アルケラオス (カッパドキア王)
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アルケラオス | |
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カッパドキア王 | |
在位 | 紀元前36年 - 17年 |
死去 |
17年 |
父親 | アルケラオス |
母親 | グラヒュラ |
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アルケラオス(希:Αρχέλαος、ラテン文字転記:Archelaos、? - 17年、在位:紀元前36年 - 17年)は、カッパドキアの最後の王である。
来歴
[編集 ]アルケラオスはコマナの高級神官であった同名の父アルケラオスとその妻グラヒュラの子であり、第一次・第三次ミトリダテス戦争で活躍した将軍アルケラオスの曾孫である。紀元前36年、カッパドキア王 アリアラテス10世を追い出したマルクス・アントニウスによってアルケラオスはカッパドキア王に据えられた(ただし属国状態)。アルケラオスは第2代ローマ皇帝 ティベリウスの治世まで王位にあった。タキトゥスの伝えるところでは、ティベリウスがロドス島に住んでいた時にアルケラオスは一度も彼の許に伺候しなかったため、ティベリウスの不興を買い、別の機会でローマに召還された時、(理由は不明であるが)ティベリウスと元老院の弾劾を受けたという[1] 。アルケラオスの死後、カッパドキアはローマに吸収され、ローマの属州となった[2] 。
『ユダヤ古代誌』第XVI巻1章終盤の記述によると、彼の娘で祖母の名を継いだグラヒュラ(グラフュラ)は、後にユダヤのヘロデ大王の息子の1人であるアレクサンドロスに嫁いだ(紀元前15年ごろと推測される)[3] 。
脚注
[編集 ]- ^ タキトゥス, II. 42
- ^ ストラボン, XII. 1. 4
- ^ フラウィウス・ヨセフス 著、秦剛平 訳『ユダヤ古代誌5 新約時代編[XV][XVI][XVII]』株式会社筑摩書房、2000年、ISBN 4-480-08535-1、P136。
参考文献および参考URL
[編集 ]- タキトゥス著、國原吉之助訳、『世界古典文学全集 タキトゥス』、筑摩書房、 1965年(『同年代史』を収録)
- ストラボン著、飯尾都人訳、『ストラボン ギリシア・ローマ世界地誌II』、龍溪書舎、1994年
- William Smith, Dictionary of Greek and Roman Biography and Mythology