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エンリケ2世 (ナバラ王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エンリケ2世 / アンリ2世
Enrique II / Henri II
ナバラ国王
在位 1517年 - 1555年

出生 (1503年04月18日) 1503年 4月18日
ナバラ王国サングエサ
死去 (1555年05月25日) 1555年 5月25日(52歳没)
ベアルンポー
埋葬 ベアルン、レスカー大聖堂
配偶者 マルグリット・ド・ナヴァル
子女 ジャンヌ・ダルブレ
家名 アルブレ家
父親 フアン3世
母親 カタリナ
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エンリケ2世(スペイン語:Enrique II, 1503年 4月18日 - 1555年 5月25日)は、ナバラ王国の名目上の国王(在位:1517年 - 1555年)。ナバラ王フアン3世(ジャン・ダルブレ)とその妻で女王のカタリナ(カトリーヌ)の長子。アルブレ領主。アンリ・ダルブレ(Henri d'Albret)とも呼ばれる。

生涯

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1517年、追放されていた母カタリナ女王の死去を受けて王位に即いた。このとき王国はアラゴン王 フェルナンド2世に占拠されており、エンリケ2世はフランス王 フランソワ1世の保護下でナバラ王を名乗った。

1516年ノワイヨンで、1518年モンペリエで交渉が持たれたものの進展がなかったため、1521年にエンリケ2世の主権を回復すべく兵が派遣された。一時フランス兵によって領土を奪ったものの、結局はスペイン兵によって奪還された[1]

1525年、エンリケ2世はパヴィアの戦いで捕虜となったが脱出に成功し、翌1526年にはフランソワ1世の姉マルグリットと結婚した。彼女との間にアンリ4世の母となるジャンヌ・ダルブレ(ナバラ女王フアナ3世)をもうけた。

ユグノーに対して同情的だったといわれるエンリケ2世は、1555年5月25日にポーで死去した。

脚注

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  1. ^ バード、pp. 151 - 153

参考文献

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  • レイチェル・バード 『ナバラ王国の歴史』 彩流社、1995年
ウィキメディア・コモンズには、エンリケ2世 (ナバラ王) に関連するカテゴリがあります。
先代
アラン・ダルブレ
ドルー伯
1522年 - 1555年
次代
ジャンヌ・ダルブレ
先代
シャルル2世
アルマニャック伯
1527年 - 1555年
次代
ジャンヌ・ダルブレ
イニゴ家
ヒメノ家
シャンパーニュ家

テオバルド1世1234-1253 / テオバルド2世1253-1270 / エンリケ1世1270-1274 / フアナ1世1274-1305

カペー家

フェリペ1世1284-1305 / ルイス1世1305-1316 / フアン1世1316 / フェリペ2世1316-1322 / カルロス1世1322-1328 / フアナ2世1328-1349

エヴルー家

フェリペ3世1328-1343 / カルロス2世1349-1387 / カルロス3世1387-1425 / ブランカ1世1425-1441

トラスタマラ家
フォワ家

フランシスコ1世1479-1483 / カタリナ1483-1517

アルブレ家

フアン3世(共同王)1484-1516 / エンリケ2世1517-1555 / フアナ3世1555-1572

ブルボン家

アントニオ(共同王)1555-1562 / エンリケ3世1572-1610 / ルイス2世1610-1620 / フランス王位へ統合

トラスタマラ家

フェルナンド1512-1516 / フアナ1516-1555 / スペイン王位へ統合

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