赤福のれん
赤福のれん | |
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ジャンル | テレビドラマ |
脚本 | 大西信行 |
演出 | 小林俊一 |
出演者 | 十朱幸代、細川俊之、沢村貞子、岡田裕介、榊原るみ、財津一郎 ほか |
製作 | |
制作 | フジテレビ |
放送 | |
放送国・地域 | 日本の旗 日本 |
放送期間 | 1975年 10月4日〜1975年12月27日 |
放送時間 | 土曜日21:00〜21:54 |
放送枠 | 土曜劇場 |
放送分 | 54分 |
回数 | 13 |
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『赤福のれん』(あかふくのれん)は、1975年 10月4日から同年12月27日まで、フジテレビ系列の『土曜劇場』(毎週土曜21:00 - 21:54)の枠で放送されたテレビドラマ。全13話。
花登筺の著作『赤福』を原作にテレビドラマ化した作品。
概要
現在まで300年以上の歴史を誇る赤福餅、その老舗の店の八代目の妻として1941年(昭和16年)に嫁ぎ、戦中・戦後の時代を通して店を守り、夫の死後は社長として店を切り盛りした女性の一代記。1964年(昭和39年)頃までを描いた物語で、実在の赤福の取締役会長・浜田ます[注釈 1] がモデルとなっている[1] 。
昭和16年、加由は赤福の八代目・天田種弘の元に嫁いだ。屈託ない性格の加由には姑・奈緒も満足しており、種弘の弟・弘克にも慕われ、店の誰からも愛されるようになった。しかしその頃店は、亡くなった先代社長が株で失敗したのが元で、店は思わしくない経営が続いていた。種弘は経営の近代化、工場の合理化を図りたいが、この考えに姑・奈緒が反対。種弘は加由に協力を求め、加由も赤福の経営に参画していく。しかし太平洋戦争の戦況は悪化の一途をたどり、男性従業員は兵役や徴用に取られ、その人手不足に食料不足にも悩む一方で、更には夫・種弘も兵役に就くことに。その後、夫の帰りを待つ加由の願いも空しく、種弘戦死の一報が届く。その後は加由が店を受け継ぎ、「赤餅」「おか福」のそれぞれのライバルとしのぎ合いながらも、老舗の店を女手一つで切り盛りし守り続け、息子・直種に社長の座を渡すまでの一代記を描いた[2] 。『のれんシリーズ』の第一弾と位置付けられている[3] 。
キャスト
- 天田加由:十朱幸代
- 天田種弘:細川俊之
- 天田奈緒:沢村貞子
- 天田弘克:岡田裕介
- 志津子:榊原るみ - 弘克の恋人
- あん練り名人・他三郎:財津一郎
- お栄:日色ともゑ
- 寅造(営業部長):新克利
- 利助(従業員):山田吾一
- 太助(従業員):宮沢元
- 東田中尉:高橋悦史 - 伊勢神宮守備隊小隊長
- 須永大尉:石橋雅史 - 伊勢神宮守備隊中隊長
- 園田:藤岡琢也 - 元々闇成金のブローカー。後にライバル会社社長として「おか福」を売り出す。
- 芦沢孝子
- 鍋谷孝喜
- 朝井:沢本忠雄 - 伊勢市の観光課長
- 由美:木村有里
- 杉本:井上孝雄 - ライバル「赤餅」の経営者
- 小出道子:麻衣美佐 - 勢鉄デパート勤務。利助に見初められる。
- 伊坂:松下達夫 - 勢鉄デパートの仕入れ部長
- 天田直種(加由の息子):若松克洋(小学生期) → 小川博(中学生期)→ 武岡淳一(青年期)
スタッフ
サブタイトル
- 1975年10月4日 (サブタイトル無し)
- 1975年10月11日 (〃)
- 1975年10月18日 (〃)
- 1975年10月25日 (〃)
- 1975年11月1日 (〃)
- 1975年11月8日 (〃)
- 1975年11月15日 (〃)
- 1975年11月22日 (〃)
- 1975年11月29日 「強敵出現!」
- 1975年12月6日 「おとうとの死」
- 1975年12月13日 「あきんどの誉」
- 1975年12月20日 「旧いもの新しいもの」
- 1975年12月27日 「肩の荷はまだ」
放送局
土曜劇場#ネット局の節を参照。
脚注
- 注釈
- 出典
フジテレビ系 土曜劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
あなただけ今晩は
(1975年7月26日 - 1975年9月27日) |
赤福のれん
(1975年10月4日 - 1975年12月27日) |
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