オイラダイ・ハーン
オイラダイ・ハーン ᠣᠶᠢᠷᠤᠳᠠᠢ ᠬᠠᠭᠠᠨ | |
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モンゴル帝国第25代皇帝(ハーン) | |
在位 | 1415年 - 1425年 |
戴冠式 | 1415年 |
別号 | エセク・ハーン |
全名 | オイラダイ・ハーン |
出生 |
1387年 |
死去 |
1425年 |
配偶者 | サムル公主 |
家名 | ボルジギン氏 |
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オイラダイ・ハーン(モンゴル語: Ойрадай хаан ᠣᠶᠢᠷᠤᠳᠠᠢ
ᠬᠠᠭᠠᠨ Oyiradai qaγan、1387年 - 1425年)は、モンゴル帝国の第25代(北元としては第11代)皇帝(ハーン)。『蒙古源流』ではエセク・ハーン(Esekü qaγan)と表記される。でもエセクは別人。
生涯
[編集 ]1387年、四オイラトのケレヌート部[1] のとして生まれる。
1415年、ダルバク・ハーンが崩御したため、オイラダイが帝位につき、バトラ丞相の未亡人のサムル公主を娶ってエセク・ハーンとなった。オイラダイ・ハーンはオルジェイト妃子とアジャイ太子、アスト部のアルクタイ太師の3人を自分の家で召し使っていた。
1425年、オイラダイ・ハーンは39歳で崩御し、オルク・テムル・ハーンの子のアダイ・ハーンがモンゴル側で即位した。[2]
脚注
[編集 ]参考資料
[編集 ]- 岡田英弘訳注『蒙古源流』(刀水書房、2004年、ISBN 4887082436)
元朝以前 | |
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元朝 皇帝 | クビライ(世祖) 1271-1294 / テムル(成宗) 1294-1307 / カイシャン(武宗) 1307-1311 / アユルバルワダ(仁宗) 1311-1320 / シデバラ(英宗) 1320-1323 / イェスン・テムル(泰定帝) 1323-1328 / アリギバ(天順帝) 1328 / トク・テムル(文宗) 1328-1329 / コシラ(明宗) 1329 / トク・テムル(文宗) 1329-1332 / イリンジバル(寧宗) 1332 / トゴン・テムル(恵宗) 1333-1368 |
北元(韃靼) | トゴン・テムル(恵宗) 1368-1370 / アユルシリダラ(昭宗) 1370-1378 / トグス・テムル(末主) 1378-1388 / イェスデル 1388-1391 / エンケ 1391-1394 / エルベク 1394-1399 / クン・テムル 1399-1402 / オルク・テムル 1402-1408 / オルジェイ・テムル 1408-1412 / ダルバク 1412-1415 / オイラダイ 1415-1425 / アダイ 1425-1438 / トクトア・ブハ 1438-1452 / アクバルジ 1452-1453 / エセン 1453-1454 / マルコルギス 1455-1465 / モーラン 1465-1466 / マンドゥールン 1475-1479 / ボルフ・ジノン 1480-1487 / ダヤン・ハーン 1487-1524 / バルス・ボラト 1524 / ボディ・アラク 1524-1547 / ダライスン・ゴデン 1548-1557 / トゥメン 1558-1592 / ブヤン 1593-1603 / リンダン 1603-1634 / エジェイ 1634-1635 |