道野王
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道野王(みちののおう、生年不詳 - 斉衡2年3月13日(855年 4月3日))は、平安時代前期の皇族。大宰帥・賀陽親王の長男。官位は従四位上・武蔵守。
経歴
淳和朝の天長9年(832年)二世王の蔭位により无位から従四位下に直叙される。仁明朝の承和3年(836年)武蔵守に任ぜられる。
嘉祥3年(850年)仁明天皇 崩御後の初七日で近陵七ケ寺に遣使が行われた際、道野王は桧尾寺に派遣された[1] 。文徳朝の仁寿元年(851年)次侍従を経て、仁寿3年(853年)従四位上に至る。斉衡2年(855年)3月13日病気により卒去。最終官位は散位従四位上。
人物
酒色に耽ったが、謹み深く真面目で温厚であり、傲慢な様子はなかった。また、管弦に非常に優れたという[2] 。
官歴
『六国史』による。
- 天長9年(832年) 正月7日:従四位下(直叙)
- 承和3年(836年) 日付不詳:武蔵守
- 嘉祥3年(850年) 3月27日:見散位
- 仁寿元年(851年) 4月1日:次侍従
- 仁寿3年(853年) 正月7日:従四位上
- 斉衡2年(855年) 3月13日:卒去(散位従四位上)
脚注
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