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藤村益蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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藤村 益蔵
生誕 1895年 12月10日
日本の旗 日本 福岡県
死没 (1978年10月29日) 1978年 10月29日(82歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1918年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
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藤村 益蔵(ふじむら ますぞう、1895年(明治28年)12月10日 [1] - 1978年(昭和53年)10月29日 [1] )は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。

経歴

1895年(明治28年)に福岡県で生まれた[1] 陸軍士官学校第30期、陸軍大学校第39期[2] 東京帝国大学政治学科卒業[3] 1939年(昭和14年)3月9日陸軍歩兵大佐進級と同時に第4軍高級参謀に就任し[3] 1940年(昭和15年)3月に陸軍省人事局恩賞課長となった[3] 1942年(昭和17年)2月に歩兵第56連隊長(南方軍第15軍第18師団)に就任し[3] ビルマ侵攻に参加[1] [2]

就任時期は不明であるが、第25軍軍政監部総務部長兼第25軍参謀となり[4] 1943年(昭和18年)3月1日に陸軍少将に進級した[3] 3月31日馬来軍政監部総務部長に転じ[4] 8月2日に馬来軍政監となった[1] 1944年(昭和19年)1月7日第29軍参謀長に転じ[1] マレー半島の守備に就いた[2] 1945年(昭和20年)2月1日第13方面軍参謀長兼東海軍管区参謀長に就任し[5] 名古屋で本土決戦に備えたが[2] 7月5日四国軍管区参謀長に転じ[2] 善通寺で終戦を迎えた[2] 。終戦後の8月23日に陸軍省人事局附となった[6]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[7]

脚注

  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 637頁.
  2. ^ a b c d e f 福川 2001, 638頁.
  3. ^ a b c d e 外山 1981, 419頁.
  4. ^ a b 第73号 昭和19年4月19日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120907400 
  5. ^ 第24号 昭和20年2月1日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120932700 
  6. ^ 第1号 昭和20年8月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120963200 
  7. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」13頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 

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