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ウィリアム・アンダーソン (博物学者)

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曖昧さ回避 この項目では、スコットランドの博物学者について説明しています。その他の用法については「ウィリアム・アンダーソン」をご覧ください。

ウィリアム・アンダーソン(William Anderson、1750年 12月28日 - 1778年 8月3日)は、スコットランド博物学者である。ジェームズ・クックの航海に参加し、ベーリング海で病没した。

生涯

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イースト・ロージアンのNorth Berwickに学校校長の7人兄弟の一人として生まれた。エディンバラ大学で医学を学び、1768年にイギリス海軍船医として加わり、HMS Barfleurなどで勤務した。1771年にジェームズ・クックの第2回航海にリゾリューション号に搭乗し、その能力を認められて、1776年からの第3回航海にも船医、博物学者としてリゾリューション号に乗船した。博物学者としての訓練を通じて、才能を示し、ジョセフ・バンクスのために多くの標本を集め、記録を残しさらに太平洋の民族の言語の知識をふやした。

アンダーソンはベーリング海のリゾリューション号上で肺結核で死亡した。ジョセフ・バンクスはアンダーソンの家族が金を受け取れるようにし、クックもセントローレンス島をアンダーソンの名前をつけようとした。カナダバンクーバー近くのヌトカ・サウンドにアンダーソン・ポイントという名前が残された。

スティリディウム科(Stylidiaceae )のスティリディウム(Stylidium)の亜属Andersonia に献名されている。

W.Andersonは、植物の学名命名者を示す場合にウィリアム・アンダーソン (博物学者)を示すのに使われる。(命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)

参考文献

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