラ率いるローマ軍と戦い、アルケラオスは敗北した。
カイロネイアは、『対比列伝』(英雄伝)で知られる帝政ローマ時代の著述家・プルタルコス(46年ごろ - 127年ごろ)の出身地でもある。カイロネイアの名門に生まれ、生涯の多くを故郷で送ったプルタルコスは、著作の中で何度かカイロネイアについて記している。
近現代
[編集 ]1818年には、「カイロネイアのライオン」と呼ばれる彫刻の断片が、イギリス人の旅行者によって発見されている。テーバイ神聖隊の埋葬記念碑としてつくられていた高さ約6mの像は、のちに組み立てなおされ、発見地に据えられている。
1879年から80年にかけて、P. Stamatakisによって、テーバイ人の大きな墓地が発掘されている。その23年後には、G. Soteriadis によって Magoula Balamenou が発掘された。
行政区画
[編集 ]旧自治体(ディモティキ・エノティタ)
[編集 ]ヘロニア地区(Δημοτική ενότητα Χαιρώνειας)は、リヴァディア市を構成する行政区(ディモティキ・エノティタ)である。カリクラティス改革にともなう自治体統廃合(2011年1月施行)までは、ヴィオティア県に属する自治体・ヘロニア市(Δήμος Χαιρώνειας )であった。ヘロニア地区は以下のキノティタ(都市域・村落)および都市・集落から構成される。
表中の Δ.δ. は Δημοτικό διαμέρισμα の略であり、カポディストリアス改革による統廃合(1999年1月施行)以前の旧自治体に由来する区画である。[ ]内は人口(2001年国勢調査)を示す。
- Δ.δ. Χαιρωνείας ヘロニア [ 762 ]
- η Χαιρώνεια ヘロニア [ 762 ]
- Δ.δ. Αγίου Βλασίου [ 410 ]
- ο Άγιος Βλάσιος [ 410 ]
- Δ.δ. Ακοντίου [ 174 ]
- το Ακόντιο [ 174 ]
- Δ.δ. Ανθοχωρίου [ 308 ]
- το Ανθοχώρι [ 308 ]
- Δ.δ. Βασιλικών [ 69 ]
- τα Βασιλικά [ 69 ]
- Δ.δ. Θουρίου [ 259 ]
- το Θούριο [ 259 ]
- Δ.δ. Προσηλίου [ 112 ]
- το Προσήλιο [ 112 ]
- Δ.δ. Προφήτου Ηλία [ 124 ]
- ο Προφήτης Ηλίας [ 124 ]
交通
[編集 ]ヘロニア地区(旧ヘロニア市域)を以下の交通網が通過している。
道路
[編集 ]- 自動車道路
鉄道
[編集 ]- ギリシャ国鉄
- 幹線鉄道網(Major Rail network) : 標準軌
- 〔... - ラリサ - ダヴリア〕- ヘロニア駅 - 〔リヴァディア - ティーヴァ - ...〕
- 幹線鉄道網(Major Rail network) : 標準軌
域内にアテネとテサロニキを結ぶ幹線のヘロニア駅(Σιδηροδρομικός Σταθμός Χαιρώνειας)があるほか、ダヴリア駅 (el:Σιδηροδρομικός Σταθμός Δαύλειας) も近い。
人物
[編集 ]出身者
[編集 ]- プルタルコス(46年ごろ - 127年ごろ) - 著述家
脚注
[編集 ]- ^ "National Road No.3, 4" (英語). Greek Motorway.net. 2012年2月10日閲覧。