重岡建治
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重岡 建治(しげおか けんじ、1936年 - )は、日本の彫刻家 [1] 。満州国のハルビン出身[1] 。現在も伊東市大室高原にある自身のアトリエにて制作活動中[2] 。家族の絆をテーマに「触っても壊れない彫刻」をコンセプトとしており、作品は美術館の他、駅前や公園などに屋外モニュメントとして設置されている。[3] 。用いる素材はブロンズ、大理石、木などさまざまで[3] 、日本国内のみならずスイス・ローザンヌ市、イタリア・リエティ市、中国・北京市などを含め国内外の公共施設に[1] 作品が設置されている[4] 。
日本人の両親が働いていたジャムス市にて終戦を迎えると一家で日本に帰国し、熱海の山奥に定住[3] 。1958年[1] 定時制高校を卒業後、彫刻家圓鍔勝三の元に内弟子として入門[3] 。日展では1961年から1970年まで9回入選。[1] 。そのころ開催されていた現代イタリア彫刻展(於:日本橋高島屋)でその作品を目のあたりにして以来、熱望していたイタリアの彫刻家エミリオ・グレコへ師事するため[5] 、1971年にローマの国立アカデミア美術学校へ留学した[1] 。イタリア4年半の滞在中、アカデミア卒業後もグレコに師事、愛弟子として師の制作助手を務めその際デッサンの重要性を学んだ。[3] 。帰国後も製作活動を続け、日本全国にモニュメントが設置されている[1] 。現在も東日本大震災の被災地復興のため、またそのほか各地自治体からの注文に応え精力的に制作活動している。
作品の例
受賞作の一例[1] 。
- 『伊豆の農夫』(1963年) - 日彫展奨励賞
- 『髪』(1965年) - 日彫展日彫賞
- 『ラウラの頭像』(1974年) - インターナショナルアカデミア美術展金賞
- 『家族』(1977年) - 伊東市制30周年記念モニュメント
- 『受胎告知』(1980年) - 第一回高村光太郎大賞展佳作賞
- 『白鳥讃歌』(1986年) - 大阪市南港緑道彫刻公募大賞
脚注
[脚注の使い方]
- ^ a b c d e f g h "プロフィール". 三島信用金庫 さんしんギャラリー善-ZEN-. 2010年10月27日閲覧。
- ^ "伊豆高原の彫刻家「重岡建治」". アートの風. メープルハウジング. 2010年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e 津久井美智江. "トップインタビュー Vol.40 彫刻家 重岡 建治さん". NEWS TOKYO 都政新聞株式会社. 2010年10月27日閲覧。
- ^ "ひと・しずおか:彫刻家・重岡建治さん/静岡". 毎日新聞 (2014年09月28日日). 2010年10月27日閲覧。
- ^ "EXHIBITION_110815". さんしんギャラリー善. 2010年10月27日閲覧。