ウンルオッホ家
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ウンルオッホ家(ドイツ語: Unruochinger, フランス語: Unrochides)は、イタリアで地位を築いたフランク貴族の家系。家名は一族の中で最初の著名な人物であるフリウーリ辺境伯ウンルオッホ2世(9世紀前半)からつけられた。
概要
[編集 ]この一族は、フランク帝国東部の辺境領主であるフリウーリ辺境伯をはじめとする、北イタリアの様々な地位を保持した。フリウーリ辺境伯領は現在のフリウーリよりもはるかに広い領域であり、現在のヴェネト州の大半を含み、西はロンバルディア州のブレシア県まで及んでいた。
しかし、一族の本拠地は現在のフランスのセーヌ川北部およびベルギー南部にあった。また、一族の権力基盤となった修道院はトゥルネー近くのシソワンにあった。
一族出身の著名な人物の一人イタリア王 ベレンガーリオ1世は男子継承者を残さなかったが、イヴレーア辺境伯アダルベルト1世と結婚した娘ジゼラを通して、イタリア王ベレンガーリオ2世、アダルベルト2世、そしてブルゴーニュ伯家の祖オット=ギヨームの先祖となった。
系図
[編集 ](-853)
フリウーリ辺境伯
(パリ伯ベゴ1世娘)
(c.800-836)
トゥールーズ伯
バルセロナ伯
(c.805-866)
フリウーリ辺境伯
(ルートヴィヒ1世娘)
(c.810-864)
サンベルタン修道院長
=スポレート公スッポーネ3世
(-874)
フリウーリ辺境伯
フリウーリ辺境伯
イタリア王
シソワン在俗修道院長
=オセール伯コンラート2世(古ヴェルフ家)
(837/40-870以降)
=東フランケン公ハインリヒ
参考文献
[編集 ]- Pierre Riché: Les Carolingiens. Une famille qui fit l'Europe. Paris: Hachette/Pluriel, 1997.
- Detlev Schwennicke: European Stammtafeln Volume II, 1984, panel 188A